文献詳細
追悼
文献概要
日本泌尿器科学会元理事長,東京大学名誉教授,山梨医科大学前学長・高安久雄先生が平成8年3月31日に79歳で忽然と逝去されました。丁度2か月前の本年1月31日,山梨医科大学医学会創立十周年記念式典で初代会長としての功労賞を受賞されたとき,お元気なお顔を拝見したのが最後となりました。昭和38年新潟大学教授から東大教授としておもどりになり,昭和52年停年退官までの東大時代14年間と,その後山梨医大創設準備室長から学長退官の平成4年までの山梨医大時代15年間の大部分の長きにわたって直接御指導いただいた弟子として,先生の思い出を振り返り追悼文とさせていただきます。
先生はすべてのことに慎重で細心の注意をはらわれ,どんなことにも全力でことに当たられました。東大に赴任されてまもなくの頃,恐らく新潟時代に執筆された長文の綜説原稿の,数百に及ぶ引用文献のリストを私に手渡され,図書館へ行って頁数の最初と最後に誤りがないか確かめるよう仰せ付かりました。当時はコピーも普及してなく,あっても引越でどこかに紛れ込んだものと思われます。毎日図書館に通い文献にあたりながら,入局2年目の新人にとって労多くしてその意義がもうひとつ理解できませんでした。しかし後年,自分で論文を書き,他人の論文を参考にするようになって,引用文献の正確さが重要であることがわかり,これを肝に銘ずるようになりました。
先生はすべてのことに慎重で細心の注意をはらわれ,どんなことにも全力でことに当たられました。東大に赴任されてまもなくの頃,恐らく新潟時代に執筆された長文の綜説原稿の,数百に及ぶ引用文献のリストを私に手渡され,図書館へ行って頁数の最初と最後に誤りがないか確かめるよう仰せ付かりました。当時はコピーも普及してなく,あっても引越でどこかに紛れ込んだものと思われます。毎日図書館に通い文献にあたりながら,入局2年目の新人にとって労多くしてその意義がもうひとつ理解できませんでした。しかし後年,自分で論文を書き,他人の論文を参考にするようになって,引用文献の正確さが重要であることがわかり,これを肝に銘ずるようになりました。
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