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ヒューマンバイオロジー--臨床への展開 体外受精 体験を語る
体外受精成功へ向けて
著者: 泉陸一1 長阪恒樹1
所属機関: 1富山医科薬科大学産科婦人科学教室
ページ範囲:P.806 - P.807
文献購入ページに移動 従来の不妊症治療に限界を感じていたわれわれにとって,また絶望の淵に立たされながらも諦めきれなかった患者にとっても,諸外国での体外受精成功のニュースは衝撃的であった。そこでわれわれは昭和57年4月からプロジェクトチームをつくり,ハムスター,マウス,家兎などを用いて培養系の安全性を確認しつつ,われわれなりの綱領を作製し,内外の理解と協力を得るよう努力を始めた。
昭和58年5月に体外受精ならびに胚移植に関する基本方針(表1)および条件と適応(表2)が富山医科薬科大学附属病院運営会議において承認され,臨床応用が開始可能となった。しかしながら,同年3月に東北大学附属病院における本邦初成功例に対する過剰反応とも思える社会の反響を目の当たりにしたため,より閉鎖的地方と思われる当地での深い理解を得る必要があると感じ,不妊症および体外受精についての概略を地方紙に10回シリーズで掲載した。また9月の大学祭には「受精現象」がテーマに取り上げられた。当時はどこへ行っても,見知らぬ人達から不妊症や生命の神秘などについてよく話しかけられたものである。
昭和58年5月に体外受精ならびに胚移植に関する基本方針(表1)および条件と適応(表2)が富山医科薬科大学附属病院運営会議において承認され,臨床応用が開始可能となった。しかしながら,同年3月に東北大学附属病院における本邦初成功例に対する過剰反応とも思える社会の反響を目の当たりにしたため,より閉鎖的地方と思われる当地での深い理解を得る必要があると感じ,不妊症および体外受精についての概略を地方紙に10回シリーズで掲載した。また9月の大学祭には「受精現象」がテーマに取り上げられた。当時はどこへ行っても,見知らぬ人達から不妊症や生命の神秘などについてよく話しかけられたものである。
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