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雑誌目次

雑誌文献

精神医学12巻2号

1970年02月発行

雑誌目次

特集 医療危機と精神科医—第6回日本精神病理・精神療法学会 討論集会をめぐって 巻頭言

特集にあたって

著者: 土居健郎

ページ範囲:P.86 - P.87

 「医療危機と精神科医」と題された今回の特集は,昭和44年10月5日,6日の二日間,日本精神病理・精神療法学会第6回大会において催された討論集会の模様を伝えるべく,同集会において主に発言した何人かの方々の感想ないし総括を集めたものである。そこではじめに,なぜこのような討論集会が行なわれるに至ったか、またその模様を本誌上に発表するのはなぜかという二点について,説明したいと思う。
 大荒れに荒れた春の金沢学会の後を受けて,秋に予定されていた精神病理・精神療法学会もはたして平穏に経過するであろうかという不安は,秋が近づくにつれわれわれ運営委員の上に重くのしかかって来始めていた。ことに若手の諸君から「本学会も解体しなければ」という声を耳にすることもあって,もしゲバルトをもってプログラムの廃止を要求されるならば,そのときは潔く敗退しようと,われわれ運営委員はひそかに決心していたのである。ところがまったく思いがけないことに,大会の約二週間前,われわれ運営委員および若干の会員のところに,討論集会実行委員会の名のもとに大会を全面的に討論集会に切りかえることを求める文書が速達で舞いこんだ。この文書はその後全会員に配布されたものと同じであるが,そこには時勢の重圧の下で如何にして精神科医として生きるべきかという問いかけが切々とした文字で綴られていた。もっともそこには同時に,もし討論集会に切りかえられないときは「無意味な対立と激突を起こすことになりかねません」という言葉に示されるように,袖の下の鎧が明らかに見て取れたのではあるが。

精神科医はいかにあるべきか—現代日本の精神科医療情勢のなかで考える

著者: 松本雅彦 ,   中山宏太郎 ,   新井清

ページ範囲:P.88 - P.95

はじめに
 1969年10月5・6日に開催された日本精神病理・精神療法学会第6回大会は,二日間にわたる討論集会に終始した。この討論集会を要請し実現するに至った事実経過についてはここでは省略したい。むしろ,この稿では,先に討論さるべく要請した基本的な問題提起を再びとりあげたいと考える。というのも,われわれの提起した問題が,二日間で討論し尽されるべきものとはもとより考えられないし,事実その間に論じ尽されたわけではなく,さらにこの討論がどのような意味を持ちえたかはむしろ今後のわれわれにかかっているのであり,ここで提示された課題は,各大学精神科の医師に,病院に,さらにひとりひとりの精神科医の内部で,半ば永続的に点検され,問い続けられなければならないものと考えるからである。
 あらかじめ断っておきたいことではあるが,われわれはまずはじめに現代社会におけるイデオロギー的立場を先取するところから出発しているのではない。われわれは,精神病者を対象とする臨床の場において,素朴にできうるかぎり誠実な臨床医であろうとし,また学としての精神医学を創造的に発展させたいと願っている研究者にすぎない。この臨床と研究の行為を模索追求しようとすればするほど,われわれは自己の精神科医たる基盤——現実の諸条件に目をうばわれざるをえず,とりわけ病者のまなざしに答えようとするところから,答えうる医師たろうとするに必要不可避なところから問いを発せざるをえないのである。こう考えれば,われわれは決して問いを発しているのではなく,それぞれひとりひとりが問い問われているといいなおさなければならない。

精神科医にとって精神病理学および精神療法とは何か

著者: 森山公夫 ,   石川義博

ページ範囲:P.95 - P.102

Ⅰ.告発の視点
 青医連運動に始まる現在の医療体制変革運動は,その体制を根底から支えていた医局講座制とまずもって正面から衝突し,明治始まって以来のわが国における医育・医学・医療の歪みを,医局講座制との関連において根底から白日のもとにさらけ出した。精神科領域とても例外ではない。
 われわれの精神病理・精神療法学会も,医局講座制権力との完全な癒着をとげていたのである。学会の体質とは,その形成を遂行した一部評議員のもつ体質であり,またそれを不満ながらにも許容した全会員のもつ体質でもあった。そして,このような各人の体質は,当然,その各人の構築した精神病理・精神療法学に浸透していたはずである。

学問の両極性と精神医療の実存的契機

著者: 小木貞孝

ページ範囲:P.102 - P.104

 討論集会に対して私はとにかく自分の全力をこめて《実行委員会》の諸君と討論することに努めた。それは,私が今年ぐうぜんに運営委員であり,実行委員会の直接の批判の一面が運営委員会に向かってなされていたこと,一般討論を中止して討論集会にきりかえることに賛成した責任を一般会員に対してとりたいと思ったからである。新福委員長の出されたアンケートの回答によれば,55%,465の回答で討論集会に反対する人々が242名いたという。これは849名の全会員のうち半数にも満たない。しかし,とにかく討論集会に反対した人々がいたということは事実で,私はやはりこれらの人々に対しても責任をとりたいと思った。討論集会を開くからにはそれを実りのあるものにしたい,それが私の願いであった。
 それにしても一般会員の無関心さが私の心に重く影を落としていた。849通のアンケートに対して,なぜ465名の人しか回答がなかったのか。回答を寄せなかったあとの384名は何を考えているのか私には不思議であった。つぎに,評議員の出席者が半数にも満たなかったことは私にショックを与えた。少なくとも学会の存続や将来の帰趨をきめる評議員が,もっとも重大な学会の危機に姿をみせない,これでは若手の諸君の憤激をかっても仕方がないと思った。それからもう一つの驚きは,討論集会に長老会員がほとんど姿をみせなかったことである。終始熱心に参加された村上仁,井村恒郎,新福尚武,三浦岱栄の諸氏をのぞくと教授方や学会の責任者はまったく姿をみせない。討論集会を逃避しておられるのか軽蔑しておられるのかわからないが,このことはやはり大きな事実として記録にとめておきたい。

精神科医療の荒廃とは?

著者: 辻悟

ページ範囲:P.105 - P.107

 予告されたプログラムの変更のもとに開催された精神病理・精神療法学会の討論集会は,5月に開かれた金沢における日本精神神経学会総会に直結した脈絡の下にあることは,今さらあらためて述べるまでもない。金沢総会の総括は,一個の精神科医を精神科医たらしめている存在の地平の多様さに応じて多様であり,またそれが根源的に自己批判と自覚を問うものであるが故に,終結形になることのない重苦しい問いでもある。それは既存のものが既存であることによって力となること,およびこのような力をも含めて,精神医学の学そのものにおける,また精神科医療実践そのものにおける脈絡以外の力を無批判に受け入れ,あるいはそれに身をゆだねている精神科医の姿勢に対する鋭い告発であった。既存のものは既存のものであるということによって,しばしば大きい力となり,われわれに迫ってくる。したがって,既存のものに対する批判は,必然的に斗争という形において最も尖鋭化される。
 精神科医療の危機が今ほど強く叫ばれた時代はなかったであろう。精神科医療の領域において,その危機をもち来らしめている既存のものに対する批判的な斗いは,外に向かって,内に向かって,また精神科医療の社会的地平において,一精神科医の精神科医としての,また人間としての自覚の地平において,様々に繰りひろげられねばならない。社会的な地平におけるこれまでの自覚の欠落は,金沢総会においてとくに鮮明に問われたところであった。

学術発表は中止さるべきではなかった

著者: 西園昌久

ページ範囲:P.107 - P.108

 大会前の緊急運営委員会で学術発表をやめるかどうするかということが論じられたとき,わたくしは,一日は討論集会をやって,残りの一日は学術集会を行なうことを主張した。わたくしの意見に,あれもこれもやるという姿勢が若い人たちから何を意味するのかと問われているのだとご忠告して下さる方があった。しかし,今でも,一つ一つの学術発表が医療危機の現状況とどのような関連をもつものか,臨床の場とどのような緊密な関係をもつものか,学術研究の内容を通して論じられたら,若い人たちがいう〈第2グループ〉の人たちの学問がどのような精神医学を指向しているか,もっと浮き彫りにされたと思う。
 わたくし自身は,〈なおすこと〉を心がけて研究をすすめてきた。しかし一般論として,必ずしも,今すぐに役立つ研究でないと研究に値しないとは思わない。精神医学の発展の歴史を繙いてみよう。第1期は病者を神の呪われ人,あるいは罪人として手枷,足枷した時期である。第2期は記載精神医学の時代である。診断に熱中して治療法が見出されなかった時期である。診断はついてもなおせないとき,医師はその責任を病者の素質に求めてしまう。ナチスの命に協力してガス室に送ろうとしたドイツ精神医学者の悲劇はそう古いことではない。記載精神医学万能の時期には,精神分析は〈密室の遊戯〉として精神医学の主流から遠ざけられていた。しかし,病者を変質者の座から,正常者の延長線上に存在するものとして理解する道を拓いたのは,学問に値しないといわれてきた精神分析そのものであった。こうして,治療学としての精神医学がはじめて誕生したのである。このように考えると学問は今すぐ役に立つかどうかのみで価値を論ずべきものではない。しかし,それが国民の健康を守る精神医学のなかでどのような位置を占めようとしているものかは常に問われつづけられねばならない。

わが国における精神療法発展の一契機

著者: 小此木啓吾

ページ範囲:P.108 - P.110

Ⅰ.本学会の設立とその歴史的意義
 わが国の精神医学に,どうしたら精神療法を定着・発展させることが可能か。
 (1)精神医学教育(卒前・卒後研修)のなかに,精神療法や心理学的なものの教育課程を確立すること。

アポロギア

著者: 荻野恒一

ページ範囲:P.111 - P.112

 1)「医療危機の深刻な現状に直面して,いま精神科医はなにをなすべきか」という問題は,「いったい先輩たちはなにを考え,なにをしてきたか」を問いつめていく仕方で提出された。提出した側は,若い精神科医(あるいは若いと称する人たち)であり,問いつめられた側は,古い世代といわれる精神科医,具体的にはいままでに精神病理学界で仕事をつづけてきた人たち,とりわけ医学部の講座制につらなって仕事をしてきた人たちであった。そしてこうした問題提出,追求は,「結局なにもしてこなかった。のみならず直接的ないし間接的に医療危機を助長する結果をまねくような役割を果たしてきた」という告発,加えて「精神病理・精神療法学会も,このような古い世代の人たちの活動を助けてきたのであるから,真剣にこの事態を反省し,一旦,解体されるべきである」という勧告にまで発展していった。
 2)「では本学会の解体後,どのような学会が理想的であるか」という建設的なビジョンは,まだ論ぜられなかった。ただいいうることは「旧来のものが解体されることが第一であり,旧来のものが存続するかぎり,無益であるだけでなく,有害であること」,および「これからの精神病理学と精神療法は,医療危機のなかに生きている精神科医が,この現状と斗う姿勢から創り出されるものであるべきこと」であったようである。

いくつかの疑問

著者: 三好郁男

ページ範囲:P.112 - P.114

 討論集会が終わった直後は,紙面をかりて述べておかねばならぬことが多くあると思い,そうせねばならぬという強い欲求を感じた。しかし2カ月近く経った現在,いろいろな点で当時と情勢が変わってきている。それで筆をとるのは気が重いのだが,200人余の反対意見を無視してまで,あえて「自己の責任において」討論集会に切りかえる決定をした今年の運営委員会の責任は——わたしは決定そのものには参加することができなかったがそれは別として——いまだにわたしを含めて委員会の客人に残されていると思う。討論集会の成果を評価し,あるいは批判し,反省し,それらをどんな形にせよ今後の建設的な資料として役立つように(とくに参加しなかった会員に)報告することもその責任を果たすひとつであると思う。それであえて以下にそういう意味でわたし個人の感想ないし見解を記す。
 今回の討論集会は,集会実行委員会の作った資料による第1,第2,第3(若手)グループという三グループ間の対話,論争という形式で行なわれた。実行委員会は数百人になると予想される集会で混乱なく,みのりある討論を進めるためのルールとして前記のような方法をとったと解するが,わたしは今回のせっかくの集会が金沢の総会ほどの強い迫力を持ちえなかった一因は,こういう人工的で図式的な三分法形式にあったと考える。具体的には何人かの人が各グループに属する代表として発言し(あるいは発言を求められ)たが,そういう形を取ればとるほど,見えてくるのは各グループに問われている問題点ではなくて,それぞれの「個人」の見解であり,その相違点であり,問題の討議は深まってゆかなかった。

繰り言めくが

著者: 畑下一男

ページ範囲:P.114 - P.115

 過日,日本精神病理・精神療法学会,第6回大会にさいしては,異例なことながら,大会運営委員会の決断によって,学術集会が全面的に討論集会に切り換えられ,それを促進した討論集会実行委員会の提起した《今日的な問題》としての"精神科医にとって精神病理学および精神療法とは何か"というテーマをめぐって,二日間,七時間に及ぶ討論がくりひろげられました。
 さて,その間,京大精神科の新進新井清君とともに議長の大役を引き受けましたわたしは,なしうるかぎり呼吸を合わせて,この討論集会を金沢学会をのりこえるための歴史的な意味をもった,実り多いものにしたいと志し,技術的には代表的な討論はなるべく時間を惜しまず煮つめていただく方向へリードし,出席者もそれに参加していただくように促しながら,ともに考え合うことができるようにと按配したつもりです。にもかかわらず,この討論集会の《終末》は,学会の解体というやや唐突な宣言によって,討論集会実行委員会から《断絶》をもってしめくくられました。この点,議長として,出席者の胸にうつぼつとして生じたにちがいない不満の感情を十分に取り上げる時間をもたなかったことを残念に思っています。おそらく,あの《しめくくり方》をもって,議長の不手際を責めたくなられた方々もいられたことだと思います。新井君は,この点について,「一足とびに解体にいかぬとも,今少し,段階的発展的解体の道があったのではないかと,私自身は考えておりますが,討論内容の質と結末との間にある落差には,私ならずとも当惑を覚えた人が多かったことでしょう。そのような不満部分が,最後の議事の進め方という技術的な面をピックアップして,不満を投映するからといって,議長団として自己批判する必要はあるまいと居直る次第です。」と,ともに負い目を感じつつも,あれ以上のことはできなかったことを認め合っています。

告発者に訴える

著者: 近藤章久

ページ範囲:P.116 - P.117

 私は一般会員の一人として討論集会に出席した。しかし二日間,連続して告発者と被告発者との間の討論を聴くことは少なからぬ緊張と忍耐を要した。その主な理由は,両者の討論が噛み合わぬままに進行したことによる。もとより告発者はその主張を発表し,被告発者に自己批判を迫り,最小限,その反応を確認すればよいのであろうし,被告発者としても自己の立場を明確にする以外にないのだから,両者の主張がはっきりしたという点では意味があったといえよう。
 告発者の追求はこの学会を運営した医局講座制につながる,いわゆる第1グループに対しては行なわれず,主として第2グループに属する土居,小木その他の個人に対して行なわれた。その理由は私にはわからない。あるいは戦術的考慮によるのかも知れない。第2グループの人達はそれぞれ卒直真摯に自分の意見を述べたと思う。そのなかにはもっと強い自己主張があってもよい位に感じられた人もあった。それに対して告発者側は,何人もの人が質問を担当し,被告発者の名を指定して,かわるがわる批判した。ある人は感情的に興奮し,ある人はいかにも自信のある態度で説得的に,または懇請的にと,いろいろなやり方で自分達の主張を表現した。そこには戦術的ともいえるほど,弾力的な見事な連繋を感じられた。

臨床の場から

著者: 福井東一

ページ範囲:P.117 - P.119

 この春の日本精神神経学会以来,幾つもの学会が批判を受け,その批判が十分に消化される前に終わっていった。この一連の動きのなかにあって,この精神病理・精神療法学会でも幾つかの問題が提起され,討論され,そして問題が深められる前に時間切れとなっていったのである。
 この学会でも,何ものかが動きはじめたのである。しかし動きはじめたそれが何であるかが明らかにされるにはもっと時間が必要だったのである。その何ものかに不安をいだく人達にとっては,この学会は不必要に荒れたにすぎなかったであろうし,その何ものかに多少なりとも関心をもつ人達にとっては,なにか物足りない学会であったに違いない。こういう私はこの学会を物足りなく感じた一人なのである。私が残念であるのは折角二つの立場からの意見が提出されたにもかかわらず、結局噛み合わないままに終わりを迎えてしまったということである。二つの意見が噛み合いさえすれば,その矛盾のなかから発展するものを十分に期待できたにもかかわらず,基本的段階においてすら共通の場を見つけることに成功しなかったのである。しかし考えてみればこの基本的段階である共通の場を求めることこそ最も困難な問題なのであり,それを目指しての討論集会であったともいえるのであろう。

現代の“富める青年”は誰か

著者: 安永浩

ページ範囲:P.120 - P.121

 今回の問題提起の中核は医療政策の問題なのだが,結局そこまでは話がゆかず,学問や学会の体質,各人の意識を問い直す,という大きな迂路をとることになった。これは従来のいきさつからして,また事柄が社会全体の文明史的現象にかかわっている以上,やむをえないことだったろう。紙数も限られているし,私としては集会の個々のことでなく,ごく一般的な感想をしるすにとどめる。
 まず「学問論」そのもののレベルでは,それほど立ち入って論じる必要もないだろう。どんなアプローチでも自由に試みられるべきは自明である。提起者もこのこと自体はわかっているのだと思う。その限りで指摘されたいくつかの批判は傾聴すべきものがあると思う。学会の体質にある偏向があったとすれば,除ける限りこれを切り捨てて,さっぱりしたいものである。問題は結局は,学問の主体たる個人の生き方の問題に帰着する。これだけならば完全に同意できる。

討論を顧みて

著者: 土居健郎

ページ範囲:P.121 - P.123

 まずはじめに,なぜ私が今回の精神病理・精神療法学会を運営委員会の責任において討論集会に切りかえる線を強く押したか,その理由をのべるとしよう。私は金沢学会において,若手諸君が現代の医療危機や医局講座制の腐敗を叫ぶのを聞いていて,まったく別の危機感を持った。というのは私に彼らの説くところが理解できなかったという意味ではない。また彼らの説くところは誤っていると思ったわけでもない。ただ彼らを駆り立てて造反に走らせている危機感は,単に医療危機や医局講座制の腐敗ということだけでは説明できない,と思ったのである。何かそこにはもっと深いものが動いている。彼らは自らが精神科医であることに深刻な疑義を抱き,これまで当り前としていたことをすべて怪しみだしたので,かくも爆発的なエネルギーが放出されたのではないか。私はそう考えたので,たまたま次の徳島学会のシンポジウムの主題が会員にはかられたとき,「精神科医とは何か」というテーマを提案したのである。私はこの根本的な問題に立ち帰らないかぎり,そしてそれについて新たな自覚がもたらされないかぎり,われわれの間に起きた混乱と分裂を収拾する道はないと考えたのである。
 不幸にして私の提案は採用されなかったが,しかし今回の精神病理・精神療法学会の討論集会実行委員会が最初に配布したパンフレットを見たとき,私はまさに自分の狙いに狂いはなかったと感じた。というのはそこに私は,医療危機や医局講座制の問題を主体的に受けとめようと悩んでいる若手諸君の姿を見たと信じたからである。もはや袖の下の鎧など問題ではなかった。このように真剣に悩む若手諸君に一日の長あるわれわれが全心全霊をもって答え返すことができなくてどうしよう。彼らのゲバルトに屈するのではなく,彼らの意図に迎合するのでもなく,まさに彼らの問題を明るみのもとに照しだして徹底的に討論しよう。私はこのように決心したのである。

資料

精神科医療の現状

ページ範囲:P.123 - P.126

資料1 各都道府県の人口10万対精神科病床数(1967年末)(病院報告より)
(岡田靖雄:わが国の精神医療の歴史と現状.精神医療の展開,医学書院,24,1969.より引用)

研究と報告

精神分裂病患者間に生じた異常体験の感応現象

著者: 高橋隆夫 ,   水野隆正 ,   赤座叡 ,   江口和夫

ページ範囲:P.129 - P.134

Ⅰ.序言
 著者らは,閉鎖病棟において生活している男女合わせて100人ほどの患者達(そのなかの大半は精神分裂病患者)に接しているうちに,そのうちの特定の3人の女子患者達が,“顔を取られた”,“体の良い部分が取られた”,“頭の中のものが取られて空になってしまう”などとしつこく訴えてくるのに気づいた。しかも,そのうちの2人の患者達が,まったく別々に,同じような内容の異常体験を訴えている同一人物を対象として,“私によく似た人がいる。その人が私の顔を取ってしまった”とか,“その人が顔や頭の中のものを取られたから,私も取られてしまった”などとも訴えてくることや,これら2人の患者の訴える異常体験の内容そのものが,以前彼女達が訴えていたものとかなり相違してきていることなどから,彼女達2人の訴える異常体験の内容は,上述した同一人物のそれに感応されたものであろうと考えられるに至った。
 従来より,精神分裂病患者相互間における異常体験の感応例についての報告は,分裂病共同体,folie a deux(2人での精神病),あるいは感応性精神病などといった症例を通じて数多くなされている1)3)6)。しかし,著者らの知るかぎりでは,これらの報告は主として夫婦,親子,兄弟ないしは親密な関係にある人物相互間において成立したものについてであったように思われる。

精神症状の発現の季節と周期性について

著者: 阿部和彦

ページ範囲:P.135 - P.141

Ⅰ.まえがき
 季節,気候および天候の変化と精神科疾患の発病または病像の変化との関係についての考察は,ギリシャ時代のヒポクラテスに始まり現在に至るまで,種々の研究や仮説が発表されている。われわれの日常診療においても,いわゆる「木の芽立つころ」と昔からいわれているように,春になると入院患者数は増加するし,患者によってはある季節にきまって発病する傾向をもち,本人または家族が何とかしてその時期に発病または症状の悪化を防こうと努力するなど,季節的因子の影響は無視できないように見うけられる。また比較的まれではあるが,一定の間隔をおいて周期的に再発をくり返す症例もある。
 著者は,とくに観察や統計的事実を重要視しはじめた19世紀初期のフランス学派以来のこの方面の主な文献を展望し,それに著者自身が得た結果を加えて参考に供したい。

精神分裂病者の院内生活療法—破綻の原因

著者: 功刀弘 ,   玉井幸子 ,   水野鍾二 ,   桜井俊介 ,   佐伯桃子 ,   斉藤千賀子

ページ範囲:P.143 - P.151

I.はじめに
 精神分裂病者に対する積極的働きかけは向精神薬の導入とあいまって多大の成果をあげつつあり,それらに関する報告も多数なされている。しかし今までの報告に共通していることは比較的恵まれた施設と人員によりなされたものか,あるいは入院患者の一部についての報告であり,わが国精神医療の大半を担っている民間中小精神病院に無縁のものが多かった。
 われわれは人員,施設ともに不十分な条件にある東京天使病院において得られた成果と問題点を40年4月から44年4月までの4年間の経験から報告する。今回はその中でも社会復帰しようと努力している分裂病者の示した数々の破綻を省みながらまとめた。本院の入院患者数と職員の構成は第1表に示した。

紹介

早発性痴呆をめぐって

著者: 神谷美恵子

ページ範囲:P.155 - P.160

I.はじめに
 ブロイラーが精神分裂病という概念をこしらえてから,すでに60年になろうとしている。1911年に彼が“Dementia praecox oder die Gruppe der Schizophrenien”(イタリック筆者)というモノグラフィーを著したとき,彼みずから次のように記している4)。「Dementia praecox(以下D. p. とする)の概念全体がクレペリンに由来する。またわれわれは,個別症状のまとめかたと,その特徴づけをも,ほとんど彼にのみ負っている。……この概念の発生地はクレペリンのPsychiatrie第5版である」。
 今日,精神分裂病の概念は,依然として有用ながら,その輪廓は,いろいろな方面から切りくずされつつあるようにみえる。このさい,その前身たる早発性痴呆の概念が,どのような源泉から,どのように形成されていったか,を通覧してみるのも,"認識論的反省"の索材として,役立つかも知れない。

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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