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雑誌目次

論文

精神医学13巻1号

1971年01月発行

雑誌目次

巻頭言

病院精神医療の主体性を確立せよ

著者: 渡辺栄市

ページ範囲:P.2 - P.3

 私は今日,日本の精神病院の問題が社会に大きくとり上げられ,それが厳しい批判にせよ,ごうごうたる非難にせよ,あまりにもむごい暴露にせよ,論議の的になっていることを,むしろ当然という気持で受けとめている.どうしてもっと早く精神障害者の問題が日本では大きくとり上げられなかったのかと,私は四十年間の精神科医として甚だ不満であり心外であった.
 私は一昨年のWHOのクラーク勧告も,日本人として面白くはなかったが,現在の日本の精神病院の実態を,ある程度は知っているつもりなので,極めて当然のことだと思った.そして,少数の優れた病院はあるにしても,一般的には欧米の水準からあまりにもおくれていることを残念に思い,なんとかして欧米文明国の水準までは到達したいものと念願し,私なりに昼夜をわかたず努力してきたつもりである.いったい今日,世界の大国と思われ,自らも思っている日本において,何故精神病院や精神障害者のみが,このような処遇を受けなければならないかについて,深い悲しみと同時に憤りを覚えていたのである.

先覚者にきく

関根真一先生をたずねて

著者: 関根真一 ,   江副勉 ,   臺弘 ,   清野昌一

ページ範囲:P.4 - P.18

精神科医への道
 江副 それでは,月並でまことに恐縮でございますが,先生が精神科の専門医になられた動機といいますか,そんな所からお話を伺いたいと思います.わたし共の時代でもそうでしたけれども,先生の時代では特に医学校を卒業して精神科の医者になるということについては,いろいろとご家族やご親戚などに反対の気分あったり,端から「どうも……」というふうに,どうして精神科の医者になるんだろうというふうな危惧の念を生ずる時代ではなかったかと思うのです.そのような雰囲気の中で先生はこの領域に飛び込まれたのですが,先生の当時のお考えや一般の医学生の考え方とかをお伺いできればと思います.
 関根 私はわりあいその点には恵まれていましたね.というのは親父が田端脳病院の関係者でした.創立当時は東京脳病院といいましたが,そこの創立者の1人だったんです.医者ではなくて病院の経営管理の仕事を担当していた.それで親父は病院のなかに寝泊りしておったのです.そして母と私共兄弟は埼玉で生活して,親父は年に1回か2回しか帰ってこないというような環境でした.田端脳病院の院長は後藤省吾先生で,亡くなられたあとは後藤城四郎先生*がなられた.黒沢良臣先生**も副院長になられたことがありました.

特別論文 精神医学の基本問題—精神病と神経症の構造論の展望

第7章 ビルンバウムの「構造分析」を中心として

著者: 内村祐之

ページ範囲:P.20 - P.28

精神病の構造分析への動き
 精神病患者の示す病態を,観察するままに克明に記述し,これを多数例の経験によって整理して,単一病型を定めようとする努力が,思ったほどの効果を挙げず,ことに内因性精神病——ホッヘのいわゆる機能性精神病——に多くの不純型の観察されることから,新しい説明方法が要請されるに至り,その結果として,ホッヘらの症候群学説が生まれたことは,すでに第3章と第6章とで述べた通りである.そしてことに第1次世界大戦の際の神経症研究を契機として,症状相互間の内的関連や,症状の発生機構について考えるとともに,精神素質や人格の特徴までを考慮して,精神病像の構造をより詳しく,より合理的に理解し,その結果を精神病の体系化に役立てようという機運が新しく生まれてきた.
 しかし,こうした考えをもつ研究者はすでに古くから存在していたのである.すなわちマイネルトやウェルニッケらがそれで,彼らは病像の内的分析に着手していたのであるが,その基礎となった彼らの考え方が,あまりにも一元的に,脳障害の結果としての精神病という作業仮説に傾いていたため,その後に発展した,神経症や機能性精神障害をも含む精神病全体の構造論としては不適当であるとして,あまり顧みられなかった.とにかく新しい構造論は,第1次世界大戦以後に急速に発達したのであって,ビルンバウムの言葉の通り,「戦争神経症の研究によって初めて病者の全構造の合理的分析が始められた」のである.

特別研究 分裂病家族の研究・2

分裂病姉妹の一家族—事例B

著者: 川久保芳彦 ,   望月晃

ページ範囲:P.29 - P.36

 1)同席面接で得られた資料をもとにI. C. L. および音調テスト結果,さらに個人面接の情報を加え,分裂病家族の相互関係を中心にした家族像を描こうと試みた.
 2)この事例は長女・次女が相次いで発病しているが,長女・次女の発病過程を述べ,両者がともに主婦的役割を負い,家族の成全(integration)を試みたいきさつについて論じた.

研究と報告

精神分裂病の病状期中に生じた異常体験反応

著者: 高橋隆夫 ,   平林幹司 ,   四十塚龍雄

ページ範囲:P.39 - P.44

I.序言
 精神状態の改善が行なわれ,対人的な接触もかなり円滑に行なわれるような状態にまで回復していたKという精神分裂病者が,ある時期から無気力な状態となって,対人的な接触を避けようとする態度を取るようになり,時には独りで何事かを考え込んでいるといった様子を呈するに至った.この時期には,面接を行なっても疎通性は乏しく,問診にも形式的,表層的に応じているという感じであった.その後,彼は再び元気を取戻し,“あの頃,病気が悪くなっていた”とか“当時,自分はあることに非常に苦しめられていた”などということを,自ら語ってきた.
 彼が語るところによれば,この精神的苦脳は,“あることを契機として生じた”ものであり,“その契機となった状況が消失するとともに消え去っていった”とのことである.彼は,この精神的苦脳をきたす以前より,分裂病体験を抱き続けていたのであるが,この苦悩に悩まされている時期においても,またこの苦悩が消失してしまってからも,彼の分裂病体験の変化はわれわれには感じられなかった.また彼は,この時期の苦悩を,“分裂病の悪化によるもの”として捉えてはいたものの,この苦悩は,彼に分裂病体験に対する場合とはまったく異なった態度を取らせていたということが,彼の言葉から明らかとなった.

記号的機能と鏡像認知障害について—老年期痴呆の精神病理学的一側面

著者: 浜中淑彦

ページ範囲:P.45 - P.55

 一初老期痴呆患者の鏡像認知障害を分析し,これをラジオ,テープコーダーと対話するという特異な行動障害とともに,記号論的観点より検討した。

精神運動発作に対する“Tegretol”と“Pheneturide”の薬効比較

著者: 大橋博司 ,   河合逸雄 ,   浜中淑彦 ,   池村義明 ,   松田結美子

ページ範囲:P.57 - P.61

I.序論
 Pheneturide(Phenylethylacetylurea)とTegretol(carbamazepine)が抗てんかん剤として使用されるようになってすでに久しい.わが国において,Pheneturide(以下P. と略す)の薬効に関する報告は1961年頃よりみられ2)7)8)11)14),Tegretol(以下T. と略す)のそれは1965年頃からと思われるが1)3)4)5)6)9)16),両者に認められる臨床的効果は従来難治とされていた精神運動発作に有効なことである.文献から両薬剤の共通点をとりだしてみると,つぎのごとくまとめられよう.化学構造式としては,抗てんかん剤として一般にひろく用いられてきたHydantoin系薬物とはまったく異なること,臨床的には一般に大発作と精神運動発作に有効であること,気分変調などの挿間性症状,さらには人格変化にたいして時に有効であること,副作用は軽微で,それが出現しても比較的早期に消退することが多い,などである.しかし,文献から両者の薬効を比較することは,対象の相異,判定基準の相異のためまったく不可能である.
 さて,抗てんかん剤が多種にわたって使用されているにもかかわらず,わが国では二種以上の薬剤が比較検討された報告を著者達はみていない.てんかんの発作型にしたがって薬物の選択範囲もかなり狭められる現況であるが,二種以上の薬剤が同型の発作に効くとされる場合,薬剤それぞれの有効程度,特徴を知っておくことは重要である.とくに精神運動発作に有効な薬剤の歴史は比較的新しいものであるから,ここに著者らはP. とT. の薬効比較を試みた.

脳動脈硬化症を合併したAlzheimer病の1剖検例

著者: 三山吉夫 ,   高松勇雄

ページ範囲:P.63 - P.69

I.はじめに
 Alzheimer病(以下Alz. 病と略す)は初老期痴呆群のなかでも比較的多く経験される疾患である.臨床および病理学的にその定型例は別として,非定型例に出くわすことも少なくない.かかる場合には,Alz. 病の病因が未だ明らかにされていない上に,臨床-病理所見においても他の初老期〜老年期脳器質疾患との移行があるために,臨床診断が必ずしも容易ではない.老年痴呆とAlz. 病とがまったく異なる疾患単位であるかどうかについては,現在でも議論の余地がある.一方脳動脈硬化症とは病理学的には明らかに区別され,一般にAlz. 病では脳血管の形態学的変化は少なく,年齢相応かむしろ年齢の割には血管壁は柔軟であると記載されている1)6)7)9).しかしAlz. 病と脳動脈硬化症との合併例の報告もかなりあり1)2)3)4)5),最近わが国では近藤ら8)が報告している.われわれも組織学的に脳動脈硬化症を合併したAlz. 病で,その臨床経過に脳血管障害が関与したと考えられる症例を経験したので,臨床-病理学的に2〜3の考察を加えて,症例の追加をしたい.

短報

Antabusによると見られる精神神経症状

著者: 兼谷俊 ,   兼谷啓

ページ範囲:P.70 - P.71

I.はじめに
 Tetraethyl-thiuram disulfide(Antabus)は,抗酒剤としての効果が期待されて広く使われる一方,種々の副作用があることが指摘され注意されていた.ここに報告する2例は,Antabus使用後に重篤かつ特異と思われる症状を呈し,うち1例は不幸にして死の転機をとるにいたったものであるが,その概要を述べ報告したい.

資料

精神障害者通院医療費公費負担適用者の実態調査

著者: 米倉育男 ,   大野勇夫

ページ範囲:P.73 - P.77

I.はじめに
 昭和40年6月30日,精神衛生法の第4次改正によって,その第32条に「都道府県は,精神障害の適正な医療を普及するため,精神障害者が健康保険法第43条第3項各号に掲げる病院若しくは診療所又は薬局で病院又は診療所へ収容しないで行なわれる精神障害の医療を受ける場合において,その医療に必要な費用の2分の1を負担することができる」という,いわゆる「精神障害者通院医療費公費負担制度」が新設され,同年10月1日から実施された.
 これは,従来から精神障害者に対して入院中心的,保安中心的であるという非難を免れなかった精神衛生法としては,少なくとも外来医療への関心を示したという意味では画期的なものであったといってよいであろう。

アルコール中毒者の転帰—とくに川崎市におけるアルコール中毒者について

著者: 大原健士郎 ,   宮里勝政 ,   山本善三 ,   本間修 ,   長橋千鶴

ページ範囲:P.79 - P.84

I.はしがき
 アルコール中毒者の転帰に関する調査にさいしては,いくつかの問題点があげられるが,まず第1に,対象となるアルコール中毒者の定義の問題がある.すなわち,ドイツでいうAlkoholismusとは,Chronischer Alkoholismusを指し,Suchtを基盤として幻覚・せん妄・妄想・作話などを生じたいわゆるAlkoholpsychosenとは区別して扱われている.しかし,AlkoholismusをAlkoholsuchtと同義に解している傾向も少なくない.アメリカでいうalcoholismは,ドイツのAlkoholismusとは異なり,acute alcoholic intoxicationからchronic alcoholismまでの非常に広範囲のものを含み,さらに中毒による精神症状を伴うalcoholic psychosisまでもこれに含まれているようである.わが国におけるアルコール中毒の概念もかなり混乱しており,アルコールに起因する精神障害・性格偏倚などを総称する傾向がある.彼らのなかには,断酒を決意して入院する患者もあれば,断酒の意志もないままに無理に入院させられる者もいる.また,機会的飲酒が酒乱の原因となった例もあれば,他方では妄想や幻覚を伴ういわゆるアルコール精神病者もいる.彼らに共通して認められるものは,アルコールに対する依存性とそれに起因する自己の悩み,あるいは彼をとり巻く他者の悩みである.第2に問題になることは,転帰の判定基準である.厳密にいえば,彼らが治療を受けて禁酒にふみ切っただけでは決して転帰良好とはいえない.なぜなら,禁酒によって内的緊張が顕著になり,神経症的態度を示す者も多いし,非社会的・反社会的行動をとる者もいる.そしてまた,禁酒者よりも,適度に飲酒できる者をより良好な転帰を示すものと考えるべきだとする説もある.その他,治療者は転帰判定者たりえないという問題,多岐にわたる治療内容など,多くの問題点が考えられよう.
 現時点では,このように多くの問題をはらむにもかかわらず,あえてわれわれがこの課題をとり上げた理由は,精神障害者のなかでもいわゆるアルコール中毒者は再発が多いこと,家族内葛藤が著明なこと,治療も画一的で,治療者も家族も問題の重要性を認識していない場合が多いなどという臨床的体験にもとづいた印象を再検討し,治療上の反省をえたいと考えたからにほかならない.

From Discussion

「新ハイデルベルク学派をめぐって」(12巻・9号)を読んで

著者: 伊東昇太

ページ範囲:P.85 - P.86

 著者は「まえがき」で「“怒れる若者たち”が集まって,主として精神病理学の分野で活発な活動を展開するに及んで,ハイデルベルクはふたたびドイツの,ひいてはヨーロッパ精神医学界に指導的な位置を占めるように」なったといわれ,続いて「新ハイデルベルク学派成立の母胎」,その「発展」そして「現況」と史的描写をしたあとで,定年間近い現主任教授の,いわばPost-Baeyerの当該学派の運命や如何と結んでおられます.一方文中で「学派といっても便宜的な総称であって」「個々の研究者が臨床に密着したかたちで,それぞれ独自の方向をたどり,これらの基底に前述のような共通の精神(すなわちspiritus heidelbergensis:著者注)がながれている」とも説明を加えています.そしてOberarztの名前をあげて紹介をこころみておられますが,二,三の印象を得たので筆をとったしだいです.
 まず「ハイデルベルク学派」(Heidelberger Schule)の名称です.私はこの名前をConradの“Die beginnende Schizophrenie”(1958年)に見るにすぎません.Conradの場合,この学派に属する人としてWilmanns,Gruhle,K. Schneider,Mayer-Gross,Bürger-Prinzをあげています.そしてこの単行本では,Binswangerの道を歩めばわれわれは「詩人に変身」せねばならないと言い,JaspersについてはZuttを引用して「手のつけられた道をさらに突進む力を与えてくれなかった」と言って「第三の道」を求めて行ったわけです.ここで身をもって感ずることは,Conradの言う“Heidelberger Schule”はJaspersの「説明」と「了解」の概念を生み,そしてこれにつらなる精神病理学研究の一派であるということです.

伊東氏の投稿を読む

著者: 宮本忠雄

ページ範囲:P.86 - P.87

 私が本誌の第12巻第9号に「新ハイデルベルク学派をめぐって」を発表すると,まもなく多くの方々からいろいろな反響がよせられました.これらの反響を大きく分けると2種類になり,その1つはこの「学派」の認定や人的構成に関する異議で,たとえば内村祐之先生からはまっさきに,「(第1次の)ハイデルベルク学派としてJaspersやGruhleが入っているのはわかるが,K. Schneiderが当時彼らといっしょに活動していたというのはまちがいではないか」といった指摘をうけました.もう1群の反響は主として若い方々からのもののようで,ハイデルベルクの精神科が近年たどりはじめている分極化の現象,なかでも50年代に主流だった現象学的・人間学的方向から社会的方向への転換ないし推移を日本の学界の現状などに対比しながら感慨をつづるといった種類のものでした.
 伊東氏の投稿は,「二,三の印象を得たので筆をとった」と書かれているように,読後感をかなり自由にしたためられたもののようです.それだけに何を言わんとしておられるのか必ずしも明瞭ではありませんが,氏の文章の行間を読めば,私がハイデルベルク「学派」とかspiritus heidelbergensisと既成の概念ででもあるかのように語った事柄にたいする一種婉曲な批判のように受けとれます.とすれば,これは先ほど述べた第1群の反響のほうに入るかと思います.

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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