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文献概要
メディカルエッセー 『航跡』・14
カナダ横断30日間講演旅行(1)—バンクーバーからカルガリーへ
著者: 木村健1
所属機関: 1アイオワ大学医学部外科
ページ範囲:P.1310 - P.1311
文献購入ページに移動 成田発のカナディアンパシフィック航空でバンクーバーに着くとグラハム・フレージャー博士夫妻が出迎えてくれた.1983年の9月初旬のバンクーバーは,まるでニッポンの11月のような気候であった.ここカナダの西の端から東のハリファックスまで5,000km,1か月に及ぶカナダ横断講演旅行の始まりである.丘の上からバンクーバーのダウンタウンを見下すホテルのペントハウスが予約してあった.最上階にあるペントハウスは,特別なキーをエレベーターの鍵穴に差し込まない限り到達できない仕組みになっている.降りたところがペントハウスのフロントになっていて,どこかから監視しているのであろう,その前に立つと金髪の美女が「ドクターキムラ,ようこそいらっしゃいませ」と名前を呼んで迎えてくれた.案内された部屋は特別見晴しの良いスイート.スタンダードの部屋の三倍くらいのスペースである.さぞやルームチャージも高かろうと思ったが,フレッド・マクロード講演に招かれた講師のカナダ訪問にかかる費用は,すべてマクロード家の家計で賄われると聞かされ安心した.バンクーバーの小児外科医たちのお世話になっては申し訳ないと思ったからである.
バンクーバーでホスト役をしてくれたグラハムは,当時ブリティッシュコロンビア(BC)小児病院の外科部長であった.そのグラハムの案内で小児病院を見せてもらった.北米およびヨーロッパでは多くの小児病院の建設運営は地域住民の浄財に頼っている.
バンクーバーでホスト役をしてくれたグラハムは,当時ブリティッシュコロンビア(BC)小児病院の外科部長であった.そのグラハムの案内で小児病院を見せてもらった.北米およびヨーロッパでは多くの小児病院の建設運営は地域住民の浄財に頼っている.
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