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特集 私の縫合材料と縫合法 私の縫合材料と縫合法—私はこうしている
皮膚
著者: 市田正成1 塩谷信幸1
所属機関: 1北里大学医学部形成外科
ページ範囲:P.1569 - P.1573
文献購入ページに移動はじめに
形成外科の治療の目的は,外見の異常や醜状を,外科的手段をもつて正常またはできる限り正常に近づけることにあるから,手術創が目立つようでは目的に反することになる.外科手術の根本は身体の生命に拘わるような病的原因を,手術によつて取り除き,患者の生命を救うことにある.それ故,外科手術で最後の皮膚縫合というのは,大事業の後仕末に過ぎなくて,特に細心の注意を払うということはなく,「哆開して来なければよい」「閉じればよい」ということであろう.現在も大半の外科医はそう考えておられると思う.
しかし,患者というものは勝手なもので,生命に拘わる病気で大手術を受けて,命を助けてもらい,健康体を取り戻せば,生きるか死ぬかの病気の苦しみは忘れてしまつて,今度は手術創痕を見て暮すのである.そして今度は手術創の醜状について悩むことになる.人間の欲は限りのないものであるから,それはそれで仕方のないことであると思う.「生命を助けてもらつて何を言うか」という意見の医師が大多数であろうと思うが,それはあくまで医者本位の考えにすぎない.そこに外傷や手術創の瘢痕の醜状を最小限にとどめようとする形成外科的手技の意義が生れて来る訳である.
形成外科の治療の目的は,外見の異常や醜状を,外科的手段をもつて正常またはできる限り正常に近づけることにあるから,手術創が目立つようでは目的に反することになる.外科手術の根本は身体の生命に拘わるような病的原因を,手術によつて取り除き,患者の生命を救うことにある.それ故,外科手術で最後の皮膚縫合というのは,大事業の後仕末に過ぎなくて,特に細心の注意を払うということはなく,「哆開して来なければよい」「閉じればよい」ということであろう.現在も大半の外科医はそう考えておられると思う.
しかし,患者というものは勝手なもので,生命に拘わる病気で大手術を受けて,命を助けてもらい,健康体を取り戻せば,生きるか死ぬかの病気の苦しみは忘れてしまつて,今度は手術創痕を見て暮すのである.そして今度は手術創の醜状について悩むことになる.人間の欲は限りのないものであるから,それはそれで仕方のないことであると思う.「生命を助けてもらつて何を言うか」という意見の医師が大多数であろうと思うが,それはあくまで医者本位の考えにすぎない.そこに外傷や手術創の瘢痕の醜状を最小限にとどめようとする形成外科的手技の意義が生れて来る訳である.
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