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雑誌目次

論文

精神医学1巻11号

1959年11月発行

雑誌目次

展望

精神鑑定の理論と実際(3)

著者: 林暲

ページ範囲:P.757 - P.770

4.*** 精神機能の病的な障害 Krankhafte Störung der Geistestätigkeit
 ドイツ刑法51条の生物学的要件3項目の中心がこれであることは,すでに述べたとおりである。これはおよそ狭義の精神病,身体的過程によつて心的障害のおこつている場合を指すのであつて,分裂病,躁うつ病もその身体過程は十分に明らかでないがこれに含まれると解されている。そして明らかに狭義の精神病である場合には,原則として責任無能力とすべきであるとするのは,この場合は疾病過程によつてその心理が異質的のものとなり,正常の心理における分析を許さぬ,あるいはその必要がないからであるとされる。しかし例外的にはその程度あるいは本質によつて,責任能力を認め,あるいは限定責任能力としなければならぬこともある。これに対して次のGeistesschwäche,精神の薄弱の項で扱う精神病質,精神薄弱,欲動異常等は原則としてそれのみでは責任能力を阻却せず,その程度や外部的条件によつては,例外的に責任能力に関係する問題になる。また心因性異常反応という場合は,だいたい精神機能の病的障害に準じて扱われる場合もあるが,その状態や程度によつては,その人の性格や環境的条件によつて個別の考慮を要するものとなる。以下,診断別に具体的に実際問題について考えてゆくことにする。
 a.器質性脳疾患,とくに進行麻痺 脳の器質性障害をおこすような疾患は,実に多種多様であるが,実際に刑事事件に関係しているような場合はそれほど多いものではない。急性のも,その急性期に問題があるような時は,これは主として前項の意識障害が問題になるような場合で,これも少いが脳炎の発熱期の例や,脳震盪による意識障害の疑われた例をあげておいた。この項で問題にするのは慢性に進行する大脳皮質障害,たとえば脳動脈硬化とか,老年痴呆あるいは進行麻痺などであり,また脳炎,頭部外傷の後遺症などの場合である。

研究と報告

精神障害者のIproniazid(精神賦活剤)療法

著者: 梅根善一 ,   松島瑤子

ページ範囲:P.771 - P.780

 1)著者は,抑うつ症状を呈した11症例について,Iproniazidを使用したので,その治療経験を報告し,あわせて海外の文献を紹介した。
 2)psychic-energizerとしてのlproniazidによる療法では,重篤な肝障害という重大な副作用と,一過性の副作用をともなうので,その使用にあたつては慎重を要する。
 3)Iproniazidは,軽症のうつ病,ことに結核合併のうつ病に使用することは有効と考える。

覚醒剤中毒者の性格と中毒後の性格変化の問題について

著者: 辰沼利彦 ,   藤井澹

ページ範囲:P.783 - P.786

 いわゆるヒロポン患者をわれわれが精神病院で取扱つた経験では全般を通じて明らかに精神病状態で入院してきた患者をも含めて,彼らが在院していた期間中,かれらの著明な易怒性,爆発性,威嚇的脅迫的な言動,院内秩序に対する破壊的,妨害的な行為,わがまま,勝手な要求などにわれわれが悩まされた印象が強い。
 この印象から過去に本院に入院したいわゆるヒロポン患者を分類してみると,1)明らかに精神病状態であつてそれが消褪後は一応,院内秩序に順応した生活態度を営んでいた者,2)精神病状態であり,しかもそれが消褪後も精神病質状態のあつたもの,3)精神病質状態であつたもの,4)精神病状態もなく,平静に経過したもの,の4群となる。以下表示するとつぎのごとくである。

離人症と妄想知覚

著者: 越賀一雄

ページ範囲:P.787 - P.792

 Ⅰ.
 すでにしばしば論じたように,われわれは常に精神病理学と大脳病理学との間に橋をかけんとして,両者を時空間体験の異常という見地から考察して両者を統一的に説明しようとしているのである。
 そこでわれわれは時間と空間,あるいは内(Innen)と外(Draussen)との結合する点としての「現実」から両者をながめ,その「現実」から時間の側に脱落するところに種々の精神病理学的現象が生じ,一方空間の側に向かつて転落するところに大脳病理学的症状が結果すると考えているのである。これについては著者の「時空間体験の異常」(異常心理学講座第2巻,みすず書房)を参照されたい。誤解をさけるために強調しておかねばならないことは,われわれは決して別々に独立した存在として「精神」とか「大脳」を考えているのではなく,元来具体的に1つに結合したもの,根源的に一なる実在,現実から一方たとえば精神を抽象するときそこに脳が,脳を抽象するときそこに精神が単に考えられうるにすぎないということである。

folie à deuxの1例—病因論的考察を主として

著者: 木戸幸聖 ,   李熙洙

ページ範囲:P.793 - P.799

 精神障害,とりわけ妄想が,患者と親しい結びつきのある近親者にそのまま移入transferされ2人が同じ内容の妄想をもち,互いに支持しあい分ちあう場合,folie à deuxといわれる。この現象は1877年にLasègue,Falretによつてはじめて記載されたが,以来,Induziertes Irresein,contagion mentale,induced psychosis,associated psychosisなどの名でよばれ,成書には反応性精神病としてとりあつかわれている。そして,病因の特異な点や集団的な行動の異常性などから注目をひき,欧米の文献には比較的多数の報告例があり,ことに最近ではGralnickなどによつてfolie à deuxの概念の再検討もはかられている。しかしわが国では,ふるく昭和3年,杉原氏の「感応性精神病ノ知見補遣」と題する論文があるだけで,その後には,症例の報告や新しい概念の紹介もないようである。
 われわれは,定型的な本症例を経験する機会をえたので,妄想発展の様相をあとづけ,加えて病因論的検討を試みたい。

A 57型インフルエンザ流行期に続発した脳炎と思われる症例について

著者: 市川康夫 ,   平田一成 ,   新井寿枝 ,   酒井正雄

ページ範囲:P.801 - P.806

Ⅰ.まえおき
 わが国の過去の脳炎流行を振返つてみると,まず1918年のいわゆるスペイン風邪の世界的流行に引続いて起つたEconomo型類似脳炎の多発が挙げられる。文献によると,それは,若年者に多く発病し,経過は緩慢または潜在性で,多くは嗜眠状を呈し,複視が認められ,脳膜症状は軽度であつた1)2)3)4)。それらは,「嗜眠性脳炎」の流行として記載されたが,その病原体に関しては不明のままである。また周知のように1948年には,東京を中心として日本脳炎の全国的流行がみられた5)。ところで日本脳炎とEconomo型脳炎との異同については,Economo型脳炎の病原が不明であり,その後この型の脳炎の流行をみないので,今日未解決のままである。しかしいずれにしても臨床的には両者の病像はかなり異つているとされている5)6)。すなわち流行期によつて多少の差はあるが,Economo型脳炎が成年者を侵すのに対して日本脳炎は小児と老人に好発し,経過は遙かに急激で,1週間前後の高熱期を有し,意識溷濁がより強く,譫妄と昏睡が認められる。またEconomo型脳炎と異つて眼症状は軽度で,複視はまれであつて,脳膜症状が比較的著明である。流行状態は,Economo型が小流行であるのに対し,日本脳炎はしばしば大流行を示す。以上がわが国の流行性脳炎のおもなものであるが,その他に地域的な日本脳炎の流行,季節はずれの日本脳炎の散発,ポリオヴィルスによる脳炎の発生,また冬季の脳炎の散発7)などが報告されている。ところが独逸でも最近インフルエンザ流行に一致して多発した脳炎の臨床報告8)があつたが,それはわれわれの経験に甚だ近いものであることは面白い。
 さて,周知のように1957年の春から秋にかけてA57型インフルエンザの全国的流行があつた。この流行と時を同じくして脳炎の疑いのおかれる患者が多数発生したとみられるが,われわれはこの時期にかなり著明な精神症状を呈する患者を少なからず診察する機会をえた。これら患者の多くは,急性期にはインフルエンザと診断され内科的に治療されたにもかかわらず,月余にわたつて精神神経症状が治癒せず,当科を訪れるにいたつたものである。これら患者のある者では,長期間にわたつて,幻聴,幻視,妄想などが前景に出て,自閉的で寡言,顔貌は硬く,支離滅裂で一見精神分裂病を想わせるほどであつた。こうした極端な例はそれほど数多くはなかつたが,これらの患者とインフルエンザ流行との関連は,われわれのヴィルス学的追求が満足とは言えないながら,多くの示唆を含んでいた。われわれは,これらの経験を過去の流行性脳炎の臨床と比較しながら,二,三の考察を加えてここに報告する次第である。

筋肉弛緩剤Succinylcholine Dichlorideを用いた電撃療法の経験

著者: 阪本健二 ,   阪本正男

ページ範囲:P.807 - P.809

 近年欧米においては骨折を防止するため筋肉弛緩剤を用いた電撃療法が発達し広く行なわれているが,この種の事故の少いわが国ではいままでほとんどかえりみられることがなかつた。しかし筋肉弛緩剤を用いるといままで禁忌とせられていた高令,結核,骨折などの患者にも電撃療法を加えうるので,ここに先進者達の方法を紹介するとともにわれわれの経験につき記述する。
 1940年米国に電撃療法が紹介されてから国民の体位が向上するにつれ電撃による骨折は年々増加し,近年には全患者の20%に脊椎圧座(Noyes)1%にその他の骨折をみるようになつた。ために種種の筋肉弛緩電撃法の研究が進められたが,初期にはクラレを用いたので,長時間にわたる呼吸停止,心臓障害のため危険で事故も多かつた。Impastatoは米国における電撃事故死の多くはクラレの使用によるものであるとのべている。それはクラレの主成分であるツボクラリンイオダイドが骨格筋よりも呼吸筋に強く作用し,呼吸停止時間が約40分にわたるためである。

γ-アミノ酪酸の精神薄弱児への使用経験

著者: 高木隆郎 ,   前田正典

ページ範囲:P.811 - P.820

Ⅰ.緒言
 γ-アミノ酪酸(γ-aminobutyric acid)CH2(NH2)・CH2・CH2・COOHは大脳灰白質,尾状核,小脳灰白質などに多量存在し,グルタミン酸(glutamic acid)COOH・CH(NH2)・CH2・CH2・COOHの脱炭酸によつて形成されることがJ.Awapara et al(1950),E. Roberts et al(1950)らによつて明らかにされた。その生理学的作用はなお十分明確ではないが,高橋らによれば,汎性視床投射系を含む網様体系に属するニューロンに興奮作用を与え,大脳皮質の覚醒,賦活をもたらすものと考えられている。また臨床薬理学的には山口ら,勝木ら,高橋ら,および村上らによつて血圧降下作用,脳波覚醒作用,抗昏睡作用などがあげられている他,精神薄弱児に投与することによりその精神機能の改善,知能の上昇が期待されている。とくに精薄に対する本剤の効果に関しても,さいきん清水,倉田,山村らの臨床試験の成績が公表されたが,それらはまず肯定的な結論である。しかしいずれもその作用は知能の上昇というよりも情動面の安定化という点でより強調される傾向にあり,とくに山村らはこの点のロールシャッハ・テストによる実証を試みているのは興味深い。また倉田は言語性知能指数における有意な上昇を認めながらも,なおその結論に関しては控え目であり,本剤が感情態のアンバランスに与えた効果が言語テスト成積に有効に影響する可能性を示唆している。われわれも約2年前よりγ-アミノ酪酸を精薄児対策として使用してみる機会をえたので,現在までにえられた臨床結果をここに報告する。

精薄非行少年に対するγアミノ酪酸の効果

著者: 谷貞信 ,   倉持弘

ページ範囲:P.821 - P.826

Ⅰ.序言
 γアミノ酪酸が,いちじるしく脚光を浴びるようになつたのは1950年(Awapara,Roberts,Udenfriendらの生化学的研究)以後といわれる。現在,その臨床的応用は高血圧や昏睡の治療,さらに脳神経障害や精神薄弱症の治療に至るまで普及しつつある。なかんずく精神薄弱症に対する効用は,1946年のZimmermanその他の協同者によるl-グルタミン酸の研究以来特に注目をひくものである。本邦においては,精薄児に対する臨床的研究が着々と進められ,その効果も報告されているが,被験者はおもに学童期の年少者が選ばれている。従つて年長の精薄少年についての使用経験はまだ報告されていない。われわれの実験群は,生活年齢が年長であると同時に早くて10歳頃から非行歴があるという2つの特徴をもつ者である。非行が個人の病的欠陥や環境因子によることは容易に推測できるが,収容施設内での再三の事故発生者には特殊な非行性格がもともとあるようである。なお,γアミノ酪酸(以下γと略す)は第一製薬提供のものである。

動き

ヨーロッパの精神病院

著者: 斎藤茂太

ページ範囲:P.827 - P.829

 ライン沿いのドームで有名なケルンから,片道250kmをバスに乗つて日帰りで(ここのところは日本道路公団の各位にきいていただく),ビイレフェルトなる《ベエテル》というコロニイ式の収容施設を訪れたとき—ここは俗にテンカン村と称して,てんかん患者を主力に約7000人の精神疾患者を中心に人口約1万の町が美しく岡の上からふもとにかけてひろがつている—,院長のハルトという神父が,挨拶の最後に《てんかん患者には,薬よりも,人間の愛情が大切である》というブムケ教授の言葉を引用して,私どもと握手をしたが,こんど,西ヨーロッパの9つの国々の精神病院—大学の教室をふくめて—をまわつてみて—その数は20に少したりない—,せまい意味での治療面では,なあんだ…といつた感じをもつた人でも,少くとも,患者に対する《人間の愛情》という,われわれの心構えの基本となるべき一面では,残念なことに,完全に脱帽しなければならない思いをもつたにちがいない。
 ピレネエ山脈をちよつととびこしただけで,スペイン人が,フランス人とははなはだ異質な人類であることを肌につよく感じるように,それぞれの国の精神病院は,またそれぞれの特色をもつ。いま,それを,いちいちのべている余裕はない。しかし,大ざつぱに,こんなわけかたはできるかもしれない。《小児分裂病?この世にそんなものあるかね?》という言葉(たとえば,フランクフルトのツツト教授)で代表される一派,一度は大西洋に近いほうの真似をして,インシュリン療法をやめてしまつたが,近年ふたたび,強力に復活した(たとえば,ホッフ教授のウィーン教室,あるいは,M・ブロイラー教授のチューリッヒ教室)ことによつて代表される一派など,あくどい言葉を使えば,反米的精神医学的思想地図といつたもので色わけすることができるかもしれない。

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Oskar Vogt先生の御逝去を悼む

著者: 難波益之

ページ範囲:P.828 - P.829

 O. Vogt先生は1957年7月31日,Freiburg大学病院でその長く輝かしい90年の生涯を終えられた。1955年より2年間,先生の研究所にお世話になつた私はことに哀惜の情に堪えないものがある。先生は1870年,Jutlend半島の南部でドイツ人の地主を父とし,デンマルク人を母として生れ,幼年時代よりすでに生物学に興味を持つておられた。先生ははじめKiel大学でF. Tonniesに哲学を学び,後医学に転ぜられた。1890年,先生はJenaで生物及解剖学をF. HaeckelとM. Furbringerに,精神病学をO. Binswangerについて学び,ここで先生の最初の論文,Uber Fasersysteme in der mittleren u. caudalen Balkenabschnittenが書かれた。
 1894年,先生はA. Forelを訪ね,3カ月間Hypnotikと脳の解剖学を修めたが,この時偉大な両学者の間に永い友情が芽生え,それに基づいてZ. f. Hypnoticus,続いて1920年に優れた内容を持つたJ. f. Psychiatrie u. Neurologieが生まれた。この雑誌には非常に奇麗な,記録価値を持つた写真が数多く載せられたが,これは先生が所長だつたBerlinのKaiser Wilhelm研究所で,先生御自身印刷工場を監督して作製されたものであつた。先生とともに発展したこの雑誌の発行は1954年をもつて閉じられたが,先生の止むことなき研究の成果は再びNeustadtでJ. f. Hirnforschungの発刊となり,ご永眠に至るまで続けられた。

精神医学統一用語集(H〜J)

ページ範囲:P.792 - P.792

—H—
hypobulischer Mechanismus(Kretschmer)(D) 下層意志機制
 —hyponoischer Mechanismus(D)

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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