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雑誌目次

論文

精神医学11巻3号

1969年03月発行

雑誌目次

特集 医学教育と精神療法 第5回日本精神病理・精神療法学会大会シンボジウム「医学教育と精神療法」より

まえがき

著者: 金子仁郎

ページ範囲:P.164 - P.164

まえがき
 今回のシンポジウムのテーマは「医学教育と精神療法であり,これは従来のシンポジウムのものとは,かなりちがつた方向のものである。このようなテーマは本学会の運営委員会の主要メンバーの1人である土居健郎博士の発案によるものであり,運営委員会全員の賛同によつて決定された。
 精神療法というと,精神科の医師が行なうものであり,それ以外の各科の医師が行なわないもの,あるいは行ないえないものという考えが,かなり広く信じられている。これは現実には保険診療では,精神科の治療として,精神療法が治療点数にあがつているが,これを請求しているのが,ほとんどが精神科の医師であり,それ以外の各科で精神療法を行ない,保険点数を請求し,それが支払基金で認められているのは,きわめて例外である。私が知つているのは,九大の心療内科と,小樽の内科の伊藤博士などで,それ以外にもあるかもしれないが,きわめてまれなものであると推定される。

主題講演

卒業前医学教育における精神療法の意義

著者: 諏訪望

ページ範囲:P.165 - P.167

 このシンポジウムを企画された土居健郎氏から,昨年12月に手紙をいただいた。そのなかでこのシンポジウムの目的が明らかにされているので,その一節を公開することを許していただきたい。それはつぎのとおりである。"このシンポジウムを企画した理由は,だいたいお察しいただけるかと思いますが,近年精神療法がさかんになつたとはいえ,やはり一部で専門家の傾向にはしるといいますか,サークル活動的なところがあり,基礎が十分でないうらみがあります。精神科医師の一般的技術としての精神療法,さらには,精神科のみならず,すべての臨床医の心得べき精神療法ということが滲透しなければ,精神療法学会は根なし芋のごとくなるおそれがありますし,また層が厚くならないので,一部の人間の自己満足ともなりかねません。この根本的対策としては,医学教育(アンダーグラデュエート)において精神療法を位置づけねばならないと考え,今回のように教室主任だけのシンポジウムを企画したようなしだいです。どうぞなんとかおひき受けください。というよりも学会の運営委員会の決定により,絶対におひき受けくださらねばならない,おことわりはできないと申しあげねばなりません。——中略——話すことがないとおつしやりはしないかと思つて,そのプロテストをあらかじめ封ずるために一言申し添えさせていただきますと,現状のことではなく,将来の青写真をお話しくださつても結構です。"

精神療法教育の導入の1試案

著者: 黒丸正四郎

ページ範囲:P.168 - P.170

はじめに
 古代において,医術というものがいまだ呪術的役割を演じていたころから,すでに医療というものは施術者と患者との間に交わされる一種の治療的人間関係がその根底にあつたと思われます。近代になつて自然科学の進歩に伴い医療は生物学その他の基礎科学の応用ということにはしるようになりましたが,それでも医術というもののなかには,その方法論として単にNaturwissenschaftとしての医学だけでなく,Kunstとしての医術が生きていることは否めない事実であるかと思います。そしてそのKunstとしての医術こそ,「医療における治療的人間関係」にほかならないのであります。この点,医学は同じく自然科学の系列のなかにあつても,工学や理学などと根本的に異なるものといえましよう。この意味で,医学を学び医術を身につけ,医師となつてゆくための医学教育の過程のなかにおいて「医療における人間関係」の修練が必要であることは当然のことといえます。
 ところが,かかる「医療における治療的人間関係」の教育はこれまでの医学教育課程のなかでは一定の課程または科目として教えられていないのであります。(もちろん,わが国において)それは多くの場合,臨床実習のなかで,自然に先輩から後輩へと無形式のうちに伝達され,教え込まれたものでありました。

医学教育における精神療法講義の構想

著者: 懸田克躬

ページ範囲:P.171 - P.173

 ほかの先生がたと同じように私も,ここで司会の金子教授,このシンポジウムの発案者である土居氏に,うらみつらみをいうべきでありますけれども,もう,十分皆さんおつしやつたので,私は申しません。
 ただ,私の場合には,皆さんごらんのように,抄録集にも抄録が出ていないくらいに悩んでいたと申したいのです。なにを話すべきかということに,苦しんでいたわけです。なまけて出さないわけじやないんです。

九州大学における医学教育と精神療法

著者: 桜井図南男

ページ範囲:P.174 - P.176

 この機会に現在,私たちが医学教育のなかで精神療法の問題をどのように扱つているかということを,ありのままにお伝えして,それに対するご意見,ご示唆をいただきたいと考えた。そうして,私たちの行なつている教育を少しでもよいものにするように努力してゆきたいと思う。また,それと同時に,私たちのやつていることに対して,学生,医師などが,それをどのように受けとつているかということを,アンケートによつて調査したので,それもあわせてお話ししたい。なお,このアンケートに関する作業,資料の整理には,教室の神田橋条治君があたつてくれた。

特別論文

日本精神病治療志(一)

著者: 金子準二

ページ範囲:P.187 - P.190

まえがき
 医学の一部門に病因学(Aetiologie)というのがある。この病因学にさきだつてあつたのが,病観(Krankheits-anschauung)である。病観は前病因学(Praeaetiologie)とも称さるべきもので,まだ科学ではない。しかし病因学が治病の基礎となることが多いと同じく,病観はそれが支配した当時の治病の根元となった。したがつて日本の治療志を記すには一応,上古からの病観にふれなくてはならない。ことに精神病治療志を書くには,病観をその前置きとする必要がある。

研究と報告

寺院放火を反復した1狂信者—パラノイア問題について

著者: 中田修 ,   植村秀三

ページ範囲:P.191 - P.196

 寺院撲滅論という確信から寺院放火を反復した狂信者の1例を報告した。それは疾病学的に好訴妄想に属するものと考えられる。本例と関連してパラノイア問題に若干ふれ,本例の理解にW. Wagnerの見解の有益であることを指摘した。

刑法改正に関する私の意見 第2篇 不定期刑を中心として(その4)—不定期刑

著者: 田村幸雄

ページ範囲:P.197 - P.201

Ⅰ.科刑の原則
 科刑の原則をつぎのように考えたらどうであろうか。(1)刑の量定は責任に応じて行ない,(2)実刑を科するかどうかは,刑の目的を考慮して定める。窃盗を例にとり説明しよう。
 1)広義の責任については,前述のごとく,行為に関する責任と,行為者に関する責任とがある。窃盗についていえば,だれの物,どんな物,どれだけ,どんな方法で,盗んだか,また,社会にどんな影響を与えたかなど,多くの事項が行為の責任に関係している。行為者に関する責任では,非難可能性,広義の期待可能性が問題となり,責任能力,心身の状態,動機,心構え,素質,過去および現在の環境,初犯か前科者かなど,これまた,いろいろの事項がある。

Sturge-Weber病の3例

著者: 金子善彦 ,   荒木貞敬 ,   梶原晃

ページ範囲:P.203 - P.210

I.はじめに
 1860年Schirmer42)によつて,片側の生来性緑内障と同側顔面の火焔状母斑(単純性血管腫)の合併例が記載され,1879年Sturge44)は,上記二つの症状のほかに,それと反対側半身のてんかん様けいれん発作をもつた1例を報告し,その病像から母斑同側の脳表面に同様の病変が存在することを推測した。1897年Kalischer16)が初めて剖検例を報告して,その病理解剖学的根拠を与えた。ついで,1922年Weber50)は,頭蓋単純撮影によつて,健側よりも濃い,広範囲にわたる異常陰影を認め,脳の硬化性の変化か脳膜の異常にもとづくものと考えた。7年後同じ患者を再検査して,頭頂・後頭部に蛇行した二重輪廓を有する特異な石灰化像をみいだし,注目を集めた51)。その後,同様の報告が相つぎ,この症候群に対してさまざまな名称がもちいられたが,1936年Bergstrandら5)により,Sturge-Webers Krankheitなる表題のもとに詳しく論じられて以来,こんにちではこれがほぼ一般的な名称となつている。とくに近年は,van der Hoeve48)のいう母斑症(Phakomatose)なる概念のなかに加えられて,母斑症に属する他疾患との関連性が種々論じられている。
 本邦では,河本20),大野31),菅ら17)の発表に始まり,その後も諸家の報告がつづいている3)27)29)30)45)46)。さて,1960年Hayward13)ら,翌年Patauら34)は本症に特異な染色体異常をみいだしたが,追試による確認はまだ行なわれていない。今回,われわれは,本症のいわゆる不全型3例を経験したので,その染色体所見をもあわせて報告する。

語義失語の1例

著者: 越賀一雄 ,   浅野楢一 ,   今道裕之 ,   宮崎眞一良

ページ範囲:P.212 - P.216

Ⅰ 序言
 かつて井村1)は失語症について,とくに日本語の特性を考慮して興味ある失語症論を展開し,従来からいわれている超皮質性感覚失語の一部に属するとみなしうるが,ある特徴的な病像を示す症例のあることを指摘し,これを語義失語の名をもつてよんだ。その後かかる症例,あるいはこれに近い症例についての報告が岡本,諏訪,藤井,大橋3)らによつてなされている。われわれは最近,かなり典型的と思われる語義失語の1例を経験し,種々興味ある知見を得たので報告し若干考察を加えた。

精神分裂病の家族精神療法(その3)—家族内病識

著者: 阪本良男

ページ範囲:P.217 - P.223

 われわれは,精神分裂病の家族精神療法の経験から,患者の病像の発見,すなわち発病を認識することに関し,家族成員により認識の差があることを知つた。この事実に対し,精神分裂病患者が自己の病気を認識しえない構え,すなわち「病識がない」と精神病理学的によばれる概念を適用し,「家族内病識」という概念を提唱して家族成員個々人の患者の病気に対する認識を表わした。
 この概念の精神力動的意味を,われわれがさきに提唱した「家族抵抗」の概念,家族内病識の順位,家族退行などの考えかたから論じた。この概念は日常臨床上精神分裂病の家族力動を理解するうえにも,家族精神療法的にも非常に有用であると考える。

陳旧精神分裂病に対する薬剤療法の意義に関する検討(第1報)—服薬中止による諸変化と二重盲検法をもちいたChlorpromazineの効果判定

著者: 諏訪望 ,   山下格 ,   伊藤耕三 ,   森田昭之助 ,   三浦敬一郎

ページ範囲:P.225 - P.230

I.はじめに
 精神分裂病の治療に向精神薬が登場してからすでに久しい。この間に発表された臨床薬理学的な研究報告はおびただしい数にのぼるが,しかし各薬剤の特性や臨床適応に関して,十分な実験対象をもちいながら組織的に吟味した研究ははなはだ乏しいのが実情である。本研究は以下に述べるような実験計画に従つて,薬剤療法の実際面における諸閤題や各薬剤の治療効果について比較検討を行なうための基本的な考えかたを吟味したものである。実際に研究が行なわれたのは昭和37年および38年であるが,その後もこの種の研究発表は数少ないし,現在においても変わらず重要な知見を含んでいると思われるので,ここに2篇に分けて報告することとした。

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学会印象記—第12回病院精神医学会総会

著者: 長坂五郎

ページ範囲:P.176 - P.176

 従来の懇話会が,学会となり,第12回病院精神医学会総会として,昭和43年11月7日8日と,宮本哲雄院長(阿波井島保養院)会長のもとに,徳島市で盛大に行なわれた。この学会は年々盛んとなり,会員も1190名(11月1日現在)とふくれあがつてきて,さらに伸展の可能性をもつている。精神病院に勤務する医療従事者の生の声が聞かれるので,精神医療の中心的役割をはたしている精神病院勤務者だけでなく,大学や研究所や総合病院に勤務する人々にとつても,必見必聞の学会であると私は思つているが,現場での体験を通じての声は,ときに叫びにも似て,この学会は,従来からあまりアカデミックではなかつた。きれいごとですまされない感じ,日本の精神医療体制が未熟であるがゆえに,そのままに未熟な,しかし血のかよった,現実的論議が多かつた。いわゆる学会らしからぬ学会,スマートさのない学会という印象を私はもっていた。そしてそれがほんとうの学会であると私は信じてきた。今年もまたおおむねそうした印象を受けたのではあるが,願わくは,"未完の大器"として,日本の精神科医療体系が理想的なかたちをとり,さらに発展をつづけるまで,そうした学会であつてほしいものである。
 一般演題は29題,主題演題として,昨年にひきつづき"中間施設的こころみと問題点"が選ばれ,16題の講演があつた。シンポジウムは,"薬物療法の検討と反省"で,関連演題9を含め,4人の演者と2人の指定討論者により,異色のシンポジウムが展開された。

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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