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桐原教授の思い出
東京時代の教授
著者: 田中義雄1
所属機関: 1國民病院
ページ範囲:P.430 - P.430
文献購入ページに移動 東海外科集談会の三つの「かなえ」の一つである然も日本的外科医の桐原教授を失つた事に誠に愛惜の念に堪えない。
私は35年前,大正3年12月24日大学卒業後,近藤外科に入つた。その翌年齊藤,桐原君等4名が入局して耒た。桐原君は教授の命により整形外科でギブスの実習を修め,以後教授のお相手は何時も桐原でなければならなかつた。も一つ桐原君でなくては,つとまらない役目があつた。それは近藤先生の胃鏡檢査の時の患者の頭持ちという,つらい役目であつた。これは桐原君もいつもこぼしておられたが,このつらい経驗から後に軟式胃鏡を用いられるようになつたと思われる。
私は35年前,大正3年12月24日大学卒業後,近藤外科に入つた。その翌年齊藤,桐原君等4名が入局して耒た。桐原君は教授の命により整形外科でギブスの実習を修め,以後教授のお相手は何時も桐原でなければならなかつた。も一つ桐原君でなくては,つとまらない役目があつた。それは近藤先生の胃鏡檢査の時の患者の頭持ちという,つらい役目であつた。これは桐原君もいつもこぼしておられたが,このつらい経驗から後に軟式胃鏡を用いられるようになつたと思われる。
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