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雑誌目次

雑誌文献

臨床外科1巻2号

1947年02月発行

雑誌目次

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坐骨神經痛

著者: 近藤銳矢

ページ範囲:P.1 - P.9

第45囘日本外科學會宿題報告要旨
         緒言
 坐骨神經痛が平素臨牀醫家の診療對象となる機會は頗る多い。元來坐骨神經痛にしても腰痛にしても,單に一症状に對する呼稱に過ぎないにも關らず,實地上恰も疾患名であるかの如き錯覺の下に取り扱はれ,從來兎角其の發痛原因の究明は等閑に付され,治療に關しても悉く對症的,姑息的療法に終始してゐたかの觀があり,從つて其の治療成績に至つても,我々を滿足せしむるに足るものが無かつたのである。我々は豫て産業醫學的に本問題の重要性を痛感し,斯る疼痛のため減殺乃至喪失せしめられたる肉體的作業能力の恢復を如何に企圖すべきかといふ見地から,本問題の再檢討を企て,其の原因を探索して外科的立場から是れに對する根本的對策を講ずることにより其の治療成績の改善を計り度いと考へた次第である。
 さて坐骨神經痛或は腰痛を主訴とする患者につき我々が手術的に處置した症例は總計185例に上つてゐる。此の症例は昭和14年4月以降昭和21年3月末に至る滿7年間の經驗である。

骨移植

著者: 河村謙二

ページ範囲:P.11 - P.22

第45囘日本外科學會總會       宿題報告要旨
         緒言
 茲に余の報告せんとする骨移植に關する研究は,教室員諸君の協力の下に余自身の行つた實驗各種,並に余自身が稍々新たなる構想の下に行ひ始めてから後の骨移植術119例を基礎としたものである。
 而して茲に報告し,論究しようとする所は骨移植手術の技術的方面ではない。骨移植法の目的達成と革新進歩とを目的とし,新たなる構想の下に實驗的に檢討を加へた基礎的事項に就いての報告である。以下各章に於てその成績の概略を拔萃することゝする。

顎整形手術に就て

著者: 松木正直

ページ範囲:P.23 - P.27

 顎骨の手術は從來よりこれを專門的に取扱つている者は少ないと思ふから,茲にその概略とその特長を述べて諸賢の御參考に供したいと思ふ。

頸動脈腺の外科

著者: 中山恒明

ページ範囲:P.29 - P.33

 當外科教室に於て頸動脈腺剔出手術が未だ本邦に於ては勿論の事歐米諸國に於ても全く發表を見ない,植物神經機能失調症患者に著效ある事を發見し特に特發性脱疽患者の激痛をこの頸動脈腺剔出に依り直に除去し得る事實を臨床的に證明して東京外科集談會に發表したのは昭和17年11月である,爾來この頸動脈腺に就いての各種の實驗的研究を施行して居る。他方各種疾患に對しての本腺剔出症例は今日では156例で232箇の本腺剔出標本を得て居る。著者等の發表後今日までに追試報告も十指に餘る程出て居るが其のいづれもが本手術が臨床的に著效あるを認め,余等の主張の眞實を裏書して居る事は著者等の非常なる喜びと感ずる所であると共に著者は其の本態竝に作用機轉の究明に對して一層の責任を感じて居る次第で現在鋭意其の研究に沒頭して居る。抑々本腺の發見は1743年ハツレル,タウベ兩氏に依るもので1862年ルシンカ氏が解剖學的に詳細に記載してから相次いで或は本腺の構造竝に血管の状況に就いて又は神經支配,クローム親和細胞の有無及び内分泌との關係に就いて又血壓呼吸の調整機關として又は化學物質の感受帶として解剖學的に又は生理學的に特に本腺の機能に就いて種々の發表があるが一方猶不明の點が多々ある。教室に於ても其れ等の諸點に對して實驗的に研究を行つて居るが其の一々を茲に述べる事は複雜且難解となるので臨床的に意義ありと思はれる點竝に臨床に就いて簡單に述べる。

慶大外科臨牀に於ける横隔膜下膿瘍の統計的觀察

著者: 一川泰彥 ,   加藤〓

ページ範囲:P.35 - P.38

緒論
 横隔膜下膿瘍は1832年Cruveilhier氏により初めて發見せちれて以來,外科的に取扱はれBanard,Piquand,Nather氏等,又吾國に於ては桂,牛田,寺内,秋山氏等の報告があるが,その診斷,治療は容易ではなく豫後も不良なる場合が尠くない。又,熱帶地と異りアミーバ赤痢の稀有な日本々土に於ては,その症例も比較的尠いので茲に大正9年より昭和18年に至る24年間に當外科學教室に於て經驗せる14例に就て統計的觀察を試み諸賢の叱正を乞ひ,將來の研究に資せんとする次第である。

文獻抄録

ページ範囲:P.70 - P.75

The Journal of the American Medical Asseoiation
128卷2號(1945年5月12日刊)
甲状腺中毒症のThiouracil療法

集會

ページ範囲:P.76 - P.77

外科集談會
〔第450囘〕昭和21年9月20日
 1. S状結腸間窪ヘルニアの2例 白井  喬
 2. 小腸軸捻轉症の2例     岩月 賢一

醫局便り

ページ範囲:P.78 - P.79

東京帝國大學醫學部都築外科醫局
 1年ばかり前は多數の熱傷やら戰傷をかかへこんで56名の醫局員が皆泊り込みで働き,その中に多少の意義と張合ひとを見出し,又其處に據り所を求めてゐた。然し今は大部分の復員を終つて何をなすともつかない50名近くが狹い醫局に犇き合つて,お互に食へない食へないと言つてゐるが,といつて食へる方便を考へるでもない,内のトマトはどうの,南瓜がいくつ結實したのといふ事などばかり口角に泡して熱論してゐる。此は何處の醫局でも或は日本全體に見られる現象かも知れない。それにしても戰前に比べて見て醫員が餘りにも功利的利己的になり過ぎてはゐまいか。今こそ新しい傳統が創造さるべきであらう。
 吾々の教室では疎開取毀しの病室研究室の修理が一應出來て,この3個月ばかり毎日汗と埃にまみれて移轉し漸く此も片付いて佐藤外科以來40年の古巣に舞ひ戻つた。病室は80になり研究も軌道にのらうといふ所で,都築教授が卒然退官された。フランクに言つて此は吾々に思ひ設けぬ大打撃であつた。然し又正直な所,或は豫想されたかも知れない混迷は何ひとつ起らず,大槻教授・木本助教授の分擔指導で整然たる秩序が保たれてゐる。此は先師都築教授の愼重な配慮に負ふ所であるが,吾々は又長い歴史傳統の強味を痛感する次第である。

瀨尾貞信教授を悼む

ページ範囲:P. - P.

 千葉醫科大學教授正三位勳二等醫學博士 瀨尾貞信氏は半歳の間病魔と鬪ひ遂に起たず去る10月5日溘焉として薨去された。
 吾が邦に於ける有數の外科學者として又優れた教育家として,尊敬と仰慕とを一身に受けて居られた教授を失ふに至つたとは洵に學界としても醫界としても痛恨の限りである。

臨牀講義

胃潰瘍による穿孔性腹膜炎

著者: 木本誠二 ,   星野智雄

ページ範囲:P.39 - P.41

 (第1囘講述)。
 患者29歳女。
 家族歴祖父母に就ては母系の祖母が63歳の時胃病で死亡した外不詳。父は60歳の時腦溢血で死亡,母は60歳で健在であるが2年前と今年春と二囘胃痙攣を起したことがある。同胞11名中姉1人敗血症により,妹1人3歳の時榮養不良により死亡したが,それ以外健在。夫37歳健康。四子を擧げ長女が9歳の時百日咳で死亡した外何れも健康である。

臨牀例

胃癌の一家系に就て

著者: 松倉三郞 ,   若山力

ページ範囲:P.42 - P.44

 腫瘍が家族的に發生することは昔から知られて居り殊に惡性腫瘍に就ては詳細に調査されて居る。文獻上有名なものを二・三拾つて見ると。
 Warthinの調査したG家の家系では146人中28人に癌が證明されその癌發生率は全人員に對して19%,大人の總數88人に對しては31%となつて居る。これを臟器別にすると28例の癌腫中15例は消化器系統に,12例は子宮に,1例は卵巣に原發したものである。

原子爆彈傷の虹波治驗例

著者: 土橋秀孝

ページ範囲:P.44 - P.49

緒言
 今次大戰に始めて出現せる原子爆彈はそれ自體有史以來始めての出現であるだけに,これに依る傷害も全く獨自のものであつて,それか及ぼす作用及び影響はこれまで何れの文獻にも見當らぬ特異的のものであるが,患者發生以來諸家の各方面に亙る研究の結果漸次その全貌を明らかにしつつある現状である。現在までに判明してゐる諸症状の中の一つは1922年W. Schultz氏に依り始めて記載された顆粒白血球消失症(Agran alocytose)のそれに非常なる類似點を持つてゐるといふことである。余は最近原子爆彈に依る患者の中外見上何等の損傷なく,しかも上記顆粒白血球消失症と殆ど同樣な症状を有する2例に遭遇し,これを特殊藥「虹波」にて處置し完全に治癒せしめ得たので,此處にその詳細を報告する。

胸壁腫瘤を主訴とする胃癌の1例

著者: 天野信一

ページ範囲:P.49 - P.53

緒言
 胃穿孔は胃潰瘍の場合は決して珍しいものではないが,胃癌の穿孔は比較的稀なものである。
 私は最近,胸壁の有痛性腫瘤を主訴とした患者に於て,それが胃の潰瘍癌の體壁への被覆性穿孔の結果,穿孔部より胸壁に癌組織が連續的に發育して腫瘤を形成した1例を經驗したので,茲に報告する。

外傷性破裂により發見せられたる大網膜嚢腫の1治驗例

著者: 首藤正行

ページ範囲:P.53 - P.56

緒言
 大網膜嚢腫に就ては西歴1851年W. T. Gairderが屍體剖見によりその44例を發見せるを以て嚆矢とし,本邦に於ては皇紀2562年村田氏の報告を以て先驅とす。爾來現今に至るまで數多の症例に接したが大槻氏の調査に依るに(昭和15年)泰西に於て約100餘例,本邦に於て11例を算する程度で本症患者が臨牀醫家を訪れるは稀だといへる。
 余は,腹部に外傷を被り腹痛を主訴とせる患者に開腹術を施し,大綱膜嚢腫を發見した。本症の術前診斷は他の腹部腫瘍と同樣に困難なるは周知の事實である。患者は受傷當日に至るまで全く自覺症状を缺如し,家人も亦腹部の膨隆に氣付かなかつた。斯る經過を執つた1症例に遭遇したので茲に報告せんとするものである。

乳兒幽門狹窄症の1治驗例

著者: 相澤八郞

ページ範囲:P.57 - P.63

1. 緒言
 乳兒の幽門狹窄症は1717年Blairの最初の報告以來歐米に於ては相當多數の報告が見らるるも本邦に於ては割合に少なく,特に外科的治療を要するが如き重症は比較的稀の樣である。本症は其の原因を幽門筋の肥厚の如き器質的障碍に因るものと,幽門筋の痙攣の如き機能的障碍に因るものとに大別せられ,此の中器質的障碍に因るものが外科的治療の對象となるものである。
 本症の治療は小兒科的に行ふ可きか,又は外科的に行ふ可きかは議論の有るところであるが,兩治療法の比較檢討報告者の多くは漸次外科的療法の優秀確實性を認めつつある樣である。本邦に於ては其の重症例の少き爲か專ら小兒科的療法によるもの多く,本邦にて外科的療法を施行せるは昭和9年坂内氏の例を嚆矢とし爾後20數例の報告を見るに過ぎず,而かも其の治驗例は僅かに10例である。最近我教室に於て定型的の乳兒幽門狹窄症にて小兒科的治療では治らなかつた一重症例に外科的手術を行つて全治せる一経驗例を得たので之を報告し,併せて聊か本症の外科的治療に就て述べてみたいと思ふ。

醫學談叢

戰爭中の獨逸の想出

著者: 小林一郞

ページ範囲:P.65 - P.68

 戰爭中の獨逸の醫學といふ註交だが在獨短期間であり,所謂伯林戰線の空襲下のことで勉強も意の如くならず,且日誌帳を初め苦心して集めた書籍資料等全部を失つたので,記憶をたよりに戰時中の獨逸の生活を中心に述べさせて載き度い。
 長い旅行のあと私が伯林へ着いたのは1943年10月下旬で,薄陽のもれるTiergartenを散歩すると,優美なRosengartenの晩い薔薇や之をとり卷く黄葉が如何にも崩れ行くものの哀れな美しさをとどめて居たが,果然11月から開始された大空襲の連續で,端麗な伯林は勿ちにその昔の俤を失つてしまつた。其の頃の伯林での話題はAlarm(警報)とKaputt(破壞)とausgebombt(これは適譯が無いだろうと思つたら戰災に會ふといふ語を教へられた)の三つに盡きる樣だが,私も伯林着早々ausbombenされ,當時輕工業に對する統制が極度に巖しく,洗面用具,スリツパ,カラーボタン等の日用品が全々姿を消し,之を調達するのに非常に苦心したのでそれ以後は少く共洗面道具だけは常時手提カバンに入れて携行することにした。避難先のGrünewaldではすぐ上の階迄燒失したので,植物園の附近に轉居,此處のVillaでは庭先に2噸の大型爆彈(幸に盲彈だつた)が落下したので,途に思ひ切つて伯林郊外のRangsdorfに疎開し此處で比較的安全に生活が出來た。伯林の爆撃は東京に比べて爆弾が多かつたが在留邦人約300名中戰災による死亡者は僅に1名で,負傷者も數名に過ぎなかつた。當時在獨醫師は交換教授の八田(温泉),古森(外科)博士,陸軍より北條(細菌),梶浦(内科),菊地(眼科)博士,海軍より私の合計6名に過ぎず,皆最後迄伯林に踏み留つて勉張してゐた。

痲醉藥エーテル百年祭

ページ範囲:P.68 - P.69

 去る10月の半ば米國ボストン市のMassachus—etts General Hospitalで2000人からの醫學者が集つてエーテルが麻醉藥として初めて世に生てから百年になるのを記念祝賀した。即ち1846年10月16日に年の若い一齒科醫のモルトン氏(Will—iam. T. G. Mo ton)が,この病院で初めて外科手術の際にエーテルが麻醉藥として有效であることを一般に供覽した。その時から今年は丁度百週年に當るのである。その記念の祝典は3日間に亙つて擧行された。當日ハーバードー大學醫學部の麻醉學の教授のHenry K. Beecher博士はこの會を代表して「手術の際の無痛法即ち麻醉法の發見は恐らく人類にとつて最大の又最も獨創的な發見であつた……若しも一撃にして人類世界の苦難を拭ひ去られた云ふ事實があつたならば臨床的に麻醉法の行はれたと云ふ事實よりも大なるものはないであらう」と云つてる。尚同博士はヱーテル麻醉に關聯してその種々の使用法に就て述べてるが,エーテル痲醉の缺點として麻醉後の劇しい嘔氣,エーテル,マスク使用の不便,時に肺炎を起す樣な肺に對する刺戟性などが擧げられるに不拘今日に於ても依然として,最も簡單な唯一の痲醉藥とされて,たとひサイクロプロベイン,アベルチン,エビパンナトリウム,ペントソールナトリウム,脊髓麻醉,ノボカイン,クラーレ等の新しい麻醉藥が續々出て來てエーテルに對抗してもエーテルの優秀性は今日に至る迄百年間もその價値を保つて居るのである。」と云ひ更にエーテル痲醉法の發達,變遷,其他の麻醉法等に就て述べてる。
 因にエーテルの麻醉藥としてモルトン齒科醫に依つて發見され,使用された常時の布樣を當時のBoston Evening Journal紙の記者,AlbertTenney氏が1846年10月17日の紙上に報道してゐるのを拾つて見ると「昨朝,齒科醫モルトン,ドクトルは……病院に來て,頸部より腫瘤を摘出する手術を受けんとする患者を眠らす爲めに特別の藥を與へた……患者は少しも苦痛ある症状を示めさなかつた……患者は何事が起つたか全然知らなかつた様であつた」と報道して居る。なほ當時の模様は有名な畫としてモルトンや手術者ワラン竝に立會つた56名の醫者達を描いて居るが,その他の記録としてこの26歳の青年齒科醫モルトン氏が,マサチユーセツのヂエネラルボスビタルで患者の口に無色の芳香性の液體,當時それが何んである’か知らない液體の入つた瓶に附屬した管を患者の口に入れて,患者に深く規則正しく呼吸する樣に命した,そして患者は眠つた,そこで直ちにフロツコートを着てしかつめらしく手術する外科醫John C. Warren氏が頸から腫瘤を摘出した。手術を見物して居つた人々即その大部分はハーバード大學の醫學生であつたが患者が手術臺の上で手術中に轉々反側したり呻吟したり爲ないので非常に驚いた。又手術者であるこの容易に物に動じないワラン氏も非常に驚いて。見物の人々に向つて「諸君,これは決してゴマカシではありません」と云はざるを得なかつたそうである。

基本情報

臨床外科

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1278

印刷版ISSN 0386-9857

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