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医学の中の偉人たち・4
Anbroise Paré 近世外科学の父
著者: 飯野晃啓1
所属機関: 1鳥取大学医学部解剖学第1
ページ範囲:P.428 - P.428
文献購入ページに移動 Paréは,先月号に書いたAndreas Vesaliusとほぼ同時代に生きたフランスの外科医である.外科学上のルネッサンスを精力的に推し進めたのがこのParéであった.Paréはフランス西部のブルターニュ地方の出身であり,父は革作の職人であったと言われ,兄と義兄が理髪外科医であった.当時メスを持って身体に傷をつける外科的な仕事は不当に低く評価されており,理髪屋が外科医を兼ねていた時代が永く続いた.現在でも理髪店の目印として回っている赤青白の看板は動脈,静脈,および包帯を表しているという.
床屋の仕事をしながら外科に興味を持ったParéは,パリに出て3年間有名なホテル・ディユ病院で医療の実地修練を行った.しかし,何といっても,彼が外科医として腕を奮ったのは戦場で傷病兵の手当てをしたときであった.当時フランスとドイツとは長年にわたり戦争状態にあったが,ParéはFrancois一世に従って軍医として戦場に赴き,数多くの負傷兵,特に銃創を受けた兵士の手当てに携わった.当時銃創の治療には煮えたぎった油を傷口にかけたり,焼いた鉄棒で出血を止めるという野蛮とも言える処置が一般に行われていた.傷病者は傷のみでも苦痛なうえにさらに荒療治を受けたので,野戦病院は阿鼻地獄そのものであったと想像される.
床屋の仕事をしながら外科に興味を持ったParéは,パリに出て3年間有名なホテル・ディユ病院で医療の実地修練を行った.しかし,何といっても,彼が外科医として腕を奮ったのは戦場で傷病兵の手当てをしたときであった.当時フランスとドイツとは長年にわたり戦争状態にあったが,ParéはFrancois一世に従って軍医として戦場に赴き,数多くの負傷兵,特に銃創を受けた兵士の手当てに携わった.当時銃創の治療には煮えたぎった油を傷口にかけたり,焼いた鉄棒で出血を止めるという野蛮とも言える処置が一般に行われていた.傷病者は傷のみでも苦痛なうえにさらに荒療治を受けたので,野戦病院は阿鼻地獄そのものであったと想像される.
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