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随筆
それからそれ(その3)—小林一三さんと私
著者: 青柳安誠
所属機関:
ページ範囲:P.376 - P.377
文献購入ページに移動 『東宝』というのが,もし東京宝塚劇場を略しての言葉であるとすれば,これは私の父がこの世に残した,生命のある唯一の遺物であろう.何十冊か書いた性や女性研究の書物よりは,たしかに後年まで残るものと思われる.
父は,浅草のオペラを愛し,自らペラゴロを以て任じ,『ペラゴロ草紙』などという著書もあるが,同時に宝塚少女歌劇の創立当時からのフアンであつた.最近評判をとつた朝日新聞紙の,新・人国記秋田県の巻で,私のこともちよつと紹介してあつて,その中に『父の有美は文学者で宝塚少女歌劇の創始者の1人だつた』と記されてあるが,これは誤りで,父は宝塚少女歌劇の単なるフアンに過ぎなかつたのである.
父は,浅草のオペラを愛し,自らペラゴロを以て任じ,『ペラゴロ草紙』などという著書もあるが,同時に宝塚少女歌劇の創立当時からのフアンであつた.最近評判をとつた朝日新聞紙の,新・人国記秋田県の巻で,私のこともちよつと紹介してあつて,その中に『父の有美は文学者で宝塚少女歌劇の創始者の1人だつた』と記されてあるが,これは誤りで,父は宝塚少女歌劇の単なるフアンに過ぎなかつたのである.
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