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文献詳細

雑誌文献

臨床外科44巻8号

1989年08月発行

文献概要

表紙の心・20

—モンペリエ出身の国王付外科医—ラ・ペイロニーの坐像

著者: 大村敏郎12

所属機関: 1川崎市立井田病院外科 2慶応義塾大学医史学

ページ範囲:P.1099 - P.1099

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 南仏の医学の都モンペリエからは歴史上様々な活動を残した医師や外科医が育った.古くはギー・ド・ショリアク(Guyde Chauliac,1298?〜1368)がいる.ペストの大流行の中アヴィニオンの街中にふみとどまって黒死病の病態を記載した資料を残し,モンペリエでは解剖と外科を教え,晩年には「大外科学」(Chirurgia magna,1363年)を書いた.この著作はラテン語だが,フランス語訳は「ギドン」(Guidon,1478年)として伝わり,アンブロアズ・パレ(Ambroise Paré,1510?〜1590)が外科を学ぶうえに大きな役割を果した.「ギドン」という書名にはギーという人名とガイド(案内)という言葉が掛け言葉として使われている.
 16世紀で最も著名なのはフランソア・ラブレー(FrançoisRabelais,1494〜1553)であろう.文豪として1530年代に「パンタグリュエル物語」や「ガルガンチュア物語」を書いたことは知られているが,はじめパリで僧侶としての修業を積み,その後モンペリエの医学部を卒業している.パリより自由なルネサンスの気風の高いこの土地を求めてきたのであった.ラブレーについては次号で触れる.

掲載誌情報

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN:1882-1278

印刷版ISSN:0386-9857

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