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雑誌目次

論文

精神医学13巻11号

1971年11月発行

雑誌目次

巻頭言

ピネルをめぐる「詩と真実」

著者: 大橋博司

ページ範囲:P.1038 - P.1039

 Annales medico-psychologiquesの最近号にピネルに関する小論文(Postel et al. 1))があるのを見て,この高名な精神医学の先駆者について少々しらべる機会がありましたので,「巻頭言」として適当かどうかわかりませんがいささかの紹介をさせていただきます。
 このところ構造主義の闘将ミッシェル・フーコー2)3)がピネルへの従来の評価をくつがえしたかのようであり,これは例えばジルボーグの「医学的心理学史」4)などにみられるピネル観とは対極をなしています。

特別論文 精神医学の基本問題—精神病と神経症の構造論の展望

第15章 神経症諸論—森田とアドラーと新フロイト派

著者: 内村祐之

ページ範囲:P.1040 - P.1049

森田の立場とクレペリンやシュナイダーらのそれとの異同
 前章の後半で私は,神経症異論と題して,クルト・シュナイダーの見解を紹介した。ここで異論と言った理由の一つは,幼児,小児期における精神的外傷や性格形成の失敗,乃至は社会的環境への適応障害などを,神経症発生の主因と見ようとする今日の力動精神医学または精神分析の立場に逆らって,シュナイダーの立場は,神経症の種類によっては,その生来性の精神病質的体質を原因的に重視するものであったからである。たとえば彼は,強迫神経症を,彼の分類した自信欠乏性精神病質人格からの発展と考え,また神経質やヒポコンドリーを,同じく彼の無力性精神病質人格からの発展と考えたのであった。
 ところで神経症の症状の発展固定に至るまでのメカニズムを,力動心理学的に説明するとしても,多くの場合,その基礎に,生来性の異常な体質乃至性格傾向が,最も根源的なものとして潜んでいることを忘れてはならぬというのは,オーソドックスの精神医学者が一様に抱いていた伝統的な考え方である。それゆえシュナイダーの立場は,この古い伝統的立場の現在における代表者であると見ることができる。

C.P.C. 松沢病院臨床病理検討会記録・3

酒精中毒あるいは精神分裂病と診断され,ロボトミーを受けた症例—汎発硬化症(シルダー病)

著者: 吉田哲雄 ,   松下正明 ,   石井毅

ページ範囲:P.1051 - P.1056

Ⅰ.まえがき
 性格変化ではじまる脳器質疾患の診断は必ずしも容易でない。とくに初期には分裂病との鑑別に迷う場合がしばしばある。ここで検討するのはそのような1例で,ロボトミーまでうけており,とくに注目に値すると思われる。

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故田縁修治先生を偲ぶ

著者: 岡田導夫

ページ範囲:P.1058 - P.1058

略歴
 去る9月5日ひる前,突如,脳底動脈瘤破裂により発病,9月11日早朝より昏睡状態となり病院を挙げての手当の甲斐もなく,昭和46年9月19日午前11時40分遂に逝去されました。享年52歳。
 先生は大正8年8月19日大分県中津市にて出生され,県立神戸第一中学校,第一高等学校理科乙類を経て,昭和18年9月東京帝国大学医学部医学科を卒業され,直ちに精神病学教室に入局され,短期現役軍医として今時大戦に参加した後,昭和22年教室に復帰,内村祐之教授のもとで臨床経験を積まれるとともに中枢神経系の病理組織学に関する研究を通じて,てんかんの研究に取組み,特に薬理学についての造詣が深かったため,治療薬合成にまで発展したのである。この間,昭和28年7月東大医学部講師となり,また,同愛記念病院医長として神経科創設にあたり,昭和34年より東大助教授となり,昭和38年,第16回日本医学会総会においては「てんかんの薬物療法」と題する学術講演を担当されたのであります。

研究と報告

d-Chlorpheniramineの抗うつ作用について—臨床的検討(第1報)

著者: 田縁修治 ,   岡田導夫 ,   内沼幸雄 ,   竹村紀夫 ,   椙村憲之

ページ範囲:P.1059 - P.1066

Ⅰ.まえがき
 Imipramine(Tofranil)のうつ病に対する治療効果がKuhn, R. 1)(1957)やKielholz, P. ら2)(1958)によって報告され,うつ病の薬物療法に画期的な前進がもたらされた。これが端緒となって,imipramineに構造が近縁な種々な誘導体のうちからあいついでうつ病に有効な薬剤が見出され,抗うつ剤(antidepressant drugs)あるいは感情調整剤(thymoleptica)としての地歩を確立し,今日ではうつ病治療の主流はかつての電撃療法や持続睡眠療法から離れて,全く抗うつ剤による薬物療法に移ってしまったといえる。
 またこれら一群の抗うつ剤の臨床作用が確認されるとともに,その薬理作用も検索され,今日では抗うつ剤が,chlorpromazineなどの神経遮断剤(neuroleptica)やamphetamineなどの中枢刺激剤(central stimulants)などとは全く異なった独自の薬理作用を示すことが知られている。このうち現在もっとも抗うつ剤の作用に本質的と考えられているものにレセルピン逆転作用(reserpine reversal)がある3)。すなわち,動物にreserpineを投与すると,眼瞼下垂,縮瞳,自発運動の減退,低体温,カタレプシーなどの一連の症状が起こるが,この動物に予め抗うつ剤を前投与しておくか,あるいは後になって投与すると,これらの症状は発現しないか,いったん発現したものの消退したり,時によっては逆転して眼瞼開大,散瞳や自発運動の増加,高体温をきたすことがあるという事実である。

長期観察による精神分裂病の病像変遷と経過の研究—「薬物療法群」と「初期非薬物療法群」との対比—(その2)軽快退院患者について

著者: 後藤彰夫

ページ範囲:P.1067 - P.1076

Ⅰ.はじめに
 本研究の試みは,精神分裂病の病像と経過が薬物療法導入以来どう変わってきたかを長期観察によって明らかにすること,またそれによって薬物療法の包括的な評価を試みることにある。
 この目的のためには,本来なら,全く薬物療法をうけていない分裂病者と治療初期から薬物療法をうけた分裂病者とを比較するのが理想であるが,薬物療法導入後すでに十数年を経た現在では,全く薬物療法をうけていない分裂病者を多数観察することは不可能であるし,またその病像や経過が加齢などの要素により変化を蒙っている可能性の大きいことなどのために実行不可能である。したがって,少なくとも初期の数年間は薬物療法をうけていない分裂病者群(仮に「初期非薬物療法群」と呼ぶ)と初期から薬物療法をうけた分裂病者群(仮に「薬物療法群」と呼ぶ)とを比較することにした。

道元的行と森田療法との相関についての一考察

著者: 鈴木知準

ページ範囲:P.1077 - P.1082

Ⅰ.はじめに
 さきに慈恵大学の野村1)は,森田が神経質の治療法を考究したとき,永平寺の修行を参考にしたのではないかと論じている。これは極めて興味深い発言であり,このことに関する論説はまだ発表されていない。森田の著書,論文を読んでも永平寺のことにふれているものはみあたらないようであるので,森田が永平寺の修行様式から直接影響をうけたことはないもののように思惟される。
 しかし,新福2)のふれているように日本の禅的文化の背景下にそだった森田によって発見されたこの療法技法が,道元と同じかあるいは極めて近縁の道を歩むに至ったと考えるのが当を得ているようである。以下森田の療法と道元の永平寺の修行の相似相関について考察してみたい。

大麻取締法違反事件非行少年の精神医学的研究

著者: 小田晋

ページ範囲:P.1083 - P.1090

 1970年〜71年3月にかけ,大麻取締法違反で東京少年鑑別所に収容された非行少年中,面接しえた13例(女子4名)について報告し,現時点における非行少年の大麻乱用の実態について報告する。
 (1)年齢的には18〜19歳がほとんどで年少者はいない。鑑別所収容例なので文身,頭部外傷,精神病質,同傾向等は非行少年的な特徴をもっているが,それは強いものではない。
 (2)非行その他行動面との関係をみると,他の刑法犯の前件非行をもつもの5例を含むが吸煙の直接影響下の非行例はない。家出歴,フーテン生活との親和性は強く,頻回使用の場合は怠け者で非現実的になる傾向があった。
 (3)1970年9月の時点までは大麻取締法違反事件少年は外人となんらかの接触をもつものが全部でマリファナも輸入品であり,職業もジャズマン,ゴーゴー・ガール,地下演劇等に関係ある者がほとんどであった。1970年10月以降に入所した事例は本邦産の大麻を入手して使用しており,1970年において一種の文化的伝播が行なわれたようである。
 (4)有機溶剤,LSDとの複合使用者は6例で,うち2例に使用中止後も病的体験の遷延あるいは再現が認められた。
 (5)マリファナについては,その精神拡大作用のある反面,身体的依存のないところから解禁説もあるが,本調査の事例では,大麻によって芸術的創造が促進されたものはない。

向精神薬の副作用に対する抗ブラディキニン性抗アレルギー剤Homoclominの抑制効果

著者: 西園昌久 ,   牛島定信 ,   松口良徳 ,   野入敏彦

ページ範囲:P.1091 - P.1096

Ⅰ.緒言
 向精神薬,なかでもneurolepticsを使用するさいにはいろいろの随伴症状や副作用があらわれるのをつねとするといえるほどである。したがってneurolepticsの随伴症状としてのパーキンソン症状群やその他さまざまの副作用を軽減する目的で,Artane,Akineton,promethazine(Pyrethia,Hiberna)が一般に使われる。ことにpromethazineは必須のように併用されている。それは,neurolepticaによってひきおこされる可能性のあるアレルギー反応ことに発疹,皮膚炎さらにパーキンソン症状群やアカシジアを予防し,抑制することを期待してからのことである。また,向精神薬療法のはじまりに人工冬眠療法といわれていたころ,chlorpromazineとともに併用することでカクテル療法とよび,phenothiazine誘導体を使用するさいに欠かすことのできないものとされていた当時のなごりがそのままひきつがれているともいえよう。
 ところが,neuroleptics,抗パーキンソン剤とともにpromethazineを併用している症例において,しばしば,鼻閉,口渇,目のちらつき,排尿困難などの自律神経性障害,ねむけ,あるいは全身倦怠感などの中枢神経性障害を訴えるものがある。これらは,そのような副作用がもともとneurolepticsによってひきおこされるところに,promethazineの併用によってさらに,増強されたものとみられるのである。向精神薬の導入のころは,そのような副作用よりも,それら向精神薬の治療効果の方が重視されて,副作用は患者に耐えしのぶことを求めてきた。しかし,そのような副作用がつよくあらわれてきた時に,患者の苦痛ははなはだしい場合もある。また,このごろのように,長期にわたり,向精神薬を連用するようになると,社会復帰をしてなお向精神薬は継続して服用する症例がふえてきた。社会復帰したような患者にとって,上記したような副作用をもっていることは,日常生活に支障をきたすことになりかねない。自然,多少の副作用にも耐えて治療した時代から,副作用をできるだけ少なくして治療する時代へと移行してきている。

短報

Lafora病とミオクローヌス小体病(Lafora小体病)について

著者: 安楽茂己

ページ範囲:P.1097 - P.1098

I.はじめに
 Unverricht(1891)13)やLundborg(1903)9)らにより初めて提唱されたミオクローヌスてんかん(My-Ep)は,今日病理組織的には4型に分けられ,My-Epは単なる症候群に過ぎないことが明らかになってきた1)2)。しかしながら,その中でもLafora & Glueck(1911)8)が中枢神経系神経細胞内に初めて見出したLafora小体(ミオクローヌス小体)が認められるLafora型My-Epは,今日炭水化物の代謝異常に基づく独立疾患であろうと推定され,Seitelberger et al.(1964)11)はミオクローヌス小体病として,Schwarz et al.(1965)10)はLafora病として報告した。
 しかしながら,ミオクローヌス小体病およびLafora病の定義については不明確な点も見られるので,問題点をとりあげ,自験例も加えて私見を述べてみたい。

動き

第2回国際精神外科会議に出席して

著者: 広瀬貞雄

ページ範囲:P.1099 - P.1110

 第2回国際精神外科会議2nd International Conference on Psychosurgeryが,22年振りに1970年8月24日から3日間DenmarkのCopenhagenで開かれた。第1回の国際会議は,第2次世界大戦後まだ国際情勢の安定しない1948年8月3日〜7日,精神外科発祥の地Lisbon (Portugal)で開かれた。W.Freemanの記録によると,戦後の経済事情や政治問題などから出席者は限定され,27カ国,約80名の出席者で,56題の演題と抄録が受理されたが,実際にはその半数の演者しか出席できなかったという。日本からは外科側から中田瑞穂(新大),竹林弘(阪大),精神科から中川秀三(北大)が推薦され,ことに中田先生に対しては当時George Washington大学神経学教授のFreemanからGHQへの働きかけもあったが,それも不成功に終わった。そのような今からは考えられないような世界の情勢で日本,ドイツ,ソ連からは誰も出席しなかった。因みに,前回の会議の構成は,会長がEgas Moniz,副会長はLisbon大学の3名の教授Antonio Flores(神経学),Barahona Fernandes(精神医学),およびAlmeida Lima(神経外科)で,Secretary-Generalは米国のWalter Freemanであった。
 1935年MonizはCajalの神経細胞結合学説やPavlovの条件反射学に注目し,前頭葉機能についての長年にわたる周到な研究による仮説にもとづいて前頭葉白質切截手術(prefrontal leucotomy)に到達し,精神外科の発展の基礎を築いた。Monizの第1例は激しい不安,苦悶状態の続いていた60歳の退行期うつ病の婦人であったが,手術は見事に成功し,劇的効果をおさめた。その後Freeman & Wattsによる前頭葉ロボトミー(prefrontal lobotomy)をはじめ多くの変法や改良術式が現われ,第1回の国際会議が開かれる機運となったのである。Monizは開会に当っての会長講演“How I came to perform prefrontal leucotomy”の中で「これらの試みが医学,精神医学,心理学,哲学,社会学,および他のあらゆる分野に激しい論争をまき起こすであろう。同時に,この論争が科学の進歩を促進し,就中,精神病患者の利益を増進することを希望し期待する」と述べているが,その予言は正に的中し,精神外科についての論争は現在なお続いている。1949年にはMonizのこの業績に対してノーベル医学賞が授与されたが,当時の傾向として,精神病院に長期間収容されたまま回復の見込のない慢性分裂病が手術の対象として選ばれ,しかも最後手段として,Freeman-Watts型のロボトミーを中心になるべく大量の前頭葉白質を破壊する方法が行なわれたため,手術効果にも疑問が持たれ,術後の合併症や好ましくない人格変化が問題となった。一方,1952年以来の向精神薬による薬物療法の発展と平行して,種々な限局性の改良術式(Scovilleによるselective cortical undercuttingやSpiegel & Wycisによるstereoencephalotomyなど)が行なわれるようになり,従来のロボトミーで見られたような副作用の問題も解決され,適応症も明確となり,手術対象はMonizの最初の狙いに戻りつつある。したがって,手術の対象となる患者の数は著しく減少してきた。しかし,向精神薬の奏効しない患者,薬剤に対する特異体質や種々な副作用のため治療を続けることのできないような例に遭遇する場合のあることなどから,電気痙攣療法とともに精神外科も捨て去ることのできない治療手段として再認識されるようになってきたのが最近数年間の趨勢である。かつて1950年代には,精神外科の誤用によるマイナスの面が手厳しく批判され,さらに向精神薬の出現によって精神外科に対する否定的な意見が精神科医の間に強まり,また脳外科医の関心は錐体外路疾患に対する定位脳手術による基底核破壊などへと移って行った。精神外科の国際会議が1948年に開かれて以来,昨年まで1度も日の目を見なかったのはこのようないきさつがあったためと思われる。英国のみは例外中の例外で,最盛期の1949年にRoyal Society of Medicineの精神医学分科会で米国の諸学者を迎えて“Anglo-American Symposium on Psychosurgery“を開催し,その後も度々同学会で精神外科の問題が討議され現在に及んでいる。1960年の同学会では,“Orbital Undercutting“に関するSymposiumが開かれ,米国の脳外科医Scovilleをゲストに迎え,Knight,Lewin,Skottowe,Northfield,Beckら英国の脳外科,精神科,神経病理の代表的な学者が集まって精神外科の新しい段階についての討議が行なわれた。世界精神医学連合(World Psychiatric Association)でも,1961年にMontrealで開かれた第3回総会(3rd World Congress of Psychiatry)では,Plenary Session:“Physical therapies”の中で精神外科がとりあげられ,Freemanおよび筆者が報告を行ない,さらに1966年,Madridにおける第4回世界精神医学会総会のSymposium “Indications of the various somatic treatments in psychiatry”では筆者が“Present trends in psychosurgery”について講演を行なった。最近の10年間には以上のような再認識,再検討といった動きが見られたが,世界中の多くの精神科医は(英国は例外として)精神外科はすでに過去のものだと思い,中には旧来のロボトミーについての先入観から,精神外科はすべて有害無益のものであると信じ込んでいる人すらあるのが現状であった。恐らく精神外科の研究に携わっている精神科医ですら,第2回の国際精神外科会議が将来開催されようとは誰ひとりとして想像もしていなかったことと思うが,1969年も押し詰まった頃EdinburghのDepartment of Surgical Neurologyから私宛に一通の手紙が舞込んできた。1970年8月24〜26日CopenhagenにおいてThe International Conference on Psychosurgeryを開催するので貴殿を招きたい,第1日目はCase selection and target selection,2日目はTechniques and results,3日目はResults and discussionというプログラムだから,その何れかのsectionで講演してほしいと,Organizing Committeeの1人Eduard Hitchcockからの要請状であった。そこで私は早速“The Case Selection of Mental Disorder for Orbito-Ventromedial Undercutting”について報告する旨の返信を出した。これはあとになってneuropsychiatristのFreemanとKalinowskyから聞いてはじめて知ったことであるが,今回の会合はEdinburghのHitchcock,CopenhagenのVaernetら若手のneurosurgeonがmoderatorとなって企画されたもので,最初は現に精神外科手術にタッチしている脳外科医にのみ招待状が出され,しかもJournal of Neurosurgeryには1st International Conference of Psychosurgeryとして告示が出されたりして,たまたまその告示を見て驚いたFreemanからその誤りが指摘されるという一幕もあった。その後Freemanのadviceや,はからずも今回の催しを知った精神科医や心理学者の積極的な参加を得て,結果においては22年前のLisbonにおける会議とくらべて遜色のないものとなり,Honorary Presidentとして先年retireしたProfessor Eduard Busch(Department of Neurosurgery, Rigshospitalet, Copenhagen)がかつぎ出されて開会の運びとなった。

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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