文献詳細
研究と報告
文献概要
心気症者の身体的訴えの中から痛みに関するものをとり上げ,それを通して心気症者の現象学,精神力動を2例の症状を呈示して考察した。痛みの訴えに関しては,そのときに医師-患者関係においてverbal communicationの介在が必然であり,この点から精神分析的治療の接近を試みた。
A)心気症者の精神現象および精神力動
1)心気症者の生活歴は不幸の連続であり,対人関係はきわめて貧困である。しかしその後の発展においては,むしろその心気的訴えにより対人関係での緊張を防いでいるといえる。
2)心気症者の痛みは,社会生活の中で孤立化した彼等の社会的役割,地位の保障である。
3)この社会的役割や病人としての同一性の確保のためには,それが器質的痛みであることが必要であり,このために苦痛な外科的検査や手術をむしろ期待する。その反面,心理的接近に対しては極度に拒絶する。
4)この意味において,心気症者の痛みは身体武装body armourと考えられ,それは性格傾向としての性格武装character armourとの間に相関があるものと思われる。すなわち彼等の痛みは,主観的,個人的体験の現われであり,自我により積極的に創造されたものである。
5)その身体的痛みが象徴化していたものは,<症例2>においては他者への怒りと敵意であり,それと同時に存在する彼等の分離への恐れと不安であった。
A)心気症者の精神現象および精神力動
1)心気症者の生活歴は不幸の連続であり,対人関係はきわめて貧困である。しかしその後の発展においては,むしろその心気的訴えにより対人関係での緊張を防いでいるといえる。
2)心気症者の痛みは,社会生活の中で孤立化した彼等の社会的役割,地位の保障である。
3)この社会的役割や病人としての同一性の確保のためには,それが器質的痛みであることが必要であり,このために苦痛な外科的検査や手術をむしろ期待する。その反面,心理的接近に対しては極度に拒絶する。
4)この意味において,心気症者の痛みは身体武装body armourと考えられ,それは性格傾向としての性格武装character armourとの間に相関があるものと思われる。すなわち彼等の痛みは,主観的,個人的体験の現われであり,自我により積極的に創造されたものである。
5)その身体的痛みが象徴化していたものは,<症例2>においては他者への怒りと敵意であり,それと同時に存在する彼等の分離への恐れと不安であった。
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