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雑誌目次

論文

精神医学13巻9号

1971年09月発行

雑誌目次

巻頭言

一医育者の提言

著者: 松本胖

ページ範囲:P.838 - P.839

 わが国で現在実施されている医学教育については,あまりにも多くの問題が山積しており,これらを早くなんとか解決しなければならぬと考えるのは医育者として当然のことであろう。
 しかし,たとえ理想的なビジョンが打ち建てられたとしても,これを早急に現実化するには多くの隘路があり,容易なものでないことは充分承知しているつもりである。そのうえ,現実の問題となると,考え方も千差万別であり,いずれが最良の方法であるかを的確に判別することも至難なわざで,すべてを満足させることも不可能に近い。

展望

遅発性ヂスキネジア—諸外国における研究

著者: 風祭元

ページ範囲:P.840 - P.855

 遅発性ヂスキネジア(tardive dyskinesia)は,向精神薬(主としてneuroleptics)の長期間の治療の後に出現する不随意運動症状群である。
 1.現在,欧米の精神病院の長期入院患者の10〜30%にみられるといわれている。
 2.症状の中心は,口の周囲に限局する反覆常同的な不随意運動である。
 3.通常,向精神薬療法開始後,数年後にはじめて出現し,向精神薬を中止しても消失せずに非可逆的に持続する。
 4.高齢者や,脳器質障害の既往を持つ患者に出現しやすい傾向がある。
 5.その発現機序は未だよく分っていないが,向精神薬の連用によってひきおこされた,脳,とくに基底核のdopamine代謝過程の異常(dopamine作動性の増加)が推定されている。
 向精神薬の導入にともなう精神科領域の化学療法の発展は,精神医学の歴史に,新しい時代を画したといってよい。しかし,多くの患者が,向精神薬によって,社会復帰や,精神療法的・生活療法的働きかけが可能になった一方,本症状群のような非可逆的な神経系の後遺症が出現するという事実は,われわれすべての精神科医に精神医療における薬物治療の再検討の必要性を,つよく要請するものと考えられる。わが国においても,本症状群の実態の調査と,その予防・治療の対策の樹立が早急にのぞまれる。

特別論文 精神医学の基本問題—精神病と神経症の構造論の展望

第14章 パブロフの実験的神経症とクルト・シュナイダーの神経症異論

著者: 内村祐之

ページ範囲:P.856 - P.865

 前章で紹介したクレッチュマーのヒステリー論の中核をなすものは,その症状の発生と形成とを系統発生史的に,また症状の固定を反射生理学的に説明しようとするものであった。ところで前章の末段でも取扱ったことだが,現代の臨床神経症学にとって,もう1つ重要な問題は,時代とともにヒステリーの臨床形態が変わりつつあるという事実に関連するものである。クレッチュマーによると,「……おおむね外方に向かって表出されていたものから内方に向かって,すなわち植物神経系の調節という領域に引っ込んでしまった」のであり,その結果,ヒステリーと他の種類の神経症との区別が不明瞭となって,ヒステリーや神経症の概念そのものの再検討が迫られる時代に入ったのである。
 それゆえに本章の前半では,神経症発生論でクレッチュマーと多少の共通点をもつ生理学者パブロフの神経症論を,また後半では,純粋の臨床精神病理学の立場からするクルト・シュナイダーの異色のある神経症論を紹介することにしようと思う。この2つは互いに隔たった視野に立つ議論であるが,両者ともに基本問題としての重要性を持つものと考えるからである。

C.P.C. 松沢病院臨床病理検討会記録・2

老年期の幻覚妄想状態の1例—精神分裂病か,老年の機能的精神病か,それとも老年痴呆か

著者: 松下正明 ,   石井毅 ,   吉田哲雄

ページ範囲:P.867 - P.871

I.まえがき
 今回もつづいて臨床的に問題点を多く含む退行期ないし老年期の幻覚妄想状態の例を供覧したい。生前,精神分裂病か器質性精神病かで議論があって診断が確定せず,病理学的には意外にも老年痴呆が最も疑わしいといった興味ある症例である。

研究と報告

病的罪責感と宗教の治療的効果

著者: 稲垣卓

ページ範囲:P.873 - P.878

 強迫症状の背後に,宗教が関与する抑圧された罪責感が見出されることは少なくない。また,その場合には治療の困難な場合が多い。
 本論文では,仏教僧侶の家庭に育った2例およびキリスト教伝道者の家庭に育った1例の計3例の強迫症状をもつ患者に行なった精神療法の経過の概略を述べるとともに,患者の信仰に根差す抑圧された敵意と罪責感について考察し,ついでそのような宗教的罪責感に対する治療の方法について論じた。
 3症例はいずれも,敵意と罪責感がからみ合って相互拮抗的な関係にあり,両者ともに本当の意味では認識されていなかった。このような場合に宗教的罪責感を無視して治療を行なうことは適切ではない。しかし,患者自ら赦されないと信じている罪を洞察させることは容易でなく,また罪を直視した場合には深い絶望に陥る危険も大きい。
 このときもし,患者の信仰する宗教に「赦し」の思想が存するならば,信仰を罪責感を強めるものとして排斥するのではなく,患者の宗教が元来もっているにもかかわらず患者が見失っていた「赦し」に注目するように配慮しながら精神療法を進めるのがよい。それによって,患者を絶望に陥らせることなく自己の罪責感を洞察させることができる。

自己臭患者の性と罪悪感について

著者: 洲脇寛 ,   大森鐘一 ,   大月三郎

ページ範囲:P.879 - P.883

I.はじめに
 自己臭に関する報告は,これまでも,Brill1),Walter2)3),Videbech4)らの報告があるが,その疾患的位置づけは様々で,症例により,あるいは著者によって,NeuroseからSchizophrenieに及ぶ範囲に位置づけられており,必ずしも明確なものではない。そこで,中沢5)・足立6)らは,疾病的位置づけにあまりこだわらず,人間学的な観点から,自己臭患者の存在様式を理解しようとし,その中で,彼らの性的問題や罪責的なかかわり合いについても注目している。
 われわれが,この症例報告を思い立った意図は,本症例では,自己臭症状を発した根底に,父親像,性の罪悪感の問題が大きな役割を演じており,それらの問題を中心に,自己臭患者の心性を理解するためである。さらに,本症例では,罪悪感の実際的な解決が宗教に結びつき,宗教道場での体験が重要な転機となったので,その点についても,精神療法的な検討を加えたい。

精神病院における治療的共同社会づくりの一つの試み

著者: 高橋哲郎

ページ範囲:P.885 - P.892

I.緒言
 現在精神医療とは何かという根底的な問いかけがなされているが,筆者は,一私立精神病院における集団療法を通してこの課題に対する答を出してみようと試みた。
 従来,精神病院における集団療法の報告は数多いが6),大別して,主として作業療法的方向づけによるもの13),精神分析的方向づけによるもの5),治療的共同社会の方向づけによるもの3)7)8)11)などに分類できよう。筆者の試みは精神病院における治療的共同社会づくりの一環として,集団精神療法的に行なわれた治療者会議を軸に,患者を含めた大集団精神療法を平行してすすめたものである。前者は主に産業関係で行なわれている感受性訓練集団1)9)10)12)に類比されるが,臨床関係でのこの種の報告は未だ少ない。また大集団の精神療法についても,100人に達する集団をもとにした報告はほとんどない。

アルコール中毒と自己破壊行動

著者: 大原健士郎 ,   本間修 ,   宮里勝政 ,   有泉豊明 ,   有安孝義

ページ範囲:P.893 - P.900

I.はしがき
 外国,とくにアメリカの報告2)4)では,アルコール中毒者に自殺が頻繁に発現するといわれている。たとえば,Robins, E. ら2)は自殺企図者に臨床診断名を下し,5群に分類し,その1群にアルコール中毒をあげているほどである。またMenninger, K. 1)らの精神分析医は,アルコール中毒者と自殺者の心理に,共通した自己破壊的傾向を認め,アルコール中毒者をおしなべて,慢性ないしは部分的自殺とする見解も多い。もちろん,Kessel, N. 4)のように「中毒そのものを自殺行動とするなら,中毒者はどうして別の手段を用いて新たな自殺を意図するのだろうか」という反論もある。しかし,実際に,われわれが臨床の場でアルコール中毒者に接してみると,飲酒の基盤にかくれた神経症がかなりの割合に存在することが明らかになっている。いわばこの仮面神経症(masked neurosis)がアルコール中毒者にどれだけ存在し,それが自殺行動とどのような関係にあるかを知ることは,はなはだ興味深いことである。わが国では,これまでにアルコール中毒者の自殺について,まとまった報告はほとんどないが,この論文では,アルコール中毒者との面接によって、彼らの生活歴から,詳細な自殺企図,希死体験を検討し,神経症者を対照として,その特徴を浮きぼりにしたいと考えた。

アルコールおよび薬物中毒者の自殺企図に関する研究

著者: 清野忠紀

ページ範囲:P.901 - P.908

I.はじめに
 アルコールおよび薬物中毒者における自殺企図は,欧米では非常に多いものといわれ,英国では自殺既遂が一般人口の約80倍あったとN. Kessel and G. Grossman1)が報告している。しかし,それに関する報告の乏しいことも述べている。一方,わが国でも少数の臨床統計で言及しているにすぎない。中毒者における自殺の研究報告の少ない理由として,著者は①中毒者が自殺企図した時点での本人の精神および身体的状況と,依存性薬物(アルコールを含む)の影響,関連性を把握することが困難であること(未遂の場合も健忘を残していることがしはしばであることなどによる),②中毒者の生活史,病歴の把握,予後の追跡調査が各種の理由でしばしば難しいことなどにあると考える。著者の経験では,中毒者が自殺を企図した時点での状況一般,とくに本人の精神および身体的状況はさまざまであり,まさにそのことが中毒者における自殺の特色であると考えられるが,本文であらためてふれる。著者は,自殺一般の問題がはらむ複雑さは,そのまま人間存在の複雑さであると考え,これをいささかでも解明できれば,人間存在の理解とこの悲劇の防止に役立つと思い,著者自身の臨床の主たる対象であるアルコール中毒者,薬物中毒者について調査した。中毒と限らず,すべての自殺企図には生物学的,心理学的,社会学的諸要因がさまざまにからみ合っていることが推測できるが,中毒者の自殺企図には,著者の臨床経験から,とくに酩酊および意識障害が特異な関連性をもつのではないかと考え,この研究では,自殺企図と意識障害の関連を重視して調査した。また自殺企図と中毒の予後との関連についても調査を試みた。

躁うつ病における尿中カテコールアミンならびに尿中17-KS排泄に関する研究

著者: 松本啓 ,   松下兼介 ,   神崎康至 ,   吉田修三 ,   畠中裕幸 ,   川池浩二

ページ範囲:P.909 - P.916

I.はじめに
 近年,精神疾患の病態生理学的研究が,さかんに行なわれるようになり,精神と身体的変化との関連性が次第に明らかになりつつあり,躁うつ病についても,各種の病態生理学的研究がさかんに行なわれ,特にアミン,電解質代謝が重要視されている。われわれも主として躁うつ病を対象として,その自律神経,内分泌機能検査,ポリグラフ的研究および生化学的研究を行なっており,その病態生理を多角的に把握し,精神と身体的変化の関連を検討している。
 本研究は,上述のごとく躁うつ病の精神生理学的研究の一端として,主として本疾患における尿中カテコールアミンならびに17-KSの排泄を検索するとともに,症状の推移と対比しながら,縦断的に観察し,あわせて,これらの尿中カテコールアミンおよび17-KSに対する向精神薬のおよぼす影響をみる目的で行なった。

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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