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文献概要
随筆・紀行
袖振り合うも(その2)
著者: 屋形稔12
所属機関: 1新潟大学 2日本エッセイスト・クラブ
ページ範囲:P.644 - P.644
文献購入ページに移動 音楽の世界では巨人といわれた作曲家の山田耕筰さんとは浅からぬ縁があった.そもそもは戦時中に私の故郷の町に陸軍飛行学校が設けられ,数少ない開業医の父が校医を依託されたことに始まった.
耕筰氏の長男の耕一君が予備学生として入校し,人なつっこい性格でわが家に度々遊びに来るようになった.戦局が激しくなり疎開が始まると彼の頼みで耕筰氏夫人と妹さんをわが家の離れに疎開させることになった.耕筰氏は東京で頑張っていたが,一度だけ飛行学校卒業式に来てわが家にも挨拶に寄った.気さくな人柄で,「この町の町歌でも君が作詩してくれれば曲を作りますよ」などと申されたのを思い出す.私にとって大作曲家との合作の千載一遇の機会だったかもしれないが,戦局苛烈となり耕一君も南方に羽ばたき,合作も夢に終った.
耕筰氏の長男の耕一君が予備学生として入校し,人なつっこい性格でわが家に度々遊びに来るようになった.戦局が激しくなり疎開が始まると彼の頼みで耕筰氏夫人と妹さんをわが家の離れに疎開させることになった.耕筰氏は東京で頑張っていたが,一度だけ飛行学校卒業式に来てわが家にも挨拶に寄った.気さくな人柄で,「この町の町歌でも君が作詩してくれれば曲を作りますよ」などと申されたのを思い出す.私にとって大作曲家との合作の千載一遇の機会だったかもしれないが,戦局苛烈となり耕一君も南方に羽ばたき,合作も夢に終った.
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