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Coffee Break
鰊漁に湧き「江戸にもなかった春」を謳った江差の繁栄
著者: 佐々木禎一1
所属機関: 1元札幌医科大学附属病院検査部
ページ範囲:P.52 - P.52
文献購入ページに移動 私は北海道小樽市で生まれ,父は道南の漁村,熊石村出身であった.一方,母は同じ道南の乙部村の大きな漁場の娘として育った.それで私は小学校入学前の3年間ほど,夏は母の実家で1か月ほど過ごし,日々地元の子供達と海で過ごした楽しい想い出がある.それゆえ乙部村は私の第2の故郷と思っている.
この乙部村は江差町の10数キロ北にあり,静かな入江,緩やかな清流「姫川」,白い断崖に囲まれた美しい漁村で,松前藩時代の多くの史蹟や伝説にも恵まれていた.例えば姫川は昔蝦夷地に逃れた源義経がこの地で姫と別れ,その時の姫の涙が川名の由来になったとか,また川向こうのハマナスの咲く砂丘からは幕府軍追跡から逃れてここで倒れた松前藩士達の人骨や,武具および刀剣等がかなり発見されていたと伝えられている.また川沿いの奥地には茂った草に隠れた白崖があり,そこには貝化石が畳層して見つかり,地元では「きゃっこ(具っこ)沢」と呼んでいる.
この乙部村は江差町の10数キロ北にあり,静かな入江,緩やかな清流「姫川」,白い断崖に囲まれた美しい漁村で,松前藩時代の多くの史蹟や伝説にも恵まれていた.例えば姫川は昔蝦夷地に逃れた源義経がこの地で姫と別れ,その時の姫の涙が川名の由来になったとか,また川向こうのハマナスの咲く砂丘からは幕府軍追跡から逃れてここで倒れた松前藩士達の人骨や,武具および刀剣等がかなり発見されていたと伝えられている.また川沿いの奥地には茂った草に隠れた白崖があり,そこには貝化石が畳層して見つかり,地元では「きゃっこ(具っこ)沢」と呼んでいる.
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