文献詳細
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文献概要
人工弁研究の歴史は,心臓外科の黎明期にあたる1952年頃にさかのぼる.機能の廃絶した心臓の弁膜を何らかの形でこれに代わる機能を有する人工弁をもつて,機能を正常に近づけようとした.この試みはHufnagelのBall弁をもつて研究の門が開かれた,その後,Ball弁の改良,大動脈弁のHomograftを用いた実験と臨床,Leaflet Valveの研究が盛んに行なわれる様になつた.
1960年から1962年頃にかけては,Leaflet Valveが脚光をあびた.これはTeflonの布を用いたもので,Teflonの布が柔かく,天然の弁に近い型を作ることができ.天然の弁の機能に近かつたからである.しかし,1963年の中期になると,TeflonのLeafletValveに批判の声が出てきた.すなわち,弁の穿孔,弁の萎縮,弁の肥厚による弁機能の脱落である.最も多くLeaflet Valveを使用していたClevelandのE.B.Kayも1964年には多くの欠点を見出して,Ball弁を使用するに至り,TeflonによるLeaflet弁は全く用いられなくなつた.それに代つて脚光をあびて来たのがBall弁である.
1960年から1962年頃にかけては,Leaflet Valveが脚光をあびた.これはTeflonの布を用いたもので,Teflonの布が柔かく,天然の弁に近い型を作ることができ.天然の弁の機能に近かつたからである.しかし,1963年の中期になると,TeflonのLeafletValveに批判の声が出てきた.すなわち,弁の穿孔,弁の萎縮,弁の肥厚による弁機能の脱落である.最も多くLeaflet Valveを使用していたClevelandのE.B.Kayも1964年には多くの欠点を見出して,Ball弁を使用するに至り,TeflonによるLeaflet弁は全く用いられなくなつた.それに代つて脚光をあびて来たのがBall弁である.
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