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文献概要
連載 病院めぐり
佐久総合病院
著者: 仲井育子
所属機関:
ページ範囲:P.877 - P.877
文献購入ページに移動 当病院が設立されたのは1944年1月,太平洋戦争末期で,医師1人,看護婦1人,全スタッフ7人の体制で診療を開始しています.農村医学で名を知られる若月俊一が赴任したのが1945年3月ですが,以後,先駆的な医療活動を精力的に行い,地域の基幹病院として約1,000床を有する規模になり,1994年に50周年を迎えました.診療科は27科,一般病床数705床,精神科112床,感染4床,そのほかに診療所,老人保健施設を持っています.また関連施設として看護専門学校,農村医学研究所,健康管理センター,農村保健研修センター,東洋医学研究所,在宅介護支援センターなどがあります.臨床研修指定病院,救命救急センター,僻地中核病院,地域医療災害センター,エイズ治療拠点病院などに指定されています.
産婦人科の開設は1948年11月で,現在52床を4人の常勤医(2人は信州大学からの派遣)で運営しています.開設当初の診療統計は不明ですが,月に1~2例の分娩,手術が細々と行われていたようです.統計記録開始の1960年の分娩は54例でしたが,全国的な施設内分娩への移行に伴い,当院でも1967年には602例と急増し,1982年には1,080例に達しました.その後しばらくは1,000例あまりで推移していましたが,出生率低下の影響を受け漸減し,1990年は836例,1995年は742例,2000年は688例と減少し,2003年は633例にとどまりました.しかしハイリスク妊娠・分娩が着実に増加し,1980年代に3~4%だった帝王切開率は1990年代前半には5~6%になり,ことに最近数年の上昇は著明で,この2年間は11%台になっています.3次救急を扱っている施設としては低いほうですが,これは小児科の多大な支援によるものです.通常の新生児室回診,異常分娩(胎児仮死,骨盤位,帝切時など)の立会いを受けてもらっています.また緊急帝切が多いため麻酔科や手術室の協力も大きな力になっています.より安全な周産期管理に留意し,一方,リスクの低い多くの妊婦さんにはできる限り自然な経過で納得のできる分娩になるように,慎重に見守っていきたいと考えています.
産婦人科の開設は1948年11月で,現在52床を4人の常勤医(2人は信州大学からの派遣)で運営しています.開設当初の診療統計は不明ですが,月に1~2例の分娩,手術が細々と行われていたようです.統計記録開始の1960年の分娩は54例でしたが,全国的な施設内分娩への移行に伴い,当院でも1967年には602例と急増し,1982年には1,080例に達しました.その後しばらくは1,000例あまりで推移していましたが,出生率低下の影響を受け漸減し,1990年は836例,1995年は742例,2000年は688例と減少し,2003年は633例にとどまりました.しかしハイリスク妊娠・分娩が着実に増加し,1980年代に3~4%だった帝王切開率は1990年代前半には5~6%になり,ことに最近数年の上昇は著明で,この2年間は11%台になっています.3次救急を扱っている施設としては低いほうですが,これは小児科の多大な支援によるものです.通常の新生児室回診,異常分娩(胎児仮死,骨盤位,帝切時など)の立会いを受けてもらっています.また緊急帝切が多いため麻酔科や手術室の協力も大きな力になっています.より安全な周産期管理に留意し,一方,リスクの低い多くの妊婦さんにはできる限り自然な経過で納得のできる分娩になるように,慎重に見守っていきたいと考えています.
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