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雑誌目次

論文

精神医学12巻3号

1970年03月発行

雑誌目次

巻頭言

専門バカ・専門エゴ

著者: 桜井図南男

ページ範囲:P.166 - P.167

 このごろ,専門バカとか,専門エゴとかいうコトバがよく使われる。自分の専門の学問に没頭していて,それ以外の社会の情勢などについては何も知らないし,知ろうともしないし,対処する能力もないというようなことであって,学者,あるいは研究者を嘲り,非難しているわけである。しかし,ほんとうの学問は専門バカ,専門エゴによって築きあげられてゆくのではなかろうか。いつも社会的な情勢を分析したり,改革の原理を考えたり,自分の学問が社会のために,どのように役立っているかなどと自己批判しているようなことでは,なかなか学問にうちこめるものではないだろう。
 研究には無駄が多い。意図したことが,そのまま成果につながるとは限らない。試行錯誤を重ね,泥まみれになって努力してゆくうちに,ふいに思いがけないような結果がでてきたりする。研究者はいつも合目的的に行動しているわけではないのである。もちろんわたしたちの研究は,終局的には社会に役立つものでなければならぬであろう。しかし,その社会にしても,いったいどのような社会がそのあるべき姿なのかということになると,なかなかややこしい問題になってしまう。社会は急速に,あるいは徐々に変わってゆくものであろうから,変わってゆく社会のほうで,然るべく判断し,わたしたちのやった研究のうちで,有用なものだけを拾って,役立てていただきたいものである。

展望

遺伝性代謝異常の考え方

著者: 柿本泰男

ページ範囲:P.168 - P.183

はじめに
 今や先天性代謝異常として知られている病気の数は千を越したといわれている。これらを個々に記述し医師の利用に役立てるためにはもはや辞書のようなものが必要であろう。またすべての医学生や医師がそれを覚えることなど不必要なことであろう。しかしこの分野の発展の基礎となった遺伝学,分子遺伝学,生化学の考え方や知識のあらましを理解し,またこの領域に属する疾患の研究から導き出されてきた一般的な知見や考え方を知っておくことは,医学にたずさわるすべての人にとって重要なことと考える。
 この展望では対象として精神科医を頭において,しかもごく平易に初歩的なところから解説するように努めた。なおさらに専門的な詳しい知識を要求される方は文献1)〜2)を読まれたい。

研究と報告

森田療法における諸問題—ヒポコンドリー性基調

著者: 大原健士郎 ,   藍沢鎮雄

ページ範囲:P.185 - P.190

Ⅰ.はしがき
 「ヒポコンドリー性基調」という概念は,森田理論の中核をなすものであり,森田理諭がこの概念と思想の矛盾,精神交互作用を中心として発展してきたことは周知のとおりである。この故もあって,森田の後継者たちの多くは「此の陳腐なる言葉を用いて」1)この概念を遵奉し,ほとんど手を加えることなくその理論構成に生かそうとしてきた。この概念を検討し,別の角度から考察することは,森田療法家にはタブーですらあった。しかしこの概念も,森田独自の概念設定と理論構成の故に,必ずしも明確ではない。森田は論文・随筆・形外会などで折にふれてこの概念をとりあげたが,ある場合には素質との関連性を重視し,ある場合には環境説をとり入れ,そしてまた次の時点には素質論に戻るなど,経時的にみてその理論的発展も迂余曲折を経たため,その理解をさらに困難にしている傾向がある。そこでわれわれは,先の論文2)に準じて,この概念に関連した森田による資料をできるだけ多方面から集め,それからヒポコンドリー性基調の最大公約数を求め,共通の討論の場を設けて論を進めたいと思う。われわれは,これまでにも折にふれてこの概念に接してきたが2)3),この論文では,まずこれまでのわれわれの主張から次の2点を改めてとりあげておきたい。
 (1)ヒポコンドリー性基調とヒポコンドリー性(死の恐怖)とは区別して考える。

奇妙な背後恐怖患者に関する考察

著者: 小見山実 ,   平山正実 ,   渡部修三

ページ範囲:P.191 - P.197

Ⅰ.まえおき
 「みる」という現象にはさまざまな意味がある。たとえば,みえるという「見る(Sehen)」,目をとめてじっと「視る(Erblicken)」こと,人格的な出会いにおける「みつめあう」こと,相手の所有を示す「目に入れても痛くない」みかた,など。つまり「みる」という現象には,その現われ方を通じて他者とのあり方や他者に対する態度が表明されている。したがって,「みる」ということが対人関係において重要な役割を演じていることが理解される。
 精神医学においても「みる」ことの病態が出現する。たとえば,分裂病者における「まなざし」(J. Zutt)や「出会い」(v. Bayer)の病態,神経症者の視線恐怖などをあげることができよう。

刑法改正に関する私の意見 第4篇 みずからまねいた精神障害(その3)—責任論

著者: 田村幸雄

ページ範囲:P.199 - P.202

Ⅰ.酩酊犯罪に対する刑罰
 酩酊犯罪者にどの程度の刑を科すべきか,かかる者の改善や予防をどうするかは,いつの時代でも,どこの国でも重大な問題で,各国の関係学会ではしばしばこれに関するシンポジウムなどが開かれ,検討されてきた。酩酊犯罪者の刑罰史や各国の制度についての比較に関する文献も少なくない。著者の眼を通した主なものをあげると,昭和33年に日本刑法学会が共同研究として「酩酊者に対する立法措置」がとりあげられたが,その内容は「酩酊と刑事責任」という書で発表されている1)。このなかには,数人の学者により欧米諸国における酩酊犯罪者の刑罰史をかなり詳細に紹介されている。また,Rylanderは欧米諸国における酩酊犯罪者に関する法を書いている2)。Whitlockは英国におけるこの方面の史的回顧を述べている3)。そこで,ここでは反復を避け,これらに関する時代の流れを総括的に眺めようと思う。
 1)古い時代には,一般に刑を減免する理由とならぬばかりか,むしろ,酩酊なるが故に刑を加重することが多かった。これは酩酊者に対する社会感情の反映であり,刑事政策的考慮(こんな言葉は用いられなかったが)が重点をなしていたからである。現在でも酩酊運転事故の処罰にこの傾向が見られる。

Thiothixeneによる治療経験・補遺—とくに躁・うつ状態の治療について

著者: 融道男 ,   高見沢ミサ ,   土屋健二 ,   小林暉佳 ,   仮屋哲彦 ,   島薗安雄

ページ範囲:P.203 - P.210

Ⅰ.序論
 われわれは約1年前,thioxanthene誘導体thiothixene(台糖ファイザー株式会社提供:NAVANE)を用いて,精神分裂病,躁病およびうつ病,合計63例の治験を行ない,その成績を発表した10)。その報告におけるいくつかの問題点のうち,この薬物の6カ月以上の継続投与がおよぼす影響の検討,および予想以上に効果をもつと思われた躁病ないしうつ病に対する作用を追究するために,引き続きthiothixeneの投与をこころみ,その結果を得たので報告する。
 Thiothixeneは2,5,10mgの錠剤および1%の散剤を用い,治験成績の判定は既報と同じく,「いちじるしい改善」,「改善」,「やや改善」,「不変」および「悪化」の5段階に分けて行なった。

精神分裂病に対するSordinolの臨床治験—主観的方法および二重盲検,逐次検定法による薬効判定

著者: 山根秀夫 ,   飯塚礼二

ページ範囲:P.211 - P.218

Ⅰ.まえがき
 Sordinol(Clopenthixol,N746)はLundbeck社により開発された向精神薬で,第1図の構造式をもつ。
 わが国においても既に数カ所で治験報告が行なわれているが,われわれは従来どおりの素朴経験的方法による治験を基礎として,さらに客観的評価方法として,二重盲検,逐次検定法を応用し,主観的評価を補足する意味での薬効判定を行なった。なお薬剤の提供は富山化学工業株式会社より受けた。

対談

先覚者にきく—林道倫先生をたずねて(1)

著者: 臺弘 ,   奥村二吉 ,   富井通雄 ,   林道倫

ページ範囲:P.220 - P.234

 臺 近頃,わが国の精神医学と精神医療を築いてこられた先覚者の方々に,昔のご経験やご苦心を聞かせていただきたいという読者の声が多くございます。編集会議でこのことがとり上げられまして,それではまずお前が林先生の所に伺ってこいということで参ったわけでございます。ご快諾いただいて誠に有難うございました。
 地元岡山の奥村先生と富井先生にはいろいろお世話いただきますとともに,一緒に聞き手として加わって下さいましたことをお礼申し上げます。

動き

東京都心身障害者扶養年金制度について—特徴と問題点

著者: 竹村堅次

ページ範囲:P.235 - P.239

 昭和43年12月5日,美濃部東京都知事は東京都心身障害者扶養年金条例を議案として議会に提出した。提案理由は「心身障害者福祉対策の一環として,障害者の保護者が死亡しまたは廃疾の状態になった後,残された障害者に対して保護者の抱く不安を軽減し,また当該障害者の福祉を図るため年金を支給する必要がある」となっている。都議会は同月12日これを可決し,44年4月1日から実施に入った。親の死後,障害者の暮しを保障して欲しいという切実な願いはこれで叶えられたようである。
 この扶養年金制度は,もちろん美濃部都政の一大支柱である心身障害者福祉対策を具体化したもので,実施まで1年半の準備期間があり,途中43年9月,都社会福祉審議会が答申したものを基礎に発足した。このような制度は都に限らず,最近地方自治体が続々実施する傾向にあり,国も43年5月から「心身障害児福祉基金」を統一的な制度にするかどうか検討をはじめたので,確かにこれからの心身障害者対策の一つの動きとして注目に値するものがある。しかし,東京都の制度は現状で見るかぎり,精神障害者を包括したのをはじめ運用面でユニークなものが期待できる点でさらに特筆してよいと思う。以下にそのあらましを説明し,若干の私見もつけ加えてみたい。

資料

Nepal西部における呪医(Dhami),祭司(Pujali)およびボン僧(Lama,Tawa)の宗教精神医学的調査

著者: 小田晋

ページ範囲:P.241 - P.249

 西部ネパール民族文化調査隊(隊長田村善次郎,武蔵野美大社会科学研究室)のメンバーとして1967年11月-1968年3月までNepal王国西部山岳地帯住民について行なった,比較精神医学的調査の結果中,とくに宗教精神病理学的事項に関して報告した。Nepal住民の大多数はヒンドゥー教徒であるが,西北部山岳地方ではジャンクリズムと呼ばれる特有の民間信仰の形態をもつ。この地方のヒンドゥーイズムの担い手には三種あり,第1は集落の小祠の管理,祭儀の執行に任ずる祭司(Pujali)で,第2および第3の範疇に属するのは祈禧師(Jancri)および呪医(Dhami)とよばれるshamanあるいはexorcistであって,彼らは一定の方式に従って降霊を行ない,神と人との媒介をなすことによってJancrismの信仰形態を維持する。ジャンクリは一定の集団をなし,修行によってexorcistとなったものであり,ダミはもっぱら魔法医としての仕事に任じ,一定の師弟関係なく,集団をなさず多くの場合突発的なecstasyの体験を契機にexorcistとなったものである。
 われわれが調査した8例のダミのうち,1例はてんかん発作が,1例はマラリアによる熱性せん妄がダミになる契機となっている。彼らは祈祷によって神を呼び下すとともに憑依状態となり,神の幻覚を見ることが多いが,プジャリは見神,忘我を体験することはなく,ダミが人格神との体験的出合いを信仰内容とするのに対し,より体制的な信仰の担い手である。ロールシャッハ検査で前者が(H)↑,religion↑,M↑で後者はreligionの内容がArch. Objであり(H)↓M↓であることからもこれは示された。

紹介

外国における精神科専門医制度とその実態—フランス編

著者: ,   高橋徹 ,   小口徹

ページ範囲:P.251 - P.253

I.はじめに
 「五月革命」以降フランスでは高等教育改革が進行中である。フランスの教育制度は日本のそれに比べて非常に複雑で画一的でなく,またフランス革命やその後今日に至るまで何度かの改革が行なわれてきたにもかかわらず,旧制度下で出来あがったものがまだ根強く残っているなど,教育改革の意味するところも日本の場合とはいろいろな点で違いがある。
 このことは,精神医学教育という一局面をとりあげてもいえることである。

Paranoia概念の変遷(前篇)

著者: 伊東昇太

ページ範囲:P.255 - P.263

Ⅰ.序論
 Paranoiaをめぐる諸問題は,すでに出つくした感がある。Griesingerの「精神の脆弱状態」(psychische Schwächezustände)による説明は,ドイツ精神医学の教義となっていた。Snellの臨床観察は,Hildesheimの病院の8名から成っていて,端的にして十分な記載は印象深いものである。さらにWestphalの緊張病をも含め,また強迫表象にもとづくParanoiaの頓座型の提唱は,本病圏の拡大といわねばなるまい。そしてKraepelinの定義や症例Wagner(Gaupp)の生活史は,なお汲みつくせない問をなげかけている。一方諸々の論文を比較し展望すると,研究者の間に相違があり,この概念の変遷は決して単純なものではなかったといわねばならない。たとえばParanoia,Verrücktheit,Wahnsinnの言葉の使用は一様でなかった。さらにParanoiaにおける感情と思考の障害で,どちらが原発的で,優位であるかをめぐっての問は,決してSpechtに始まったわけでなかったことがわかる。それ故にここでは主に1900年以前の研究について触れてみることとする。

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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