文献詳細
文献概要
コーヒーブレイク
溟(くら)い海
著者: 屋形稔1
所属機関: 1新潟大学
ページ範囲:P.586 - P.586
文献購入ページに移動 越後から越中に通ずる海岸に親不知という難所がある.この辺を通る時いつも子どもの頃絵本で見た安寿と厨子王の物語が頭に浮かぶ.この2人と母親が人買いにだまされ,彼らは丹後に,母は佐渡に売られてゆく伝承を森鴎外は史実に則しながら「山椒太夫」という名作を書いた.多分絵本には親不知の海を小舟で運ばれ切り裂かれた母子の姿が描かれていたのであろう.姉の安寿は山椒太夫に酷使されながら弟を逃がした後入水して果て,厨子王は後年国司に出世して遥か佐渡を尋ねて盲目の母に出逢うという筋である.
佐渡を望む新潟市の海岸に松林が連なり,寄居浜と呼ばれている.1977年の11月にこの辺りのどこかで当時中学1年だった横田めぐみという少女が行方不明になった.私も街角に貼られた行方不明の少女のポスターを目撃する度に,こんな可愛い子がと同情を禁じ得なかったが行方が把めぬまま時が過ぎた.事件から19年たった1996年突如朝日放送の一記者により韓国安全企画部高官から入手した北の亡命工作員の話が掲載された.そして北朝鮮工作員の拉致疑惑という形で把えられ,疑惑を経てしだいに事実となり政治問題化した.既に年老いた両親が街角で必死に協力の署名を求めたり政治家に陳情を繰り返す姿を見ているが問題は一向に解決していない.米国あたりは同胞を守るとなると強力な姿勢を示すが日本の政治家は無力と無策に映る.
佐渡を望む新潟市の海岸に松林が連なり,寄居浜と呼ばれている.1977年の11月にこの辺りのどこかで当時中学1年だった横田めぐみという少女が行方不明になった.私も街角に貼られた行方不明の少女のポスターを目撃する度に,こんな可愛い子がと同情を禁じ得なかったが行方が把めぬまま時が過ぎた.事件から19年たった1996年突如朝日放送の一記者により韓国安全企画部高官から入手した北の亡命工作員の話が掲載された.そして北朝鮮工作員の拉致疑惑という形で把えられ,疑惑を経てしだいに事実となり政治問題化した.既に年老いた両親が街角で必死に協力の署名を求めたり政治家に陳情を繰り返す姿を見ているが問題は一向に解決していない.米国あたりは同胞を守るとなると強力な姿勢を示すが日本の政治家は無力と無策に映る.
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