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出血との闘い・局所止血法の歴史・3
中世
著者: 安藤博1
所属機関: 1慈恵会医科大学第3分院外科
ページ範囲:P.1259 - P.1261
文献購入ページに移動 西ローマ帝国が滅亡(476年)し,トルコ人によりコンスタンチノーブルが1453年に陥落され,東ローマ帝国が没落するまでの約1000年の間の中世は,文化と科学に関してはいわゆる「暗黒時代」ではあつたが,外科に関しての進歩と発展を僅かではあるが認めることが出来る.この時代の外科止血法についての歴史的事項に関して記述する.
東ローマ帝国の首都ビザンチンでコスティニアン1世の侍医を勤めていたメソポタミアのアミダ出身のアエティオス(AetiusまたはAetios,503〜575)は,出血は焼灼で止血していたという記事がある.
東ローマ帝国の首都ビザンチンでコスティニアン1世の侍医を勤めていたメソポタミアのアミダ出身のアエティオス(AetiusまたはAetios,503〜575)は,出血は焼灼で止血していたという記事がある.
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