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雑誌目次

論文

精神医学13巻3号

1971年03月発行

雑誌目次

巻頭言

まちなかの一精神科医として

著者: 久山照息

ページ範囲:P.198 - P.199

 巻頭言というものがどういう意味のものかはっきりしないが,いままでのこの「巻頭言」には卓見があり要望があり,なにかアイデアのようなものもあったり,自嘲ともとれることばもあり,わたしには本誌のなかでもっとも生き生きとした欄である。しかしわたしには読者にこれまでのような教訓的,要望的,提言的な一文を草する資格は毛頭ないように思える。それでも編集室からの求めに応じたのは,まちなかで正に蚯蚓のように這いまわっている一介の精神科医としてのわたしの日常性を自ら考えてみたいからで,おえらがたにはなんの意味のないはなしとなると思う。
 最近わたしの住む神戸の地方新聞からその小さいコラムに毎週1回,5回分(すなわち約1ヵ月間)連続して800字位のものを書くことを依頼され,ある回に「人間であるために」と自ら題をつけ自分の考えと生活を次のように書いた。「このコラムにも識者のおおくが人間に対する産業公害や自然の破壊,さらに自然の子である人類の絶滅のおそれなどを鋭く指摘している。それらは単に警告とか奇を衒う意見ではけっしてない。わたしたちの日常生活を根底から震憾さす問題として迫っているのを感じさせる。人間であるために,人間はどうあるのか,どうあったらいいのか,どうなってゆくのか。わたしは日曜を除くだいたい毎朝勤務先の病院に出かける。9時半頃から午後5時すぎまで患者さんとのかかわりあいの一日である。体力もないし社交性もないのでレジャーというものはない。診療のあいだに,電話で病状の相談(最近この傾向はふえている),薬の説明やら要求,いろいろの苦情の相談,入院患者家族,家に病人をかかえているかたとの面接,さらに地方検察庁,各区の警察署,交番,保健所,社会福祉関係,企業体,ボランティアの人たち,まだまだ数えあげることができようが,そういう人たちとの面接やら電話やらへの応答,午後からは日と時間を予約したひとたちとの精神療法,さらに入院している患者の主治医,病院管理医の仕事などが病院でのわたしの毎日の日常生活である……」。

展望

Transcultural Psychiatryの展望

著者: 荻野恒一

ページ範囲:P.200 - P.211

I.はじめに
 ここ数年ないし10年来,transcultural psychiatryの領域に属する業績が,急速に増えてきていることは,英語圏とヨーロッパ大陸とを問わず,世界的な潮流のようにみえる。1966年9月に行なわれた第4回国際精神医学会において初めてtranscultural psychiatryがシンポジウムでとりあげられて,Zutt23)のようなverstehende Anthropologieの立場の学者や,Ellenberger4)のような多方面の精神医学的業績をもつ人たちが,演題発表や討論に加わっていたことも,われわれの記憶にのこっていることであるし,また来年秋メキシコで行なわれる第5回国際精神医学会においても,ふたたびtranscultural psychiatryが,シンポジウムの主題の一つに選ばれているようである。さらにこの領域の業績の特徴の一つは,ここ数年のZentral bl. f. g. N. u. P. に目を通しただけでもすぐにわかることであるが,諸論文の精神医学的対象は,アフリカの多くの地域(エチオピア,アルジェリア,ナイジェリアなど),近東諸国,インド,インドネシア,台湾,日本,ポリネシア(ハワイ,タヒチなど),メラネシア(ニューギニアなど),オーストラリア,ニュージーランド,アメリカ・インディアンなど,世界のあらゆる国ぐにや地域にわたっているということである。そしてこのように新しい精神医学的動向が,ごくわずか数年のうちに急速に顕著になってきた最大の理由は,Collomb, H. がマドリッドの学会で述べたように3),とりわけ欧米の精神医学者たちが最近になって,ヨーロッパ文化と異質な,あるいは非常に異なる文化のなかで発生する精神疾患の様態について,真剣な関心を示すようになったからであろう。この理由については,次節で論じることにする。
 だが他方,transcultural psychiatryを,Wittkower, E. D. に倣って「少なくとも2つ以上の文化圏のあいだの精神医学的諸観察の比較」と考えるかぎり22),Ellenbergerがすでに述べているように4),transcultural psychiatryは,現代の正統精神医学体系を創りあげたKraepelin, E. のvergleichende Psychiatrie13)にまでさかのぼらなければならないし,またわが国の精神医学者として,内村祐之の戦前のすぐれた研究,「アイヌの比較精神医学」20)を忘れることもできないであろう。

特別論文 精神医学の基本問題—精神病と神経症の構造論の展望

第9章 オイゲン・ブロイラーとアドルフ・マイヤーの対照

著者: 内村祐之

ページ範囲:P.212 - P.220

ブロイラーとクライスト
 クレッチュマーとクライストとの構造論を紹介した第8章の終段で,私は,クライストの脳病理学的局在学的構造論へのヤスパースらの批判に対し,クライストが,すさまじい剣幕で反撃している言葉を引用した。これは,当時の学界の事情を反映する1つの姿にすぎないが,その際立った意見の対立の様子は,精神病の構成という基本問題に対してさえ,これほどまでに異なった考え方があるのかという強烈な印象を,読む人に与えずにはおかぬものであった。
 そこで,ここでは順序としてヤスパース自身に出馬を願いたいところだが,私は敢えて衝撃緩和の意味で,オイゲン・ブロイラーの精神医学をここで紹介しようと思う。そして次に,精神分裂病についての新理論を提供したという点でブロイラーと共通点をもつアドルフ・マイヤーを取扱ってみたいと思うのである。

特別研究 分裂病家族の研究(最終回)

分裂病家族内対人関係—事例研究のまとめ

著者: 井村恒郎 ,   牧原浩

ページ範囲:P.221 - P.230

I.序文
 今日の分裂病家族の研究は,家族を全体として(as awhole)観察して,その病態を明らかにしようとしている。家族成員を,個人単位かあるいは個人と個人の間の対人関係(多くは母-子関係)として考察する従来の観点から脱却し,家族を単位としてその病理を追求しようとしている。疾病に悩んでいるのは家族であって,患者個人の罹病はそのひとつのあらわれ,ひとつの症状であるとする観点に立とうとしている。この視点の転回は,それなりの歴史的背景があってのことだが,しかしこの転回に伴うべき方法論的な問題は解決されず,いくつかの困難に直面しているのが現状である。従来の伝統的な個人を対象とした検索方法,考察の方法,あるいはその記述用語,などにとってかわる新しい方法が確立されていない。現状は,実証的方法としては,個人と個人との2者1組(dyadic)の対人関係,あるいはせいぜい3者1組(triadic)の対人関係を検討する段階であって,その積み重ねによる総合によって,家族面接,家族訪問などで得られた家族全体の印象所見を裏づけるというやり方で,家族の全貌をうかがおうとしている。
 今回の事例研究にあたっては,われわれもまた家族面接および家族訪問によって得た所見をまず家族全体としてとらえ,それをI. C. L. 変法のテスト成績の総合像および音調テストの家族プロフィルと照合し,ついで分析的に父,母,同胞,患者のdyadicな相互理解の様態,および各個人の共感能力をテストした所見と実際の対人態度ないし行動の所見とを照合することにより,全体的な印象的所見を分節的にとらえて,前記の全体的所見の事由を明瞭にしたいと思う。

研究と報告

retrospektive Krankheitseinsichtに関する研究

著者: 有岡巌 ,   田中義 ,   勝山信房

ページ範囲:P.233 - P.240

I.緒言
 日常の臨床において,精神病が寛解に至ったと判断するにさいし,経過した病に対する構えについての所見を資料の1つにすることが多い。
 患者のこのような構えは,retrospektives Krankheitsbewusstsein,retrospektive Eirlsichtないしretrospektive Krankheitseinsicht(以下rKeと略す)と表現されている3)12)

高齢の精神病患者にみられる常同的運動について

著者: 杉本直人 ,   星融 ,   森崎郁夫

ページ範囲:P.241 - P.246

 1)60歳以上の高齢の精神病患者計188名において常に同じ言動がくり返されるということを指標として,常同的な現象を考察した。
 2)われわれの対象者においては同じ言葉が反復されるという現象(Verbigeration)を呈した患者はみとめられず,同じ行動が反復されるという行動面での常同的現象しかみとめられなかった。
 3)この常同的現象を呈した例は計20名であり,そのなかで,咀嚼運動様の口をもぐもぐさせる現象を呈する例が17名にみとめられた。
 4)この咀嚼運動様の常同現象は,反復症(Iteration)の特性を持つと考えられた。
 5)この反復症は高等な統制機能の失われた精神的に痴呆ないし荒廃化した状態で出現しており,痴成と関係していることを論じ精神病理的に空間性の問題などとしては最早論じえず,また脳病理学的には脳の局在性の問題と関連して論じえられぬであろうと結論した。

神経質者の森田的(集団)精神療法

著者: 大原健士郎 ,   藍沢鎮雄

ページ範囲:P.247 - P.253

I.はじめに
 森田が「形外会」という神経質全治者の座談会をもったのは,1929年12月1日が最初とされている。当初,この会合は森田が召集したものではなく,森田に治療された者の親睦会のようなもので,森田自身のことばをかりると,「皆んなの好きなように,ピクニックに行ってもよいし,講談師をよんでもよいし,名士の講演を頼んでもよい」という内容をもつものであった。しかし,回を重ねるにつれて,退院者のアフター・ケアーや入院治療中の患者の生活指導といった傾向を強く打ち出すようになった。現在でも,入院式森田療法を施行している病院では,多かれ少なかれ,この様式をとり入れている。たとえば,高良興生院では「けやき会」という名称のこの種の集まりが1ヵ月に1度もたれているし,この他にも,週に1回は入院患者を一室に集めて,高良による「講話」形式の生活指導が行なわれている(ただし,この「講話」は森田時代には行なわれていなかった4))。
 従来,われわれは大学の外来において神経質者に対する外来式森田療法を個人精神療法の形で施行してきたが,これまでの臨床経験からすれば,神経質者の外来療法は1人当たりかなりの時間をとり,患者の多くをさばき切れないうらみがあり,一方,難治例は結局入院させざるをえない場合が少なからずあった。これらの臨床上の問題点をいかにして改善すべきかを考慮して,上記の諸先輩の治療上の技法を応用し,外来で森田式集団精神療法を合わせて施行してみたいと考えた。ここで,われわれの技法をあえて森田的集団精神療法とよぶ理由は,われわれはあくまでも森田の治療方針に沿って,患者に対して指示的に行動本位の生活様式を求め,「あるがまま」を治療の骨子とし,他方,技法上,日記指導を含む個人精神療法も併用したからである。

緊張病症候群を示したTurner症候群

著者: 平原輝雄 ,   原田正純 ,   早崎和也 ,   森山弘之

ページ範囲:P.255 - P.261

 1)18歳,女子。15歳頃から行動異常がみられ,17歳で独語,空笑,徘徊,無為,自閉的生活,寡言など分裂病様状態がみられた。
 2)積極性・緊張の喪失,不関・孤独などの持続性の精神症状が特有であり,さらに自我障害がみられ,周期性に寡動状態と多動状態がみられ緊張病様状態を示したといえる。しかも,精神症状は3年にわたって持続している。分裂病に似るが病像は特異で分裂病と異なる。
 3)身体は小さく,身長134cm,体重37kg。乳房の発達不良,腋毛・恥毛の欠除,無月経,外性器発育障害。左下肢外反膝などの身体症状がみられた。
 4)脳波に広範性低電位不規則徐波が認められ,尿中170HCS,17KSは低値を示す。さらに染色体検査で45個XO型のTurner症候群であることが確かめられた。
 5)本報告はわが国における顕著な精神症状を呈した例の最初の報告で,外国の例を加えても報告としては貴重である。
 6)本例の精神症状の発生機序は内分泌障害による症状性精神病と考えている。

Flupentixol(FX-703)の使用経験

著者: 仮屋哲彦 ,   平山正実 ,   島薗安雄

ページ範囲:P.263 - P.274

 (1)Flupentixolを,急性精神分裂病3例,慢性精神分裂病14例に用い,急性精神分裂病3例中3例,慢性精神分裂病14例中7例に,「やや改善」以上の症状の改善をみた。
 (2)初回投与量は3〜5mg,最大投与量は8mgであった。症状改善の常用量は3〜6mg位と考えられられ、る。ほとんどの症例で,抗パーキンソン剤を併用した。
 (3)投与期間は,3〜24週であり,改善例では1〜2週で効果があらわれ始め,多くは5〜6週で改善をみている。
 (4)精神症状評価表と行動評価表による効果判定で,比較的よく改善された症状としては,自我障害,妄想,幻覚,動作,患者同志および家族との接触,娯楽運動への参加,作業能力,看護者への応対などがあげられる。
 (5)副作用は17例中12例にみられた。なかでも睡眠障害は最も多くの症例で出現し,次いで錐体外路症状が多くみられた。その他,心悸亢進,便秘,食欲減退などがみられた。これらの副作用は,抗パーキンソン剤や睡眠剤の使用により多くは消失した。
 血圧,尿所見,血液所見,血清肝機能検査について投薬前後の値を比較検討したが,著変はみられなかった。

紹介

一側性電撃療法について

著者: 錦織壮

ページ範囲:P.275 - P.280

I.序言
 1969年秋,私は,欧米で10ばかりの精神病院を訪れる機会に恵まれた。最初はStockholmで,老人ホームを含めて3ヵ所見学し,次にドイツへ渡って,作業療法のメッカとして高名なWestfal州立病院を訪れたのである。予想外に活発な作業療法と,広大な敷地を持った病院の庭園などに感激したが,それ以外にもう一つの驚くべきことを見聞したのであった。Winkler教授に誘われて朝の集会に出席してみると,Dr. Grosserによって,ちょうどその年の10月1日から紹介,試用されだした,一側性電撃療法についての話があった。電極の部位,使用される金属の選択,サイクル数,その他,が教授を中心にして論じられ,とにかく,新しい方法でのECTが試みられだしているという印象をうけた。研究会の後で,実際に患者に施行するのを,bed sideで見学することを許され,筆者はいろいろ質問したのだが,最も驚いたのは,この病院で89歳の老人に,この一側性電撃療法を行なって成功したという話であった。そしてまた,多少の心疾患を持っている患者にも,安心してECTを施こしていることであった。後で判ったことなのだが,これはAtropine,SuccinなどをBarbiturate以外に使用するからでもあって,ECTの方法の改良によるものだけではない。
 筆者は,その後訪れる先々の病院で,この一側性電撃療法が使用されているかどうか,必ず質問することにした。イギリスでは,既に一般的に用いられているのだとの話は,その折に聞いた。ドイツを南に下り,Heidelberg大学の精神科,オーストリアのNeurologische Poliklinik,スイスのBinswanger先生のSanatorium Bellevue,そしてKantonale psychiatrische Klinik,パリのSt. Anneなど,いずれも,訪れた先で,一側性電撃療法について聞いてみた。その名前すら知らない教授達もあった。Pichot教授は「われわれはその治療法の名前は知っているが,一線の若手の医師がとびつかないなだけだ,また,機械そのものにも,未だ問題はあるであろうし,要するに,われわれは,保守的なのかもしれない」と言われ,この方法はヨーロッパにおいても,新しい治療方法のように思えた。ロンドンのSt. Barthoromew病院では,ずらりとならべたベッドに患者をねかせて,次々と一側性電撃療法とIndoklon痙攣療法とを行なっていた。おそらく痙攣療法というものが導入されだした頃の精神科医達が,全力をあげてその効果を確かめようとしたであろうことを思わせる程の雰囲気が,その治療室には満ちていた。しかし,Rees教授のかわりに筆者に説明してくれたMontefiore先生は「あんまりたいしたことない」としかめつらをされた。New Yorkへ渡り,Grecie Square病院にKalinowsky教授を訪れたときには,筆者が欧州大陸からイギリスへ渡る頃に抱いていた期待はかなり薄らいでいた。Kalinowsky教授は,あまり一側性電撃療法を高く評価してはおられない口調であった。しかし,このNew York唯一の私立病院であるGrecie Square病院では,入院費用が非常に高くつくので,どうしても外来治療に1人で通院させる必要が生じ,そういった場合には,この一側性電撃療法がなお重要な治療法として用いられている,とのことであった。薬物療法では,治療効果の現われが遅すぎるとも言われた。筆者は,アナフラニール点滴静注療法のことを想い出したが,また,Roland Kuhn教授が,「あれは,副作用が強すぎる」と言われた言葉も浮かんできた。

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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