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雑誌目次

雑誌文献

精神医学1巻9号

1959年09月発行

雑誌目次

特集 児童精神医学 展望

わが国児童精神医学の展望

著者: 高木四郎

ページ範囲:P.599 - P.607

Ⅰ.まえがき
 「児童精神医学」といつても,多くの人は精神薄弱児やてんかん児の問題を扱う領域を,便宜上一括して呼ぶのだぐらいにしか考えていないのではあるまいか。わが国でも近年,小児分裂病の問題が関心をひくようになつたので,せいぜい,児童精神医学にはこのような問題もあつたのかと認識された程度であろう。しかし,それだけならば,なにもわざわざ「児童精神医学」などと銘うつて専門分科らしく装う必要もないはずである。
 児童の精神医学的問題には,成人とは異なるさまざまな問題がある。等しく神経症とか分裂病とかの名をもつて呼ばれても,児童期におけるそれらは,一般の精神科医が日常接する成人の疾病とは相当に様相を異にしている。さらに,児童期に独特な問題も少なくない。

ソビエトの児童精神医学

著者: 岡田靖雄

ページ範囲:P.609 - P.617

I.はじめに
 わたしはソビエトの小児精神医学についてお話します。でも考えてみますと,わたしがここでしやべるのは適当でないと思います。というのは,わたしが子供についてもつている経験はごく少いのです。わたしは小児精神医学を自分の専門にしようと思つているものではなく,精神科医としての常識の一部分として小児精神医学について知つていたいと考えるだけです。さらに,ソビエトの精神医学についても,あとでお話しになる方がたのように,その国で実際に見てきたわけではなく,本や雑誌を通じて知つているだけです。そういう点では,これから話すことはサシミのツマ程度に考えていただきたいと思います。だが,その反面ソビエトの精神医学者は小児の問題について古くからかなりの関心をはらつてきており,ソビエトの小児精神医学は,40年以上の充実した歴史をもつております。そのなかには学ぶべきものもかなりあるのではないかと考えられます。
 小児精神医学が一般精神医学から離れてはならない,この点についてはだれも反対しないでしようし,ソビエトの小児精神医学史もこのことを教えています。そこでまずごく簡単にソビエトの精神医学全体がもつ特徴点をとりだしてみましよう。

西ドイツにおける児童精神医学の動向

著者: 平井信義

ページ範囲:P.619 - P.625

I.はじめに
 西ドイツにおける児童精神医学の研究は,従来の伝統に基く器質的な人間解明の方向と,アメリカに流れを発する力動精神医学を追う方向と,明らかに分かれていて,むしろ前者の力が強いことは,わが国と事情がよく似ている。
 著者が1954年,最初に訪れたのはFrankfurt大学であつた。そこには,“Die Psychopathologie des Kindesの著者としてわが国にも知られているStockert教授がおられるはずで,私の留学の目的は彼に師事することにあった。しかるに,私の渡独直前に東ドイツにあるRostock大学の教授に転出されたので,私はやむなく,Frankfurt大学小児科に籍を置くことになつた。小児科教室を主宰するのは,ドイツ小児科学会でもBossert教授に次ぐ重鎮de Rudder教授であり,400床を有する竣工まもない小児科病棟に約40〜50名の医局員の指導に当つていた。
 私が最初に面会した時,教授は「君はPsychopathologieに興味をもつているのか,おもしろい」といつた。しかし,Bossert教授がSchwer-erziehbares Kindに異常な興味をもつているのにくらべて,こうした研究分野については新たに開拓する意欲には乏しく,むしろ批判的であつた。とくに,Psycho-somatische Medizinに対しては,みずから“somato-psychisch”という言葉を作り出して対立していた。Psycho-somatische Medizinは,それを誤つて用いると,子どもを殺すことにもなる,と考えていた。
 この考えは,医局の集合や廻診の際にしばしば現われ,私に向けられた。精神的と考えられる頭痛のある子どもが,脳腫瘍の初期であつたり,NabelkolikがAbdominalepilepsieであつたり,——そのたびに教授は私の方を向くのであつた。ことに,アメリカ医学に対する批判は強烈であり私が帰途にアメリカを経由したい気持をもらすと「なぜ行く必要があるのか」と問うたほどであつた。
 半年間その教室にいて,器質的な疾患の解明についての技術を教えられたが,その後,Köln大学のBennholdt-Thomsen教授の教室に移つた。これはde Rudder教授の推薦もあつたが,半年の滞在によつてKöln大学の業績についてつぶさに知ることができたからである。私は,自分の留学の目的を教授に伝えると「喜んで指導をひき受けよう」といつて,Schwer-erziehbare Kinderを収容しているPestalozzi Stationに案内してくれた。そこに私は半年いて,それらの子どもと日夜接触するほか,その他の廻診について,Bennholdt-Thomsen教授の考え方をくむことができた。教授はde Rudder教授の高弟でもあつた。
 その後,Marburg大学で,児童の精神衛生研究会が家庭と学校と題して開催された時に,私は,Marburg大学を訪れる機会を得た。
 Bennholdt-Thomsen教授も,この大学のVillinger教授およびStutte教授を推薦され「ドイツの新しい精神医学の研究には最も多く貢献している」といつた。この2人の教授は,精神科を主宰し,ことにStutte教授は児童部に力を注いでいたし,児童部は新しい建築が建設されていた。そこには60〜80人のSchwer-erziehbare Kinderを収容し,Psychotherapieのための部屋も,たくさんに用意されていた。しかも,その建物に隣接して児童相談所(Kinderberatungsstelle)がすでにできていて,学校その他とよく連絡をとり,事業を開始していた。私は,これらの活動をみて,当初からこの大学にくるのが最も能率のよかつたことだつたと知つた。私は10日間そこに滞在した。新しい建物は,1958年春に竣工がなつた旨,報告を受け取つた。おそらく,この大学を中心にして,西ドイツは,新しい児童精神医学の歩みを続けるであろう。その後に会つた2,3の老教授は,その歩みに批判的であつたが,中堅以下の子どもに関係する医学者は,この大学の研究の動向には非常な興味をもつていた。

フランスの小児精神神経病学とその現在

著者: 吉倉範光 ,   中島宏

ページ範囲:P.627 - P.632

 フランスにおける医学のこの分野の特徴ある様相を紹介することは,つぎのいくつかの理由からきわめて困難である。すなわち,この若い専門科学が,発足の第一歩から自国の伝統よりも国際的な協調を中軸としたこと,成立の基礎をなす学問が,精神医学,神経学,小児科学,公衆衛生学,心理学,精神分析学,教育学,法学,社会学など広範囲の分野におよび,そのおのおのの伝統をも包含した複雑な函数として成立していること。フランス人の性格として,その思想は外に対しては非常に開放的で自由である半面,内に対しては強烈な個性をもち,個々のグループが特別な方法論をもつて仕事を進める傾向があること,しかもこれらのグループは経済的に各種の団体と結びついて全く多様な活動を行つていること(このことはこの学問が経済的に各自の理論を実行に移すことが比較的容易であることを示す)にある。しかしこの道にたずさわる人達の数,種々の施設の数,受診者の数,あるいは業績の発表,一般の関心,精神衛生的コミュニケイションなどについては,フランスがヨーロッパ第一流の国であることはまちがいない。
 以上の困難をさけて,この学問の一面を紹介するため,その実際の活動の現況を,つぎの順にしたがつてのべたいと思う。

米国,英国における児童精神医学

著者: 鷲見たえ子

ページ範囲:P.633 - P.639

 アメリカの児童精神医学については,すでに高木,牧田両先生,その他の方々が数年来紹介をして来られました。したがつて,私がここでのべますことは極力前者の方々との重複をさけるよう心掛け,また統計的なことは一切はぶき,おもに最近の趨勢,そのおもだつた研究方向という点に重点を置きたいと思います。
 すでに“精神衛生研究第3号1)”および“精神衛生資料第6号2)”において,高木先生がアメリカ児童精神医学,および児童指導クリニックChild Guidance Clinicについての紹介をされ,その中でのべていられますように,アメリカの児童精神医学は,William Healy以来現在まで約50年を経て児童指導クリニック,病院内の精神科の児童部などを中心にして,主に力動的精神医学を基礎にもつて発展してまいりました。どの分野においても専門化する傾向の顕著なアメリカでは,児童精神医学においても神経学的,器質的な問題は,たとえば神経科クリニック,てんかんクリニックなどといつた別個の部門,および人々の専門になつてしまう傾向が強く,いわゆるアメリカでいう児童精神医学者の取扱う対象にはあまりなつておりません。この点はヨーロッパ諸国,またわが国と違う点でありますが,このように判然と専門化され,つまりdynamistsとneurophysiologistsとかneurochemistsとかいつた人々の間の交流が少いという点についての反省は,アメリカ国内にも起こつてはおります。たとえば,1958年のAmerican Association of Orthopsychiatryの総会で,“Basic Science and the Future of Orthopsychiatry”と題した論文の中でワシントンの児童精神科医,Dr. Reginald S. Lourieが,いま挙げました問題をとりあげ,1つの場所で共通の用語を使つて前述の2者が協同して働けないものだろうかといつているのであります。しかし,現在のアメリカ児童精神医学を代表するものは,やはり個人と環境の相互関係を追求する方向であり,治療の基礎となるものは,この考えを基とした精神療法であると思います。

研究と報告

指絵療法とその症例

著者: 岩谷清秀

ページ範囲:P.641 - P.645

 児童の精神療法としていろいろの方法がある中で,指絵療法が最近使用され,効果があげられている。指絵は自己の体を使用し,絵画的効果をあげるものであり,今世紀以前にすでに使用されていたが,1930年Miss. R. F. Shawによつて現在使用されているごとき形態をとるに至つている。
 指絵は現在次のごときものに使用されている。
 1.絵画上の一手段
 2.教育上のレクリエーションの一つ
 3.心理投射法の一つとしての精神医学的補助診断法
 4.心理療法の一つ
 精神療法としての指絵には多くの特長を認め得る。

Doll Playの1症例

著者: 棚橋千賀子

ページ範囲:P.647 - P.652

I.はじめに
 doll playとは"人形遊び"のことで,子供に対する一種のprojective techniqueであるとともに,また一方,psychotherapyの一方法でもある。
 A. Frend,M. Kleinなどが子供の精神分析に"遊び"を重要視するようになつたのと機を一にして,1933年頃からD. Levyにより創始されたものが,prolective doll playである。以来30余年間に種々の立場から研究が進められ,今日の流行をみるにいたつたのは周知のとおりである。要は,子供達に人形を与えて自由に遊ばせ,その遊びの中で彼らの思うままに感情,意志,欲求などを表現させ,主として対人関係の場における彼らの態度を窺い知る手段として利用され,その間に子供達は,不知不識の中に,彼らなりに,その問題点についてカタルシスを行ない,よつて精神療松の一種としても役立てられうるものである。
 以前から村松教授が唱される"全体的力動学的精神医学"の立場から,問題行動をもつ子供達を診断,治療するにあたり,また更にその子供達を小児の神経症またはその周辺部に連なる類似疾患として,仮りに位置ずけを試みるとき,筆者は,村松教授がたびたび指摘されるとおり彼らの人間関係を通しての環境の枠と,彼らの人聞形成のあり方とを,ありのままに横断面的および縦断面的にとらえることが,最も重要なことであると考えるにいたつた。よつて筆者は,問題行動をもつ子供達の性格行動傾向,彼らを取巻く家族関係,および母親の彼らに対する態度などを窺い知る目的で,Projective doll Playを施行することを思い立ち,しかもこれは同時にplaytherapyとしてもかかる疾患の子供に対して成立つ便利なことを多く体験した。
 筆者は,1957年8月以来実験設備の創案をはじめ,写真(1,2,3)に示すような設備を創出し,そこで実験し,1959年2月,東海精神神経学会に第1報を発表した。
 さて,以下の症例においては,具体的に遊びの内容や状態を紹介するにとどめ,観察および発析法などの詳細は近日名古屋医学会雑誌に発表予定の原著を参考して頂きたい。

分裂病が疑われる幼児の1例

著者: 上出弘之 ,   岩田由子

ページ範囲:P.653 - P.657

 幼児期に分裂病症状を示す症例については,すでに黒丸1)が詳しく紹介したように,呼び名こそ異るが,欧米では古くからその存在に注意が向けられてきている。最近わが国においても,このような症例の報告が散見され,その状態像について,あるいはその成因について,多くの論議がひきおこされている。
 わたくしたちもかねてから,このような症例を集め,検討をつづけてきたが,今までに10例近くの症例を集めることができた。しかしこれらの例は,1例1例かなりその病像や成因を異にしていて,Kanner2)のいうような定型的な早期幼年自閉症early infantile autismと呼びうるものはむしろ少ないように思われる。ここにあげる1例もその症状は,早期幼年自閉症とは多少とも異なつているし,またはたして分裂病といえるかどうかも問題の例であるが,とにかくこのような例の存在することを報告し,あわせてこの例を通じて,わたくしたちの児童分裂病に対する考えかたを述べてみたいと思う。

吃音を主訴とする幼児の遊戯療法

著者: 玉井収介 ,   高木四郎

ページ範囲:P.659 - P.663

 Ⅰ.吃音に関する概観
 まず,Leo Kannerにしたがって吃音に関する従来の所説を概観してみよう。
 吃音はいくつかの種類に分けられる。たとえば母音の吃音と子音の吃音に分けることもできるしまた,吃り方にしたがつて,(1)最初の子音のくりかえし,(2)最初の音節のくりかえし,(3)くりかえすことなく最初の子音が引きのばされるものに分類することもできる。

随筆

Leo Kannerの横顔

著者: 牧田清志

ページ範囲:P.665 - P.665

 御承知のようにLeo Kannerは小児精神科の専門家としては世界的な権威であり,幼児自閉症を初めて記載したことと,その著になる詳細大部にわたるChild Psychiatryという教科書をもつて知られている。その著書から受ける感じは,いかにも克明で理論的な大家であるが実際には彼はいかにも親切な,やさしい,そして四角ばらないおじいさんである。私が1年間Johns Hopkins大学において,彼の下で勉強した印象から申すと,彼は学問の場においては厳しいが,それ以外は誠に潤達な冗談好きの,気さくな——といつた観が前景に立つ。私が初めて彼の教室に行つて挨拶をした時,彼は直ちにその夕食をともにと私を誘つてくれた。そしていざクリニックを出ようとする時「サア,ユキマショー」と明瞭な日本語で私を驚かすような茶目気の持主である。後になつてこれは彼がベルリン時代,日本留学生から習い覚えた唯2つの日本語の文章の1つであることがわかつた。しかしそれ以後はカンフェランスを始める時もしばしば「サア,イキマショー」といつて,米国人の医師をアワてさせたものだ。食事が始つて,彼は間もなく私に「君は精神病,神経症,精神科医とは,そも何するものか」という質問をおごそかに発した。私がちよつと面喰つていると,隣りの婦人が「Noと言いなさい」と入智恵をしてくれたので,取敢えずNoというと,彼は得意気に「神経症患者は空中に楼閣を作る,精神病者は,その楼閣に棲む。そして精神科医とはその両方から家賃を集めるものサ」とのジョーク,私が彼の下で勉強しはじめての始めの3カ月はどこからどこまでが本気で,どこからどこまでが冗談だかそれにくつついて行くのに一番骨を折つた。
 小児精神障害の取扱いがそうであるのと同様に,彼は決して訓練生の上に無理な圧力をかけない。訓練生の自覚をencourageするというのが彼のやり方である。そして彼は平易な,誰にでもわかる常用語で精神科の問題を取扱うという主義者であつて,彼のカンフェレンスには超自我とか同一視とか,動機づけといつたような力動精神医学的な常用語すら出て来ない。彼はアメリカ中で大の精神分析嫌いとして知られている。「貴方は分析は嫌いか」というような質問にぶつかると,彼は定つて「貴方は右の耳を引張るのに左の方から首を一廻りして右の耳を引張りますか」と逆襲に出る。力動的にものを考えるという点においては彼のやることも分析派のアプローチもさして大差はないが,表現は大変に違うのであつて,分析派の特殊な用語や表現を彼は極端に嫌つているのである。

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精神医学統一用語集(A〜D)

ページ範囲:P.617 - P.617

—A—
abasia(E) 失歩
 —astasia(E)

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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