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雑誌目次

論文

精神医学10巻5号

1968年05月発行

雑誌目次

特集 うつ病—日本精神病理・精神療法学会(第4回大会シンポジウム)

はじめに

著者: 新福尚武

ページ範囲:P.340 - P.340

 このシンポジウムはうつ病について苦闘している若い研究者が日ごろの研究成果を出し合つたものである。幸いにも,問題領域はかさなり合いながら少しずつずれ,方法・立場は少しずつ相違しながら共通しているため,全体としてバライエティに富み,しかも関連と統一のあるものとなった。
 第Ⅰ部は性格と状況であるが,問題をうつ病発生との関連における性格と状況にかぎつた。したがつて,一面からみるとうつ病の病前性格論であるが,他面からみると心理的発生論である。実際には両者は楯の両面にほかならない。長い間うつ病は単に「内因性」のものとされ,その面だけが注目されてきたが,さらにこのような面をもつということが明らかになつてきたことはうつ病研究史に新しいエポックを画するものといつてよいと思う。Tellenbach教授の来日を機会として教授のTypus melancholicusと下田の執着性格の関係などが検討されたことは,とくに意義深いことであった。

Ⅰ部 Pathogenieとの関連における性格と状況

うつ病の心的世界—その各臨床類型群別にみられる病前性格と発病状況に関する精神分析学的考察

著者: 諏訪尚史

ページ範囲:P.341 - P.346

I.はじめに
 うつ病の疾病学的分類については,経過,病像,発病状況などの塞準がさまざまな比重をもつて行なわれている。事実同じようにphasischに経過するうつ病においても,種々の臨床像を観察する。したがつて,すべてのうつ病を単一疾患として取扱うなら,そこには臨床的にも治療的にも混乱が生ずる。また,本日のこのシンポジウムのテーマであるPathogenieとの関連における性格と状況に関しても,すべてのうつ病について一括した形で論じようとすれば,同じように混乱を招く恐れがあるように思われる。われわれは,できるだけその混乱を避けるため,うつ病をつぎの3つの臨床類型に分けて考えていきたいと思う。すなわち,まずreine Depressionとzyklothyme Depressionに大別し,さらにzyklothyme Depressionを狭義のzyklothyme Depressionと従来の古典的意味でのmanisch-depressives Irreseinに細別してみていきたい。
 第一群(reine Depression)にはLeonhard1)のいう,いわゆるreine Melancholie,hypochondrische Depression,selbstquaierische DepressionおよびVerarmungswahnを中核症状とするMelancholieおよびTellenbachのTypus melancholicus,2)さらにNoyes3),Titley4)などの記載しているInvolutions melancholieなどが含まれていて,それらはすべて,いずれもmonoplarでperiodischな経過をたどるDepressionであり,しかもその家族内精神病には,単相性うつ病,hypochondrische Depression,強迫神経症などがあり,躁うつ性うつ病は見られないという特徴を持つている5)

躁うつ患者の家族的特徴からみた性格と発病状況

著者: 武田専

ページ範囲:P.346 - P.352

I.はじめに
 ただいま,前発言者はうつ病の臨床類型とそのそれぞれについて,精神力学的見地から述べられたが,そのご努力に対し同じ立場に立つ者として敬意を表したい。私の場合は,躁うつ病圏の患者に精神分析的精神療法を実施し,技法的にも修正を考慮することにより,いくらかでもその本質に迫りうればという態度で行なつてきている。したがつて,躁うつ状態を呈したものであれば,それが典型的な躁うつ病といえるものなのか,あるいはむしろ厳密には非定型精神病と診断される可能性があるかのいかんにかかわらず,精神療法的接近をこころみたいという意欲をもつた対象を取り扱つてきた。そのため,このかぎられた症例から躁うつ病者に普遍的な性格や発病状況を述べるつもりは毛頭なく,演題も躁うつ患者としたことをあらかじめおことわりしておきたい。
 私の経験からも,躁うつ傾向の患者は日常的世界の枠から閉め出され孤独になることに基本的な不安があり,執着する対象に依存してその喪失を恐れるため,表面的な浅い接触は容易に成立しても,真の意味での人間交流を確立することは困難である。このことは換言すれば,想像上の周囲との一体感ないしは連帯感の喪失という主観的な感覚がうつ病をもたらすという,土居の表現と一致するものといえよう。事実,躁うつ状態を呈した患者に精神分析的精神療法を実施してみると,分裂症傾向の患者に比べて内省的な点に欠けているため,表面的には性格傾向が改善されたようでもいぜんとして対象関係の稀薄さが認められ,臨床的には症状が消失して社会復帰が可能なようにみえても,精神療法を通じての観察からは人格の改善が不十分で,とくに何回か反復するパターンを有する患者にあつては,社会復帰後も暫くすると再発するのではないかとの懸念をいだかせる場合が多い。

躁うつ病者における性格と発病状況の両極的把握について

著者: 森山公夫

ページ範囲:P.352 - P.356

Ⅰ.序論
 私の狙いとするところは,躁うつ病において,病者の性格・発病状況・病的状況・経過および予後を両極視点よりとらえ,類型化していくことにより,躁うつ病の人間学的類型学を完成することにある。ここでは,その研究の一部である,性格と発病状況との関連をとりあげ,論じてみたい。
 さて,E. Kretschmerによつてきりひらかれた伝統をうけつぎ,さらに,その後のいわゆる反応性のうつ病,ないし誘発されたうつ病に関する諸研究の成果をとりいれて,H. Tellenbachはみごとなうつ病論を結実させた。だが,Endonの規定に始まり,メランコリー型,前抑うつ状況,そして抑うつ状況へ,と論を進めていくかれの人間学的探究は,そのたくみな構造論的展開のかげに,なお一つの弱点をひそめている。それは,平沢もいうように,「同一の人間にときにはうつ病が,またあるときには躁病が生ずる事実は,現在のままのメランコリー型の理論では十分に説明できない」,ということである。

住まいの変化とうつ病—状況分析の一つのモデルとしてのいわゆる引越しうつ病

著者: 飯田真

ページ範囲:P.356 - P.362

 住まいの変化によつてうつ病の誘発された11症例について,住まいの変化を住まいの変わる状況(転居)と住まいをつくる状況(建築)とに分け,うつ病の誘発されていく様相を臨床的に分析し,この状況のもつ病因的意味関連をうつ病になる人間の特有なありかたとの関連において明らかにしようとこころみた。
 本論にはいるにさきだつて,躁うつ病の誘発に関する問題の歴史を回顧し,状況,状況因,状況分析についてのおおよその概念をv. Baeyerの考えかたをたどりつつ紹介した。
 転居の場合には発病の時期に従つて症例を転居前,転居中,転居後の3つの場合に分けた。転居うつ病になる女性に特有な住まいかたに言及した後,転思という状況の構造を住まいの空間の喪失-獲得という枠組みからとらえ,上の3つの場合についてその病因的意味を考察した。
 建築の場合には,発病の時期に従つて建築計画の決定,新居に入居後の2つの時期に分けた。これらの状況の構造をBelastung-Entlastungとしてとらえ,うつ病になる人間のありかたとの関連において,これらの状況のもつ病因的意味について考察した。

Ⅰ部における討論

ページ範囲:P.362 - P.365

 司会 ただいま本シンポジウムの主題である内因的なものと性格とか状況とかのかかわりあいかたについて4演者ともそのそれぞれの立場から自分の問題点をふまえてうつ病発生についての自己の考えを発表されました。
 ではこれから討論にはいりますが初めにスピーカー同士お互い質問がありましたら。

総括

ページ範囲:P.365 - P.365

 (総括—誌上追加) 4人の演者の立場,考えかたを司会者が自己流に概括しますと,第1席の諏訪さんは,うつ病の性格をいろいろいうけど,まず,うつ病というものを,型に分けて,それぞれの型において性格を論ずべきだというのです。そういうことばでいつているわけではありませんが,代つていえばそういうことだと思います。そうすると,それぞれのうつ病の型によつて,性格の型発病の状況にどんな違いがあるかないかということが問題になると思います。
 そのつぎの武田さんは,そういう性格というものが発達してきた過程,性格の成りたち,発展が精神分析を通じてどういうふうにとらえられたか。さらに,うつ病になりやすい性格的要因のつくられるのは家庭においてでありましようが,家庭のなかの心理的な力動の特性は何か。それに焦点を置き,それを通じてうつ病の発生についての一つのヒントを得ようとしたというのが,その趣旨だと思います。この二つは精神分析派の考えにもとづき幼児期における母との感情交流,対人態度の歪み,愛の喪失の不安などが主な関心対象となつています。

Ⅱ部 Schuldgefühl(罪責感)

うつ病における罪責感の症候学的知見

著者: 近藤喬一

ページ範囲:P.366 - P.370

I.はじめに
 内因性うつ病の臨床像に現われる特徴的な妄想内容の主題領域に,貧困・心気・罪責の三つが挙げられることなよく知られている。そのなかで罪責感はうつ病者に固有な現象であるのではなく,もちろん人間一般に共通する普通心理学的範囲に止つており,またうつ病ばかりでなく,神経症や諸他の精神障害の状態に生ずる現象でもある。
 うつ病における罪責感がいわゆる三大病的体験の一つとして知られているにもかかわらず,それが実際の臨床症状のなかで果たす役割はそう大きなものではないという印象がわれわれにはある。しかしその一方で,うつ病の罪責体験がその精神病理学的症状の全体構造においてまさしく中心的な位置を占める1)のは,v. Baeyerの言を借りて言い直せば,罪責の問題をいわば指標としてとちえることによつて,うつ病者の損われた精神力動の本質に迫ることが可能になると考えられるからであろう。ここでこの問題に立ち入つて論ずるつもりはないが,上に述べたようなうつ病の罪責感の病因論的意義への問いを心に留めつつ,実際の臨床においてうつ病の病像のなかに罪責感という病的体験がどのようにして現われるかを,資料に基づいて総論的・臨床記述的立場から少しく考察してみたい。

うつ病者の「罪の意識」について

著者: 矢崎妙子

ページ範囲:P.370 - P.375

I.はじめに
 うつ病者の述べる「罪」に関連したさまざまな訴えについて,われわれは,ある時にはそれを「罪責妄想」と命名し,またある時にはそれを「罪責感情」と呼んでいる。この両者を厳密に区別することは,とりもなおさず,「思考」と「感情」という二つの心理的要素を,厳密に区別しなければならず,実際的には,それはきわめて困難なことである。しかし臨床的には,「思考面の障害」が優位である場合には「罪責妄想」といい,それに対して「感情面の障害」が前景にあるものに対しては「罪責感情」と命名しているように思われる。
 しかし,この問題をより深く考察してみるならば,これは,単にこのような「術語上」の問題であるばかりではなく,内因性うつ病の本質を解明する糸口を提起していることがわかる。

うつ病と罪責体験

著者: 木村敏

ページ範囲:P.375 - P.380

Ⅰ.緒論
 「うつ病と罪責体験」というテーマは,単なる「うつ病における罪責感」というような症候論的な問いにはとどまらない。被影響体験の淵源を追求することがそのまま分裂病心性の本質を探ることにつながつているのと同じ意味において,罪責体験の根底への遡追はそのままうつ病心性の本質への問いに通じている。「メランコリーが罪責主題を動かしていると考えるのは正しくない。むしろ,罪責主題のほうがメランコリーという舞台を獲得するのである」というTellenbach5)の言葉も,かかる意味に解されなくてはならない。つまり,罪責体験はうつ病の単なるひとつの部分症状であるにはとどまらず,そこには臨床的に「うつ病」と呼ばれている状態を発現せしめるような人間心性の病態が,すでに全的に包含されているといえる。
 しかしながら,実際の臨床的うつ病像においては,罪責感はけつして必須の体験内容とはならない。罪責感を伴うことなく,心気念慮や貧困・破滅感,自己卑小感などが前景に立つているうつ病像も多いし,さらにはそのような"produktiv"な体験主題をまつたく示さないうつ病像が,数から言えばむしろもつとも多い。したがつてここで考察さるべきことは,うつ病者の罪責体験と諸他の"produktiv"あるいは"unproduktiv"なうつ病像との間にはいかなる関連があるのか,そしてこの関連において罪責体験はうつ病心性そのものの本質といかなる意味において根源を等しくするといえるのか,という問題である。そしてこの考察からは,やがて,うつ病の罪責体験がいかなる意味において「病的」であるといえるのか,すなわちそれがいかなる点において人間に本来的な罪の自覚と区別されるべきであるのか,という問いが必然的に生じてこなくではならない。

うつ病性罪責体験について—分裂病性罪責体験との比較考察

著者: 梶谷哲男

ページ範囲:P.380 - P.386

I.はじめに
 「罪は無知である」といつたSokrates,「絶望は罪である」と論じたKierkegaardなど罪(Schuld)は,古来哲学的,神学的,文学的各領野にわたつて主要なテーマであつた。ことにNietzscheは,主として道徳的概念を意味したSchuldが,実はきわめて物質的な負債(schulden)に由来することを明らかにしている。わが国でも「済まない」という詫びの言葉が,負債としての意味をもつ罪貴(Schuld)の概念に通じていると和辻が指摘している。
 さて,罪はいろいろに区分されているが,Jaspersはこれを,刑法上の罪,政治上の罪,道徳上の罪,形而上の罪の4つに分けている。しかし一般に罪(Schuld)といえば,「他者に対する加害行為の結果生じた負債」を意味するものと考えてよいであろう。

Ⅱ部における討論

ページ範囲:P.386 - P.389

 司会(宮本) これで一応,4人の先生方のお話が終わつて討論に移るわけですが,問題がかなり分散している傾向があるようです。が,非常に臨床的な問題から始まつて,いつたい,真の罪とは何かとか罪の概念であるとか,少し臨床から離れたような問題にまで,非常に多岐にわたつておりますが,演者同士の質疑がありましたら,まず最初にお願いしたいと思います。
 近藤 さつき,私,社会文化的な観点から罪責感の日本的な現われかたというようなことを,ちよつと問題にしたのですが,その点について,木村先生にうかがいたいと思うのです。先生は向うに行かれた経験もございますし,この問題を論文に発表されておられますから,いろいろ豊富な資料をお持ちだと思います。一つはいうまでもなく罪責感の訴えが一般に減つてきたということで,これは世界的な現象らしく,いろいろな人が指摘しているようですし,また,さきほどあげた統計によりますと,なかでも宗教的,倫理的な違犯とか,犯罪,性に関するものが減つてきて,かわりに家族や,職業上の責務についての罪責感が非常にふえてきたということ。それから不全感とか,仕事がよくできない,作業能力が落ちたというふうなことについて,異常に心配する,懸念するというような傾向が非常に多くなつている。

総括

著者: 宮本忠雄

ページ範囲:P.389 - P.389

 (総括―誌上追加) うつ病にとつて罪責感の意義は,精神分裂病にとつての被害感の意義に比較されるほど重要なものであるが,日本では,かつて高橋(義夫),井上(晴雄)らが先駆的な学会報告を行なつている以外には,罪責感の問題が正面からとりあげられたことはなかつた。その理由はいろいろ考えられるが,われわれ日本人にとつて宗教や罪の問題はむかしからあまり得手でなかつたという一般的な理由のほか,欧米とはまつたく異なる宗教的背景をもつ日本では本来の罪責感や罪業妄想はほとんど問題にならないとして臨床上軽視されていたためもあるかもしれない。むろんわれわれのところでは罪責感の現われかた,表現のされかたが欧米のそれと違つていることは十分考えられるところであるが,しかし現われかたの違いこそかえつて,この体験における可変なものと不変なものの把握をとおして現象の本質に接近できる道を拓いてくれるのではなかろうか。今回のシンポジウムにさいして新福教授が罪責感を主題の一つに選ばれたのも,おそらく上記のような内意があつたのではないかと思われる。
 ところで,この主題に参加された4人の発言者は,一般的公募に応じたかたがたではあつたが,結果的には罪責感の問題をそれぞれ異なる角度から解明したかたちになり,これによつて罪責感の概略がある程度論じられたとみてよかろう。

研究と報告

てんかんの社会精神医学的研究(第1報)—家族の態度について

著者: 田所靖男 ,   西尾明 ,   加藤薗子

ページ範囲:P.395 - P.399

Ⅰ.まえがき
 てんかんの身体面については,電気生理学的研究を中心として近時大きな進歩がみられ,治療面でも種々の抗てんかん剤の開発が進み患者の多くはその恩恵をこうむつているが,てんかんの精神症状,とくにその性格面での研究業績はかならずしも満足すべきものではなく,ましてそのような特徴的性格にもとづくてんかん患者の社会的不適応の現状への関心,対策はけつして十分とはいえない。
 われわれがてんかん外来で診療に従事して患者およびその家族との接触が深くなるにつれて,それぞれの立場から発作そのものの治療のみでなく,家庭内あるいは職場,学校での問題,進学,就職あるいは結婚など種々の問題について相談を受けることが多くなることは当然であるが,このような問題に対処するに必要な基礎資料の乏しさと,現行の医療体系の不備にしばしば困惑させられるのである。われわれはこのような問題解決への一助として,精神科医,臨床心理学者,精神医学的ソーシャルワーカーの三者からなる診療グループを編成し,てんかんに対する心理的・社会的側面からのアプローチをこころみたが,今回はその第1報としててんかん患者の家族,とくに親の態度について検討を加えてみた。

15歳までに発症した離人症の6例

著者: 清水将之 ,   坂本昭三 ,   石神互 ,   辻悟 ,   金子仁郎

ページ範囲:P.401 - P.406

Ⅰ.緒言
 離人症は10代の後半より20代にかけての世代に発症する症例が多く,それ以前の世代で発症することはきわめてまれであると考えられており,K. Oesterreich10),K. Hadg2)らは少年期に本症が発症することはないといつている。文献中の症例記載としては,D. J. Salfield9)の7歳より15歳にかけての5例,J. E Meyer7)8)の13歳より15歳にかけての4例,K. Haug2)の10歳の1例,L. Kanner4)の14歳の1例,Geissler1)およびA. Hesnard3)の15歳の各1例を見る程度である。てれらの症例に対する診断名は,「精神衰弱」,「ヒステリー」,「ヒステリー加工された離人症」,「軽症内因性うつ病」等等,さまざまである。また,これらの症例における離人症状の記載はあいまいなものが多く,とくにSalfieldの症例3,4やHaugの症例5の症状記載ははたして離人症状であるのか否かはなはだ疑わしい。
 ここに2つの問題があると思われる。その一つは症候論の問題であり,若年者の場合には,狭義の離人症状と離人症状類似の訴えとを厳密に区別しなければ,問題の焦点を見失うおそれがあるということである。他は,上述のごとき諸症例が一単位疾患としてとらえうるものであるのか,それとも単に随伴症状としての離人症状を認めたにすぎないものなのかという疾病学の問題である。

全身性エリテマトーデスの精神神経症状—とくに分裂病様症状を呈した1例をめぐつて

著者: 臼井宏 ,   縄手朗 ,   仲宗根泰昭

ページ範囲:P.407 - P.413

Ⅰ.まえがき
 全身性エリテマトーデスSystemic Lupus Erythematodes(以下SLEと略す)は近年いわゆる膠原病の主要疾患として注目を集めているが,その経過中に精神神経障害を呈することもまれではなく,すでにわが国にも幾多の報告例がある。われわれは最近5カ年間日大板橋病院の内科および皮膚科に入院したSLEの全例について病歴調査を行ない,精神神経症状について調査したのでこの結果を報告する。また,従来の報告例中にはみられないいわゆる分裂病の第一級症状を呈した1経験例についてやや詳しく記述し,文献的考察を加えない。

新抗うつ剤Dimethacrinの使用経験

著者: 木村敏

ページ範囲:P.417 - P.422

Ⅰ.序論
 最近数年間における種々の抗うつ剤の出現は,うつ病の臨床だけではなく,その精神病理学に対しても,新しい時代をもたらしたといえる。精神病理学が治療の学としての臨床精神医学につねに根ざしているべきである限り,われわれ精神病理学者にとつて,向精神薬物の臨床効果はただ単に関心の的となるだけではなく,積極的に取組まねばならぬ課題ですらある。以下の報告は,このような著者の精神病理学的な立脚点に立つて書かれたものであることを最初に強調しておきたい。
 ここに報告する新しい抗うつ剤Dimethacrinは,スイスのSiegfried社がWagner-Jaureggの指導のもとに開発した製品(商品名Istonil)であつて,その化学構造は9,9-dimethyl-10-dimethylamino-propylacridan Bitartratであり,抗うつ剤としては,Diphenylmethan誘導体のMelitracenおよびDiphenilamin誘導体のImipraminと構造上の近似性を有する。

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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