文献詳細
原著
文献概要
緒言
1836年にDonnéが病的帯下中に発見して以来腟トリコモーナスTrichomonas vaginalis (以下腟トと略)に関しては臨床的にも基礎的にも数多くの研究が行われている。今世紀の初めにHoe-hneが本原虫の病原性を指摘して以来,病原性の問題とそれに附随して本症の治療の問題が臨床家の論議の焦点であつた。また実験的にこれ等の問題を解決しようとする試みから,この原虫を培養することが強く要望され多数の試みが行われて来た。本原虫を最初に培養した記録は1915年のLy-nchによるものであろうが,それは未だ至つて幼稚な技術によるもので,厳密には培養とは言い得ぬものであると思える。後にLynch (1922)は人血清1部と食塩水10部との簡単な組成の培地を用いて本原虫と口腔寄生のT.tenaxと腸管寄生のT.hominisとの3種の培養による種の鑑別を実験している。これが正確には本原虫培養の最初と云えよう。而してこの方法は極めて不確実なものであつたが,1925年にBoeck and Drobohlav (1925),翌年にDobell and Laidlow (1926)が赤痢アメーバの培養に好適な培地を夫々発表し,これ等がトリコモーナス類の培養にも充分満足すべきものであることが判明して以来,腟トの培養には専らこれ等の培地とそれに類似の組成を持つものが用いられている。
1836年にDonnéが病的帯下中に発見して以来腟トリコモーナスTrichomonas vaginalis (以下腟トと略)に関しては臨床的にも基礎的にも数多くの研究が行われている。今世紀の初めにHoe-hneが本原虫の病原性を指摘して以来,病原性の問題とそれに附随して本症の治療の問題が臨床家の論議の焦点であつた。また実験的にこれ等の問題を解決しようとする試みから,この原虫を培養することが強く要望され多数の試みが行われて来た。本原虫を最初に培養した記録は1915年のLy-nchによるものであろうが,それは未だ至つて幼稚な技術によるもので,厳密には培養とは言い得ぬものであると思える。後にLynch (1922)は人血清1部と食塩水10部との簡単な組成の培地を用いて本原虫と口腔寄生のT.tenaxと腸管寄生のT.hominisとの3種の培養による種の鑑別を実験している。これが正確には本原虫培養の最初と云えよう。而してこの方法は極めて不確実なものであつたが,1925年にBoeck and Drobohlav (1925),翌年にDobell and Laidlow (1926)が赤痢アメーバの培養に好適な培地を夫々発表し,これ等がトリコモーナス類の培養にも充分満足すべきものであることが判明して以来,腟トの培養には専らこれ等の培地とそれに類似の組成を持つものが用いられている。
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