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雑誌目次

雑誌文献

精神医学13巻12号

1971年12月発行

雑誌目次

特集 社会変動と精神医学 巻頭言

精神科医の本能

著者: 土居健郎

ページ範囲:P.1126 - P.1127

 社会精神医学特集第2回の巻頭言を書くように依頼されたが,私はもともとこの企画に参加してはいないので,全体を鳥瞰し解説する序論のようなものを書くことはできない。ただ前以てゲラ刷りを読ませていただいたので,私の感想めいたものをのべてみよう。まず非常に感覚的な印象からのべると,全体を読み通してあまり爽やかな気持にはなれなかった。これは個々の論文についてのことではない。個々の論文に関する限り,現在の社会変動の実態とか,それと関連しての精神医学的知見,またそれについての諸家の説などいろいろ教えられる点が少なくなかった。しかし私の不満をいわせて貰えれば,ここには社会変動にどう対処するかという精神医学的方法の明示がない。精神科医としての行動のプログラムがない。したがってまたそのようなプログラムによって行動した場合得られるはずの臨床的実証的資料もない。ただその代りに聞えて来るものは,「こうあらねばならぬ」「これでいいのであろうか」という掛け声だけである,この掛け声と入り交って各種各様の情報が提供されるので,私などはいささか目まいを感じたといっても過言でないほどである。
 実は同じような印象は第1回の特集を読んだ時にも私は持った。第1回のテーマは「社会のなかの精神科医」と題されていて,そこではこれまでの精神科医の姿勢が問われかつ反省されていたのであるが,しかしその結果精神科医として何をなすべきかという目標が強く打ち出されたかというと,必ずしもそうではなかったからである。私自身この時は,「医療危機と精神科医のidentity crisis」と題された座談会の司会を任されていて,言いようのない深い挫折感を感じたことを思い出す。もちろんそれは私個人の責任でもある。そんなわけで今回の特集においては何かすかっとした,これこそ社会精神医学実践のモデルといえるようなものに出くわしはしないかとひそかに期待したのだが,それはやはり無理な注文だったようである,そしてその原因はといえば私はやはり,精神科医の固有な仕事は何かという根本的な問題にわれわれが躓いているためではないか,と思われてならないのである。

社会変動と精神医学

著者: 加藤正明

ページ範囲:P.1128 - P.1132

I.はじめに
 精神医学が社会変動とどのようにかかわりあってきたか,相互にどのような影響を与えあってきたかという問題をここに論じようとする。このさい社会変動social changeなるものを精神医学との関連において,どのようにとらえるか,どの側面をとくに強調しなければならないかということが,最も重要なポイントになるのであろう。
 とくに日本の現状はきわめて迅速かつ広汎な社会変化が進行していることであり,この変動を都市化,産業化,核家族化,情報過多,過疎化,過密化,大衆社会化,管理社会化,オートメーション化,第2次産業優位などのさまざまの面でとらえることができる。

近代化・現代化はなにをもたらすか—精神医学的研究への手引き

著者: 祖父江孝男

ページ範囲:P.1133 - P.1138

I.はじめに:近代化と現代化
 日本の社会は,とくに最近,さまざまな面において著しい変化をとげつつある。本稿においては,とくに精神衛生上の問題をふくんでいると思われる諸変化の現状を文化人類学の立場から総括して概観することにしたい。精神医学の方々が今後これらの問題について研究を進めていかれる上のお役に立てば幸いである。
 まず最初に《近代化》という概念,そしてこれと並んだ,というよりはむしろこれとはっきり区別して最近使われている《現代化》なる概念について明確にしておきたい。現代化の方は欧米において作られた“modernization”なることばの訳であるが,現代化の方はむしろ日本,ことに京都の学者の間で使われ始めたもので,“contemporalization”なる英語の方も欧米では使用されていない。しかし1970年代における日本社会に起こっている諸変化を理解する上にはなはだ適切で欠くことのできないのがこの現代化なる概念だと思われるのである。

昨今の抑うつ神経症について

著者: 笠原嘉 ,   宮田祥子 ,   由良了三

ページ範囲:P.1139 - P.1145

I.はじめに
 昨今「うつ病」の増加ということがマスコミなどでも話題に上るようになっている。また各地の精神科医から,うつ病と診断するケースが外来で増えているという印象を聞かされることも多い。筆者ら3人もまた,かねてからそのような印象を共有していた。そこでこの小論においてわれわれの身近なデータのなかで今日うつ病が増えているという事実ははたして確認されるのか,もし増えているとすれば臨床精神医学的にどういう特徴がそこに指摘できるか,またその事実について臨床精神医学の枠内ではどのような解釈が可能か等について,若干の考察を試みたい。現在の段階では,社会精神医学の特集の一篇として掲載されるに値するほど十分な考察は行なえていないが,少なくとも昭和40年から46年にかけての関西の一地区における資料としての意味はあろうかと思う。

社会変動と精神医療—筑豊からの報告

著者: 寺嶋正吾

ページ範囲:P.1147 - P.1153

I.はじめに
 地域精神医療の理念をそれぞれの地域で現実的,具体的なものとして定着させていこうとする場合にとくにそうであるが,個々のコミュニティが大きな特色を帯びながら変貌を遂げていきつつあるために,「社会変動」といっても決して均質なものとしては語れないということを前提に置かねばならない。たとえば,人口移動ひとつとってみても,年々過密度を強めていく埼玉,千葉,神奈川,愛知,大阪,兵庫各県の場合と,人口の流出がやまず,着実に人口減の一途を辿る九州各県の場合とでは,その直画する精神医療の現実が異なり,その戦略目標,戦術が異なっていかざるをえないのである。過密のなかにいる研究者と過疎のなかの研究者がそれぞれの情況を正しく伝えあわないかぎり,1970年代の精神医療の全貌を完全な形で浮きぼりにすることはできない。
 「社会変動」の問題に言及しようとすると,筆者は大大的な炭鉱スクラップ化という通産政策が徹底して進行した産炭地を含めて仕事の場を持っている以上,いわゆる炭鉱合理化問題が残した精神衛生,精神医療の問題に焦点をあわせてこの問題を取り上げざるをえない。

家族変動と精神医学—家族社会学的考察

著者: 榎本稔

ページ範囲:P.1155 - P.1162

I.はじめに
 社会は常に流動し,人々の生活を変えてゆく。敗戦国から経済大国へ,忠君愛国の家族制度から核家族のマイホーム主義へと,四半世紀のうちに日本の社会は大きく変動してきている。このような急激な社会変動は,生活様式や価値体系や精神構造を揺振って,さまざまな変化を与える。そしてこの変化がさらに社会に反映し,社会は変動する。めまぐるしく変わる社会状況に,Ogburn, W. F.(1866〜1959,アメリカの社会学者)の言う「文化的遅滞」がみられ,人々の心に種々の歪みが生ずる。遅まきながら,精神医学も社会変動に眼を向けねばならない。
 折しも,本年8月,第4回(日本)家族社会学セミナーが開かれ,総合テーマは「社会変動と家族」であった。産業化,都市化によって,日本の社会に過密・過疎が生じ,人間は平均化され没個性的となり,人々は傷つきやすくなっている。家族成員の対話はマス・メディアの発達,マス・コミの氾濫によって減少し,表面的な接触に終わり,深い内面的な結びつきは稀薄となって離婚が増えている。核家族はもろく崩れやすい。教育年限は延長して種々の教育問題を生みだし,人口は老齢化して老人問題がクローズアップされてきている。さらに家族が死んで,老人が独り残されたとき,また父親が出稼ぎあるいは単身赴任して,長年妻子と別居している場合,これらを一つの家族単位と考えられるのか。家族は有機体的統一体なのか,単なる同志の集まりなのか。家族とは何か。将来,テクノロジーの発達により性別や遺伝のコントロール,試験管ベービーなどが想定されるが,それは家族をどう変えることになるのか等々が熱心に討議された。

企業のなかの精神衛生

著者: 小西輝夫

ページ範囲:P.1163 - P.1167

I.はじめに——精神医療と産業精神衛生——
 「企業のなかの精神衛生」(「産業精神衛生」)をぬきにして,これからの総合精神医療を語ることはできないであろう。なぜなら,精神障害回復者の社会復帰が精神衛生の実際的な中心課題のひとつであり,現実には企業(産業)との関係を無視してそれを考えることはできないからである。にもかかわらず,産業精神衛生は,精神医療体系のなかでその市民権を完全に得ているとはいいがたい。それは産業精神衛生に対する次のような批判からもうかがうことができる。
 すなわち,岡田および小坂1)は,大企業における産業精神衛生とは,精神衛生の名のもとに精神障害者に対する差別を合理化しようとする動きであるとし,そこでは「精神障害者を企業から排除しよう」として,「職場に不満をもつことも,精神障害とみなすような項目」をふくんだ「あやしげなチェック・リストがいくつもつくられ」,「組合活動家に精神障害のレッテルをはって追い出すようなことも,産業精神衛生の名でおこなわれている」ときびしく非難している。企業の精神衛生に関与しているわれわれ(仮に産業精神科医と呼んでおく)としては,治療医的立場にある精神科医の忠告にはつねに謙虚でありたいと思っているが,精神衛生に名をかりた組合活動への干渉など,およそ想像もできないことが産業精神衛生に対する不信と疑惑の例証としてあげられていることに,産業精神衛生がおかれている立場のむずかしさを痛感するのである。

疾病概念批判試論—遺伝因子と社会因子の連関をめぐって

著者: 岩本正次

ページ範囲:P.1169 - P.1173

Ⅰ.問題の所在の批判の概要
 精神病者の多くは,通例の意味でのsocielityの欠陥を持っている。したがって,内因性精神病疾病概念も,現象に対応して,遺伝の概念と現象学的Soseinというふたつの非社会的概念を大前提としていることは,当然のことであるように見える。
 しかし,社会因子は,単に,変動因子のみではなく,非社会的ともみえる共時的因子をも含むものである。この共時的因子としてのことばの機能に着目すると,いろいろ新しい知見が得られる。

社会体制と精神障害

著者: 小田晋

ページ範囲:P.1175 - P.1182

 社会体制が精神障害に及ぼす影響についてとくに資本主義前期,ファシズム期,後期資本主義,社会主義の各体制のもとからえられた資料および研究を紹介しながら論じてみた。結局,精神障害の病態の変遷と社会体制から,文化の変容,イデオロギーの変化,および生活条件の変化を通じて与えられるインパクトとの間のある程度の関係は,確かにこれを見出しうるが,社会体制変化が精神障害の有病率にどの位の変化を与えるか,ということにはなお疑問の点が多く残されているといえる。現在,資本主義・社会主義の両体制を通じて行なわれている社会・文化的変動が,精神障害者の社会的位置,病態に及ぼす影響についても,いくつかの可能性の類型を呈出して考察してみたが,なお未知の部分が多いといえる。

座談会

社会変動と精神障害

著者: 加藤正明 ,   小田晋 ,   見田宗介 ,   祖父江孝男 ,   逸見武光 ,   飯田真

ページ範囲:P.1184 - P.1200

 司会(加藤) ではこれから社会精神医学の第2集に含まれるものとして「社会変動と精神障害」という座談会を開催させていただきます。
 きょうはとくに社会学の見田先生,文化人類学の祖父江先生においで願いましたので,われわれ精神科医として伺いたいことや,逆にいろいろ注文をつけていただきたいことも沢山あると思います。われわれ精神科医と社会科学者とのザックバランな話し合いになれば,たいへん有益と思います。ことに社会変動といわれるものをどうとらえられるかということに,いろいろ問題があるわけなんですけれども,この辺もわれわれに示唆していただければと思います。

特別論文 精神医学の基本問題—精神病と神経症の構造論の展望

第16章 H・S・サリバンとE・ミンコフスキーの精神分裂病論

著者: 内村祐之

ページ範囲:P.1202 - P.1211

精神分裂病の精神力動論
 神経症の発生と症状形成とにとって,「精神力動」が第1の問題となることは,すでに古くから考えられていたが,この問題を深く掘り下げて,無意識界の存在を大きな前提とした「深層心理学」の諸概念を打ち立て,これを学界の一大潮流とした功績者はフロイトである。しかし,ここに,同じく精神分析ではあるが,欲動または本能という生物学的観点をあまりに重視するフロイトの立場を容認することができず,そのためにフロイトから離脱するにいたった1群があった。これらの人々によって新しい精神分析が提唱され,この傾向はことに第二次世界大戦の前後から顕著となって,いわゆる新フロイト派が形成されるに至った経緯は,前章のアドラー及び新フロイト派の紹介の項で述べた通りである。
 このように,精神分析学者の間でも意見の相違は大きかったが,しかし彼らに一致した1つの傾向は存続し,それは現代の精神医学界で1つの大きな流れをなしているように見える。その傾向とは,一方は,神経症の経験から得た「精神力動」的見地を,ひろく一般人格(パーソナリティー)の形成の理論にまで当てはめようとする傾向であり,もう一方は,この見地を重い精神病像全体の構成の説明にまで拡大しようとする傾向である。つまり深層心理学的の精神力動をもって,精神生活のすべてを説明しようとする傾向である。

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精神医学 第13巻 総目次

ページ範囲:P. - P.

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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