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雑誌目次

論文

精神医学10巻7号

1968年07月発行

雑誌目次

特集 集団精神療法(日本精神病理・精神療法学会第4回大会シンポジウム)

はじめに

著者: 加藤正明

ページ範囲:P.524 - P.524

 わが国の精神医学関係の学会で,集団精神療法それ自体がシンポジウムとしてとりあげられたのはこれが初めてであろう。副司会者の逸見さんと相談の上,3回の打合せ会を開いて演者,討論者と話し合つたことも異例なことであつた。司会を指名されたときからすでにほぼ内定していたWHO会議のため,司会ができなくなり,逸見さんに大変ご面倒をかけたが,打合せ会の集団討議で畑下さんに応援願うことになつた。
 ことに「わが国における集団精神療法のあり方」が最初の話題になり,精神療法における立場がまず問題にならざるをえなかつた。周知のようにニューヨークでは,モレノを中心とする心理劇およびサイコメトリーの学会と,スラブソンを中心とする精神分析的,活動的集団精神療法の学会とは,長年にわたつて激しい対立を続けており,国際集団精神療法学会では両派の対立が個人攻撃にまで拡がつたという歴史がある。わが国では幸か不幸か,この2派のいずれか一方につよい傾斜を示すものはすくない。集団精神療法に対する個人精神療法家の批判は聞くが,それは集団精神療法の間の対立ではない。打合せ会で私なりに感じたことは,やはり集団力動に対する見解のちがいであり,この点,鈴木氏,中久喜民その他の精神分析的集団力動のとらえ方と,藤田氏の森田理論および社会学的なとらえ方の組合せとのちがいが目立つたように感じられた。また,鈴木氏の入院精神分裂病患者,藤田氏の外来神経質患者,中久喜氏のコミュニテイ・ミーティング,畑下氏の外来一般神経症患者,逸見氏の収容犯罪精神障害者など,対象となる患者の状況,診断区分などのちがいもあつた。

Ⅰ部・主発表

日本における集団精神療法—森田療法的立場からの検討

著者: 藤田千尋

ページ範囲:P.525 - P.529

I.はじめに
 個人に対する集団の影響については,いまさら問うまでもないことであるが,その力動が治療法として体系づけられた歴史は,少なくとも日本においては,さほど古いものではない。しかし,その力動を直接問うこととは関係なく,日本の治療環境では集団の利用によって治療を円滑に進めようとする意図は,近時ますますさかんになってきた。すなわち,集団活動として総括されるものがそれである。
 このように集団の効用とその必要性については,衆目の認めるところでありながら,個人精神療法と対比される場合の集団精神療法が,それほどの普及を見ないのは,どのような理由によるものであろうか。

集団精神療法—精神分析的方向づけから

著者: 鈴木寿治

ページ範囲:P.530 - P.535

Ⅰ.まえがき
 わが国で集団精神療法が研究され実施され始めてから,20年足らずの経過を持つにすぎない。そしてそれはまだわが国の社会的文化的条件に確実に根をおろしたとはいいがたく,その発展は今後の課題であると考えられる1)2)。したがつて,本学会のシンポジウムでこの問題を取上げたのは,集団精神療法がわが国においていかにこころみられつつあり,はたして今後,効果ある精神療法の一つとして発展しうるかどうかを問うためであると考える。とくに筆者に与えられた課題は,精神分析的に方向づけられた集団精神療法について述べることである。これはひとえに,武田病院が設立以来精神分析的な方向づけを持つた精神療法を診療の基本とした治療体系の設定を意図して努力をつづけ,その必然的な発展として集団精神療法の導入をこころみているためであると考える。したがつて今回の集団精神療法に関する発表は,これらの病院全体の精神療法化の歩みを背景としている事実を,まず明らかにしておきたい(註:これらの歩みについては第9,10,12回日本精神分析学会に発表したので,精神分析研究Vol. ⅩⅠ,No. 1,Vol. ⅩⅢ,No. 6を参照されたい)3)

指定討論

著者: 畑下一男 ,   中久喜雅文

ページ範囲:P.536 - P.540

 畑下 いままでに発言されたかたがたは,どなたも原稿を携えてこられたようですが,わたしはぶつつけ本番でこの席に参加しつつ問題を探し,ちょうどこの状況をテーマである集団精神療法と類似した状況にもちこみながら,この場でなにかを論じ合いたいと思つてきましたので,ことさらわたしの主張を原稿に書いてくるようなことをしませんでした。
 そこで,お二人のご発言を聞いていて,お尋ねしたいと思つたことを単刀直入にうかがわせていただきます。

Ⅱ部・一般演題から

重複精神療法(multiple psychotherapy)の問題点—治療チームのあり方について

著者: 吉松和哉

ページ範囲:P.541 - P.544

I.はじめに
 最近精神医療は,医師が心理学者,作業療法士,ケース・ワーカー,看護婦など種々の職種と組んで,チーム・ワークとして進めるべきだと言ねれている。これはたしかに進歩した考えかたであるが,しかしこれを実際に行なうことは新たな問題をひきおこす。というのはこの場合チームのありかた,およびメンバー相互間の意見の相違が直接患者の治療に影響を及ぼすにいたるからである。この問題については先に長谷川らが「治療チームの誕生まで」と題して,策2回日本精神病理・精神療法学会(昭和40年)で発表したことがあるが,私も最近同種の問題を体験し,手痛い教訓を得たのでここに報告する。

集団治療過程の基礎的研究

著者: 水島恵一

ページ範囲:P.545 - P.549

Ⅰ.序説
 本研究は,集団精神療法において,どのような(治療的に意味のある)過程が,どのように進行し,どのような効果に連つていくかという点を,実験的集団および実際の臨床集団について分析し,明確にしようとしたものである。
 集団治療過程のなかには,通常のグループ・ワークやO. T.,R. T. などにみられる狭義の教育的ないし支持的過程,あるいは教育的心理劇やHighfields方式などにみられる役割学習を中心としたsocial learningの過程なども重要であるが,われわれがまず着目したいのは,個人療法的心理過程を中心としたものであり,group-psychotherapyとよびうるようなものである。すなわち集団を媒介にしようと,あるいは施設全体を媒介にしようと,そこにおいて個人療法におけるような自己開示,洞察,有機体的過程が展開する点に主な治療的意味を見い出そうとする意味での集団療法をまず問題にしようとしたわけである。

精神分裂病患者への集団精神療法のこころみ

著者: 阪本良男

ページ範囲:P.549 - P.553

I.はじめに
 集団療法のなかでも,精神分裂病に対する集団精神療法のこころみは,主に米国にはじまり,こんにち,その成果はしだいに注目されつつあるが,まだその歴史も浅く,一つの治療手技として確立されるまでにいたつていない1)〜11)
 われわれは約2年前から一つのこころみとして,入院中の精神分裂病患者に集団精神療法を行ない,当初予想したより,はるかに良好な成果をあげえたので,その経験を要約し,あわせて若干の症例をあげ,精神療法における,この療法の意義について論じたい。

対人恐怖症の心理機制および治癒機転—とくに小集団精神療法について

著者: 山下格

ページ範囲:P.554 - P.557

I.はじめに
 対人恐怖症について,はじめに本症状の特性について簡単に記し,つぎにその特性のため精神療法にさいしてとくに留意すべき点を挙げ,最後に,小集団精神療法を施したさいの経過や効果について述べることとしたい。

ある対人恐怖症者の集団の考察

著者: 高橋徹

ページ範囲:P.558 - P.560

 対人恐怖症は,とりわけ,われわれの国に多くみられる,という仮説がある。たしかに,とくに小心な人たちを対象とする矯正施設で,しかも医者でない人びとがこの矯正の仕事にあたつているような施設は,外国にはあまり例がないものと思われる。
 論者は,たまたま,そうした施設のひとつ(民間の特殊学校)に矯正を求めて入学している人たち(予想通りその大半はまぎれもない対人恐怖に悩む神経症者たちであつた)と会い,そのうちの幾人かと個人面接を重ね,また,とくにかれらのさまざまな集団場面を観察する機会にめぐまれた。そこで,これらの面接や観察の記録を通して,かれらの形成する集団について,私見を述べてみたい。

吃音者のためのgroup psychotherapy

著者: 対馬忠

ページ範囲:P.561 - P.566

I.はじめに
 吃りの人の数は普通1%といわれ,わが国においても,文部省の調査によると,吃音者人口はおよそ百万人とされている。
 吃りは通常"minor personality maladjustment"に入れられるが,吃りに悩む青少年のなかには,とくに恋愛や就職などとの関連において,しばしば「自殺」を考えている者すら見受けられるものである。

討論

ページ範囲:P.566 - P.574

 司会(逸見) 集団討議にはいりたいと思います。まず最初に第二のセッションで6人の先生が発表されましたが,その6人の先生方に初めの4人の先生方を含めた10人で討議していただきたいと思います。

研究と報告

Déjà vuを初発症状とした側頭葉腫瘍の1例

著者: 端宣夫 ,   津田清重 ,   中田勝次

ページ範囲:P.577 - P.580

 脳圧亢進症状ならびに意識障害などに先行して,明確かつ頻回に出現したdéjà vuを初発症状とした側頭葉腫瘍の例を報告した。
 かかるdéjà vuと大脳半球の“brainedness”との連につき考察を加えた。

Pyrithioxin(Enbol)の臨床使用経験

著者: 黒丸正四郎 ,   花田雅憲 ,   笠井勉 ,   山田東吾 ,   明石恒雄 ,   鷹津冬弘 ,   鈴木善之 ,   森尾種之

ページ範囲:P.585 - P.591

Ⅰ.まえがき
 Pyrithioxin(Bis 3-hydroxy-4-hydroxymethyl-2-methylpyridyl-(5)-methyl-disulfide dihydrochloride monohydrate)はVitamin B6の誘導体(第1図)であるが,Vitamin B6作用を呈さず,狭義の中枢神経刺激剤でもなく,むしろ,脳の血流を調整することにより,組維賦活を行なうと考えられるため,欧米で臨床的に脳血管硬化症,頭部外傷後遺症,てんかん,酒精中毒者,初老期精神病,老人性痴呆,精神分裂病,さらに脳障害児,精神薄弱児,脳性麻痺などに広く使用され,その効果が検討されている。
 われわれは,中外製薬よりPyrithioxin(Enbol)の糖衣錠(1錠100mg)およびそのplaceboとして,形,大きさ,色などが外観上Pyrithioxinとまつたく変わらない糖衣錠の提供を受けたため,脳動脈硬化症,頭部外傷後遺症患者に使用し,臨床経験を得たので,その結果を報告する。

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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