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雑誌目次

論文

精神医学13巻8号

1971年08月発行

雑誌目次

巻頭言

精神障害者と福祉・労働

著者: 菅又淳

ページ範囲:P.754 - P.755

 精神障害者に対する偏見・差別,また精神科医療制度の不備と欠陥などについては最近強く指摘されていることであり,この巻頭言でも常にとり上げられている。またかと思うかも知れないが,わたしも別な面から精神障害者の福祉やリハビリテーションの面の隘路について痛感したことを述べてみたい。
 精神障害者の福祉が全くなっていないとよくいわれる。心身障害者に関してはすでに法律が整備されていて(身体障害者福祉法,精神薄弱者福祉法,児童福祉法など),われわれの知らないような立派な保障がなされている。しかし精神障害者——とくに精神分裂病者に対してはほとんど何もない状況である。東京都において昨年秋から精神障害者の職親制度の試みをはじめ,その時に色々の関係法規について少し調べたり,教えてもらったりしたのであるが,精神病以外の障害者に対しては福祉関係ばかりでなく,労働関係の諸法でも,年金関係でも,大分手厚い保護が行なわれ,こちら(精神障害者)の入り込むすき間すらなくなっていることをまざまざと知らされたのである。自分の不勉強さをつくづく反省させられるわけであるが,精神障害者が他の障害者からいかに除外されているかを今更ながら感じさせられた。われわれ精神科医が余りに視野が狭く,この方面にいかに無関心であったかが痛感されるわけである。ここで精神障害者が何と蔑視され,偏見をもってみられているかと悲憤慷慨し,怒りをこめて世に訴えるというのが常道であるが,それだけでは精神科医の偏狭さを示すだけで,決して前進にはならない。

故江副勉先生を偲ぶ

略歴と主な業績

著者: 岡田敬蔵

ページ範囲:P.756 - P.757

略歴
 明治43年11月7日,長崎県諫早市にて生誕。長崎県立諫早中学校(昭和4年3月卒),山口高等学校理科乙類(昭和7年3月卒)を経て,昭和12年3月,東大医学部医学科を卒業され,直ちに東大精神科医局に入局されたが,精神科医の進むべき道は精神病院にありとして,翌13年2月に東京府立松沢病院医員を拝命された。
 昭和37年12月には林暲前院長の後を継いで,病院長に就任され,33年余にわたって,全生命を都立松沢病院にかけられた。

追憶の記

著者: 臺弘

ページ範囲:P.757 - P.758

 亡き友,江副勉君がどういう考えから精神科医の道をえらんだのか,彼は別に私に話したことはない。ただ,お互いに何となく判っていたような気がする。私達が大学を出た頃は戦争の前夜で,世の中の混沌とした有様は今の社会状況にちょっと似たところがあった。医学生は医療の現実にまだ触れないだけに,その無力さを先取りする感覚ももっていたから,近頃の言葉でいえば医療の原点に立って自分の道を歩こうとしたのではないだろうか。彼がそれをどれだけ意識化していたかは判らない。しかし彼は,学生時代に級友と一緒に,当時としては先駆的な朝鮮農村衛生調査を企てている。この精神は松沢病院での生涯を通じて生き続けていて,不幸な人々,虐げられた患者に対する彼の愛情は圧迫者に対する憤りと共に終生消えることはなかったように見える。
 とはいえ,彼の明るい天性は,陰気臭くとりつかれたようなものではなく,彼に接するすべての人々に喜びと活気を与えるものだった。職場のどの層の人々からも,先輩から後輩まで,また患者の誰からも親しまれていた。彼は出て歩くことが好きだったから,私も彼と連出ってよく旅をした。学会から彼と共に森村賞をいただいたおりの新潟への旅行では,結核の病み上りの私は余り笑わされるので疲れ果てて逃げ出したほどだったし,何度かの九州への旅では,関門トンネルをくぐると途端にお国なまりに変わる彼の言葉はいつも私をほほえましたものであった。彼は自負するように誠に九州男子であった。

35年のつきあい

著者: 島村喜久治

ページ範囲:P.759 - P.760

 底ぬけに明るい性格であった。にくみようのない人柄であった。どういう過程であんな人格が形成されるのか,私には全くわからない。丸い,大きな目を生き生きと輝やかせ,彫りの深いえくぼをうかべて,江副君は,30年を越えて変りない表情で語りかけてきた。「光と美をあらそい,貧困と逆境とに強き女。どうだい。そんな女房を,オレはもちたい」。30年以上も前,東大のうす汚い内科講堂で,江副君は笑いかけてきた。「君の病院に入院してみて考えたよ。患者にいいものをくわせなくちゃ」。20年も前,私のところに入院して手術をうけて退院するとき,江副君は,同じ笑顔で,そういった。「猪瀬(正)も,島崎(敏樹)も,臺(弘)も大学教授になったよ。ワシは遂に大学教授になる機会を失ったよ」。10年前,江副君は全く変らない笑顔でそう笑った。頭だけはうすくなっていたが,まるで屈託のない笑顔であった。頼んでも大学教授などになりそうにもない不敵な笑顔であった。35年変りない笑顔であった。
 35年前,どういうわけか,江副君と私は親友であった。共に飲み,共に遊び,共に勉強した。スキーに行って,帰ってくるとすぐ,日比谷のへんの唯物論研究会へ,三木清の講義をききに行ったことがある。スキーの陽やけが歴然としすぎていて,唯物論の講義をうけるのにふさわしくない学生ぶりだと私がためらうと,江副君は笑いとばして,ギシギシする階段を上って行った。

江副先生の精神

著者: 浦野シマ

ページ範囲:P.760 - P.761

江副院長先生は何ぜ忽然と他界されたのでしょう!
 お逝くなりになる直前までいつものように元気であっただけに誰もが嘘にしかとらなかったのであります。

C.P.C. 松沢病院臨床病理検討会記録・1

序文

著者: 江副勉 ,   石井毅

ページ範囲:P.762 - P.763

 大学紛争が最高潮に達しようとしていた昭和43年秋のことであった。その晩,少しおそくまで病院で書きものをして帰りかけたとき,病理研究室から時ならぬざわめきの声がするので覗いてみると,10人余りの医員たちが幻灯を囲んで,熱心に討議していた。きけば,毎週集まって剖検例についての検討を行なっているとのことであった。
 松沢病院の本館,検査室の改築は昭和48年春の予定である。大正8年,巣鴨よりこの地に移転して以来51年間(昭和45年まで)の剖検例は1,470例である。改築を機会に,この貴重な資料を整理し,新しい発足の出発点にしたいというのが,毎週のC. P. C. をはじめた動機だとのことであった。過去においても,折にふれての検討会は行なわれていたし,それらは諸先達の立派な論文として結実したことは周知のとおりであるが,今回のように組織的,系統的な検討をはじめたのは,昭和42年春からであるという。

分裂病と誤診された退行期の幻覚妄想状態—Economo脳炎後遺症様変化の見出された症例

著者: 石井毅 ,   吉田哲雄 ,   松下正明

ページ範囲:P.764 - P.769

I.まえがき
 退行期の幻覚妄想状態は警戒を要する1)2)。一見,機能疾患のように見えた症例で,剖検により脳に器質性変化の見出される例が意外に多い。誤診を避けるためには診断はきわめて慎重でなければならない。
 以下述べる例もそのような例であった。

特別論文 精神医学の基本問題—精神病と神経症の構造論の展望

第13章 ヒステリー理論の推移—特にクレッチュマーのヒステリー論

著者: 内村祐之

ページ範囲:P.770 - P.779

クレッチュマーのヒステリー論のヒントとなったもの
 前章まで,12章にわたる展望のあとを振り返って見ると,神経症についての紹介が少なかったようである。第4章と第5章とで,ババンスキーやジャネやフロイトらについて語ったけれども,その後発表された神経症に関してのおびただしい文献に触れるところは,ほとんどなかった。他の章の多くは,精神病と神経症とを含めた精神医学的構造論にかかわるものであって,その中で随時,神経症も問題にしたとは言え,全体として狭義の精神病に重点を置いていたように思う。そこで私は本章以下の3章を,神経症を中心とする代表的業績の紹介に当てようと思うのである。本章ではまず,ジャネとフロイトとの著作と並んで,ヒステリーについての名著として広く知られているクレッチュマーのヒステリー論を中心として,ヒステリー理論のその後の推移を辿って見ることとしよう。
 そもそもクレッチュマーがヒステリーに関心を持つようになったのは,1914年に勃発した第一次世界大戦において,おびただしく発生した戦争ヒステリー患者を,若い医師として親しく観察したためであるようだ。彼の著書の中には,戦時中の経験が繰り返し語られている。そして事実ヒステリー研究は,第3章のババンスキーの項でも,ちょっと触れたように,この大戦の経験によって大きく進歩したのである。

研究と報告

青木繁の病跡

著者: 加藤稔

ページ範囲:P.781 - P.787

I.まえがき
 わが国の従来の病跡学研究は,そのほとんどが文学者に関するものであって,画家の病跡学研究については知られていない。画家には変人が多いということは巷間よくいわれているところである。私が折にふれて読んだ伝記の範囲内でも,精神医学的にみてずい分問題のある画家が多い。とくに独特の作風をもち,若くて世を去ったという,いわゆる異端の画家に異常をみるものが多い。
 私がここで述べる青木繁もまたこの中のひとりである。活躍期間こそ短かかったが,明治におけるわが国の画壇を代表する作家のひとりである。彼のユニークな一連の作品はすでに彼の生前から熱狂的に愛され,天才と評されていた。しかしいっぽう,彼の作品には弧独の翳りを帯び,他方人をひきつけてやまぬ一種奇様な雰囲気が感じられる。そのため私は以前から作者の人格について,とくに関心を払ってきたのである。

てんかんの精神病理学的研究—1てんかん患者の絵画の分析を中心に

著者: 松橋俊夫

ページ範囲:P.789 - P.797

I.はじめに
 てんかんについては,脳波学的見地からまたてんかん性性格からアプローチすることによって,またけいれん,意識消失などの発作を重視する立場から,あるいはそれらを相互関連的に位置づけることによって研究されてきている。
 しかしながら,てんかん病者の世界を引き出しているとして周知の,ドフトエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の文学的記述,ことに「ロシア人(カラマーゾフ)の心は極端な矛盾を両立させることができ,二つの深淵を同時に見ることができるのです。――我々の上にある天上の深淵と,我々の下にある最も下劣な,悪臭を放つ堕落の深淵とを見ることができるのであります。」「……まったくカラマーゾフは2つの面を備え,両極端の間に動揺する天性をもっております。」などと表現されるてんかん病者特有のまことに不可思議ともみえるアンチノミーの世界に対する積極的な精神医学約追求はまだみられないように思われる。ただし過去においては,K. Jaspers,E. Minkowski,F. Minkowska,S. Freud,H. Ey,H. Tellenbach,D. Janzなどの研究が断片的にではあるが,てんかん病者の特有な存在様式に言及している。

青少年の神経症的傾向

著者: 稲垣卓 ,   梅沢要一 ,   宮本慶一 ,   譜久原朝和 ,   川島節子 ,   妹尾節子 ,   柏木徹 ,   藤井省三 ,   井上照雄

ページ範囲:P.799 - P.809

I.はじめに
 諸種の軽微な神経症的症状は,健康者のなかにも少なからず見出され,とくに青少年期に多いことは周知の事実である。秋元1)は昭和35年に東京大学新入生にアンケート調査を行なって,不眠・多夢・頭重・めまい・ゆううつ感・自己劣等感・思考力低下などの訴えをもつものを相当の高率に見出した。最近は諸大学等においてUPIテスト等がしばしば行われたが,大熊ら2)の報告によれば,昭和43年度鳥取大学の新入生に対するUPIテストでは,「くびすじや肩がこる」「めまいや立ちくらみがする」「赤面しやすい」「なんとなく不安である」「たしかめないと気がすまない」「他人の視線が気になる」「周囲の人が気になる」等の項目において33〜56%の肯定率を得,それに先立って行なわれた京都大学・大阪教育大学におけるUPIテストの結果もほぼ同様であったという。
 著者らは,強迫傾向・不安・心気傾向・自殺念慮・罪責感・視線に関する問題・体臭恐怖・関係観念その他の質問項目を含む第1表のような質問票を作成し,青少年を対象として調査を行ない健康な青少年にどの程度各種の神経症的傾向がみられるかを知るとともに,そのような神経症的傾向が年齢および同胞順位,在学中の学校および学級等の環境的要因とどのような関係にあるか,また各種の神経症的傾向の間の相互関係はどうなっているかを知ろうとした。Freud4)以来,強迫神経症と罪責感についてしばしば論じられ,著者5)も精神療法によって罪責感がみいだされる強迫患者は少なくないことを経験しているので,強迫傾向と罪責感との関係をみるために,この両者に関連する質問を多く含ませてある。

ヒトの睡眠中における自律神経系の変化—逆説相遮断の影響

著者: 阿住一雄

ページ範囲:P.811 - P.816

I.序言
 DementおよびKleitman(1957)1)による逆説睡眠相(以下,逆説相と呼ぶ)の発見以来,多岐にわたり,数多くの睡眠研究が行なわれた。全断眠の研究の他に,選択的に逆説相の出現を,物理的方法,または,薬物による方法によって妨害し,その生理学的,生化学的ないしは,心理学的な影響が追求された。動物実験による生理学的影響としては,主として,聴覚系の興奮性の増加2),痙攣閾値の低下3)4)や,睡眠中の頻脈化5)6)などで,脳の興奮性の増加が示唆された。しかし,ヒトにおける生理学的影響の報告は少なく,とくに,睡眠中における自律系の変化については,明らかでない。
 一方,多くの,睡眠中の皮膚電気活動に関する研究者は,手掌と前腕,または,指の屈曲面と前腕の誘導から,これを記録した。しかし古閑や新美らの研究(1960,1968)7)8)により,手背のSkin. Potential Response(以下,SPRと呼ぶ)は,手掌よりも,ほとんどつねに,振幅が優位であり,また,前腕部のそれは,ほぼ,手背のSPRと平行して増減することが知られている。この手背と手掌のSPRの,振幅に関する優位性の関係は,覚醒時では,明らかに逆転する。また,最近,皮膚電気活動には,汗腺起源性と非汗腺起源性の両成分があり,手掌は,前者の比重が高いが,手背は,後者がより優位であると考えられている9)。したがって,少なくとも,睡眠中のSPRの記録は,手掌部と手背部とは,別々に記録されるべきであり,これまでの多くのSPRの記録は,特性のことなる二つの部位における電気活動の和であって,論理的には,不正確な所見をえていたことになろう。

併設精神科のあり方

著者: 吉田登 ,   河村敏夫

ページ範囲:P.817 - P.822

I.はじめに
 鈴木1)によれば,英国では,1960年以来,精神科医療を一般身体医療に近づける政策がとられ,精神病院を小規模にし,第1級の一般病院に精神病床が併設された。その結果,ほとんどすべての種類の精神疾患の治療が併設精神科でも可能となり,地域社会と患者との近接化,地域住民の理解度の向上,精神医学と身体医学との密着化,医師と患者との人間関係の持続などの諸面ですばらしい効果をあげたので,1970年からは,地方の一般病院にも精神科が併設されようとしているという。
 わが国では,従来,社会復帰は強調されても,精神科医療を一般身体医療に近づける動きは重視されず,精神科医療は一般身体医療から孤立し,特殊視されてきた。最近の地域精神医療の動きも,現実には(とくに地方においては)精神科医療を一層特殊にしているような感じがする。事のあるたびに,社会の精神障害者に対する偏見が問題にされ,精神衛生運動の強力な推進が叫ばれるが,精神科医療が医療の中でさえ孤立し,特殊視されているような状態で,社会の偏見を打破することが果して可能であろうか。患者を特殊扱いすることを避けて,一般身体医療と同じレベルで,その中に組みこまれて精神科医療を行ない,医療の中での差別を除くことが,社会の偏見を少なくし,患者の人権をおかすことを少なくすることになるのではなかろうか。その意味で併設精神科の役割は重要であり,近年,その数も増加しているが,その内容は病院のアクセサリー的なものであったり,病院の経営を安定させるための,いわゆる固定資産的なものであったりして,その機能を十分に発揮しえないものが多いのが実状である2)

新穏和精神安定薬Bromazepam(Ro 5-3350)の使用経験—とくに強迫症状にたいする効果について

著者: 大熊輝雄 ,   中尾武久 ,   小椋力 ,   岸本朗 ,   馬嶋一暁

ページ範囲:P.823 - P.830

I.はじめに
 Benzodiazepine系薬物は,一般に静穏作用が強く,精神神経科領域でも,各種の神経症にたいしてだけではなく,躁うつ病,精神分裂病などの内因精神病の治療にも併用的に使用され,現在までにchlordiazepoxide,diazepamをはじめとして各種の薬物が臨床的に使用されている。また催眠作用が強いnitrazepamなどは睡眠薬としても使用されており,また抗痙攣薬としての作用も評価されている。
 1968年F. Hoffman-La Roche社によって開発されたbromazepam(Ro 5-3350)(7-Bromo-5-(2-pyridyl)-3H-1,4-benzodiazepin-2(1H)-one)は,従来用いられているbenzodiazepine系のchlordiazepoxide,diazepam,nitrazepamとは構造式にブロム(Br)をもつ点(第1図)で異なっており,サルを含む各種実験動物では,静穏,抗斗争,抗痙攣作用を強くしめし,それらの作用はchlordiazepoxide,diazepamよりはるかに強力であり,とくに筋弛緩,抗痙攣作用はdiazepamより著しいと報告されている(Randallら,1968)。

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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