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追悼
佐々木匡秀先生の思い出―最後の一仕事をしよう
著者: 只野壽太郎1
所属機関: 1財団法人緒方医学化学研究所
ページ範囲:P.114 - P.115
文献購入ページに移動1981年佐々木匡秀(ささきまさひで)先生は高知医科大学,私は佐賀医科大学の臨床検査部に赴任しました.小さな大学付属病院だけに,何か特色がないと埋没してしまうと考えて出した結論は,当時の国立大学病院で,何処もやっていなかった24時間365日の検査体制を作ることでした.
ところが開院初年度の検査技師数はわずか12人,このため徹底的な検査の自動化が必要と考え,佐々木先生は手作りのベルトラインシステム,私は搬送ラインとハンドリングロボットを組み合わせた自動検査システムを開発・導入しました.佐々木先生は,当時同じように自動化に取り組んだ浜松医大の菅野剛史先生,秋田大学の故上杉四郎先生を加えた臨床検査自動化4人組を代表し,このシステムを広めるため,自作のビデオを携えて世界各国でキャンペーンを始めました.この結果,搬送ラインを組み込んだ自動分析装置は,世界中の大規模病院で,自動検査システムの無い検査室は見つけられないほど普及しました.
ところが開院初年度の検査技師数はわずか12人,このため徹底的な検査の自動化が必要と考え,佐々木先生は手作りのベルトラインシステム,私は搬送ラインとハンドリングロボットを組み合わせた自動検査システムを開発・導入しました.佐々木先生は,当時同じように自動化に取り組んだ浜松医大の菅野剛史先生,秋田大学の故上杉四郎先生を加えた臨床検査自動化4人組を代表し,このシステムを広めるため,自作のビデオを携えて世界各国でキャンペーンを始めました.この結果,搬送ラインを組み込んだ自動分析装置は,世界中の大規模病院で,自動検査システムの無い検査室は見つけられないほど普及しました.
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