icon fsr

雑誌目次

論文

精神医学14巻2号

1972年02月発行

雑誌目次

特集 作業療法

精神科作業療法について

著者: 井上正吾 ,   若生年久

ページ範囲:P.90 - P.98

I.はじめに
 精神障害者の医療については,地域精神医療のめざましい発展への努力にもかかわらず,現在はいまだ病院精神医療が中心的役割を演じている。そのうちでも精神療法を中心とした精神療法的接近と,薬物療法と,さらにここで述べる作業療法を中心とした広義の生活療法が三本の柱として重視されている。もちろん本題で述べるのは狭義の作業療法が重点ではあるが,生活指導やレク療法を含めた広義の作業療法との関係において述べられるべきであり,またこのさいにも精神医学的側面と同時に,医療技術的側面,さらに制度の側面からも,幅広い考察をすべきで,従来のような一側面からのみの接近では,この作業療法が真に患者のためのものにならないのみか,かえってそれを害する可能性もあることに心すべきであろう。
 今までに日本の精神医学界で作業療法が正式にとりあげられ論じられた機会はあまり多くない。私の承知するところでは,呉秀三らによるもの,黒沢良臣らによる精神衛生研究所グループによるもの,江副勉らによる有志の研究,その後,西尾友三郎らによる作業療法研究グループの研究があり,また個々には技術的統計的研究も散見できる。

作業療法の管理的側面

著者: 竹村堅次

ページ範囲:P.99 - P.106

I.はじめに
 精神病院をあぐる話題のなかでよく出るのが「作業療法というけれども,患者が働くのだから生産物のあがりで結構もうかるのではないか」という疑問である。もうかるといえば,昭和30年代の精神病院ブームで一般の人びとが精神病院は経営上有利で十分投資の対象になると気軽に考えていたのも,いまとなっては大きな問題を残した。専門従事者ならば誰でも作業療法の重要性を否定する者もなく,いまや施設数において法人・個人立(いわゆる民間病院)が80%を越え,病床数に至っては86%を上廻るに至った事実を知らぬ者もないだろう。
 こうした環境のなかで作業療法が広く行きわたりさらにリハビリテーション活動へと伸びていったのが現況だが,昭和40年6月に理学療法士・作業療法士法が成立して以来,作業療法は再認識されざるをえなくなった。もちろん専従者が必要という角度から病院管理にも関連してくる。しかしながらリハビリテーションの場合もそうだが,理論は将来を見過ぎるきらいがあり,現実の精神科領域の作業療法の実態からみて,作業療法は質的,あるいは精神療法的側面からはともかくとして少なくとも管理的側面からは目覚ましく進歩ないし改革されたとはいえない。

作業療法の形態的側面の現状と治療的側面との相関

著者: 田原幸男

ページ範囲:P.107 - P.114

I.緒言
 今日の精神医療の体系は薬物療法とともに,生活指導,レクリエーション療法,作業療法など,社会復帰のための訓練過程を取っていることは,既に一般周知の事実であり,私自身の経験を通してみても,作業療法が今日のように中心的課題として精神医療体系の中で論じられたことはかつてなかったように思われる。もちろん,この背景には久しく続いた大学精神医学のありかたに対するきびしい反省や,終戦後に精神医療の中心となった薬物療法に対する批判や,さらには地域医療といった概念と結びついて病院精神医学に対する関心がいっそう高まってきた事実があることは否定できないように思われる。
 しかし,現在のわが国の精神病院が経営主体の相違や,その立地条件や規模の格差や,また設立以来歩んできた歴史の変遷や施設そのものの内容の変化等々,数々の条件に制約され,左右されて上述の精神医療体系のどの部分かに重点を置かざるをえないといった色合いのちがいを持っていることもまた事実であろう。私は思う,作業療法も広く精神療法の意味を持つものであってみれば,まず病院自体の治療的雰囲気を問題としないわけにはいかないであろうと。換言すればこの治療を実施していく場の雰囲気といったものがまず考えられねばならないであろうが,しかしこの雰囲気の形成たるや一朝一夕にして実るものではないのであり,このようなことの難しさを本当に理解できる人は一握りの臨床医に限られるのではないかと。さらに言い換えれば,組織の未熟な病院でこうした実践をそれこそ,身をもって経験した人でなければ充分には理解されないではないかとさえ思うのであり,とくに経営主体が公的である場合に見られるように,院長には経済権も人事権もなく,大多数の職員はその公的団体所属の意識において仕事に励み,患者のために,あるいは病院のためにといった意識の乏しいような場合は,言うも愚かな現実であろう。

個人療法的作業の効果をめぐって

著者: 浜野夏子 ,   山崎達二

ページ範囲:P.115 - P.122

I.はじめに:目的と方法
 Pinel以来の長い低迷を経て,作業療法は近年ようやく精神医療の実践活動として広まってきたが,その効果はまだ経験的な事実に多くを支えられている段階といわなければならないだろう。多くの先輩諸氏から「どうして効くのかはっきりしないが,確かに患者さんは変わっていく」という声をきくとき,私たちは大変力づけられると同時に,どのように実践することが客観性をもつ行為につながるのかわからないという諦め的な響きを感ずることもある。このことは,いわゆる作業あるいは活動をつかったアプローチが,moral treatmentとかergotherapy,Arbeitstherapie,worktherapy,activity therapy,occupational therapy等等,さまざまな名称で呼ばれて,時代的・国家的な人間観や医学の哲学的背景と密接に関連しながら発達してきた事実と無縁ではなさそうである。したがって作業療法をとりまく現代医療の構造をぬきにして,技術や科学的実践をとりあげることに困難がある。しかし,そうはいっても臨床的に効果があるといわれる以上,作業療法の治療的要因を点検する必要性は変わらないと考える。
 私たちのアプローチの目的は,病気や障害そのものよりも,病気や障害をもちながら生活する個人に対して,彼らがうばわれた生活機能をとりもどし充実したあり方(リハビリテーション)を得ることである。

精神療法的接近について

著者: 松井紀和

ページ範囲:P.123 - P.129

I.はじめに
 作業療法には広狭の意味があるが,ここでは広義に解して,日常生活活動全般にわたる活動を作業として取り扱う。現在この意味では,生活療法という概念が使われているが,私もこれを常用している。さらに1965年,生活療法を定義づける必要を感じて,「操作手段として日常生活の諸活動を利用して行なわれる精神的療法であり,精神医学的に基礎づけられ,最終目標としては社会再適応,社会復帰を目指すものである」と定義した。次に,1970年,立場を明確にするために,「活動それ自身,治療者患者関係,集団の持つ力動的意味などの治療的要素の密接に関連した場の中で,患者の症状の背後にある欲求を,その患者のレベルの最も好ましい行動形態で充足し,患者の精神力動に(+)の変化を与え,より健康な自我を形成してゆくことを援助する過程である」と捉えた。
 臺は作業療法の作用因子として,生理的,心理的,社会的の3レベルをあげ,それを統一的に行動科学の立場から見ようとしている。われわれは後述するアプローチの歴史の中から,次第に精神分析学的疾病論に基づく心理療法として作業療法を定位するようになり,作業療法を基本的にはcommunication processとして捉えるFidlerの立場に近いものになってきた。

精神療法的接近について

著者: 武田専 ,   鈴木寿治

ページ範囲:P.131 - P.138

I.はじめに
 われわれは精神分析的精神療法を標榜して病院運営を行なっているが,現在の医療制度のもとではその存続は不可能であるため,一部大部屋を除き室代差額を徴収している。だが,それですら充分なスタッフを揃えることは経営的に不可能である。したがって,すべての患者に精神分析的個人精神療法を行なうことはできず,簡便個人精神療法,集団精神療法とともに,作業・レクなどを集団療法的に組織化し,精神分析的な治療環境を作りあげたいと努力しているのが現状である。
 たしかに,精神分析療法はそのままの形では,一般精神病院では実施は困難であり,精神病院精神医療の問題は,生活療法やリハビリテーションの形で病院精神医学の分野で取り上げられるのみで,精神力動的な立場からの精神療法の試みは,最近まであまりなされていなかったのも当然である。少数の治療者と多数の患者との治療関係に基づき,慢性分裂病者を中心とする集団的な取り扱いの中で,表層的な社会適応の回復に重点を置いてきた精神病院の治療の中に,神経症の通院個人精神療法から発展し,医師・患者の1対1の関係に注目する,精神分析療法を導入することの困難さは明白である。一般精神病院には,精神衛生法および生活保護法による低所得層の患者が多数入院しており,精神医療軽視の現在の医療制度のもとでは,患者個々の精神内界の変化を重視し,きめのこまかいアプローチを要する,精神療法を受け入れる基盤は,経済的条件からみても乏しかったことは自明である。

精神科作業療法と健康管理

著者: 藤井洋男 ,   若生年久 ,   平野直 ,   沖之島貞子 ,   竹内貞子 ,   加藤孝正 ,   井上正吾

ページ範囲:P.139 - P.144

I.はじめに
 精神科作業療法を有効に行なうには,病者の心理的側面や,病者をとりまく社会的因子について充分考慮すべきは当然であるが,さらに,病者の身体的側面,すなわち,体力や知覚機能,行動特性といったものにも深い配慮が必要である。精神病者の大多数は内科的にとくに問題はないのが普通である。しかし,このことは身体面で問題がないということではない。長期間病院生活を送っている病者は,一見して,体つき,姿勢,歩行の仕方,動作,機敏さ,持久力,集団内での行動様式等々の面で,健康者と異なるなんらかの異常を示すことが多い。
 リハビリテーションを促進するには,このように一見臨床の対象にならないようにみえる異常をも見逃してはならない。これらの"特徴"は精神病そのものに随伴する本来的なものか,あるいは長期にわたる自閉的,非社会的な生活態度による2次的なものか,あるいは長期間の向精神薬服用による副作用的なものか,ただちに結論づけることは困難かも知れないが,ホスピタリズムが重要な原因をなしていることは疑う余地がない。

院外作業の治療的特徴—社会・経済的な含みについて

著者: 大原重雄

ページ範囲:P.145 - P.151

I.はじめに
 わが国における院外作業とは,欧米諸国のナイト・ケアとはやや異なった意味を包含した観念であり,多くは,長期間入院している精神病患者が便宜的に病院外の事業所に通勤する,extramuralな就業訓練であり,治療措置でもある。Joshua,Bierer1)が1952年ロンドンにディ・ホスピタルを開設するとともに,一部をナイト・ケアに使い,地域医療的実験を開始したが,その目的は,精神病患者が昼間就業をつづけながら夜間に専門的治療を受けさせ,精神疾患による失職を防止し,逆に生産企業者側がその労働力の損失を減少することにあった。その後米国など自由諸国でも,その実利的な効用をも含めて,早期治療的な観点から普及されてきたものである。またわが国と同型式のナイト・ケアが長期入院患者の復帰治療の最終段階として行なわれるが,院外作業の前後に保護工場やハーフウェイ・ハウスなどの中間的な施設をクッションとしていることが,日本の場合と趣きを異にした点であろう。実際私達が,わが国の社会制度の中で院外作業療法を行なうときには,医療経済的,法制的な制限に阻まれるのであるが,現在全国の精神病院の半数以上が院外作業を実施し,全国入院患者総数の5.4%,13,600人の患者がこの種の社会復帰訓練の恩恵を受けているのである2)。院外作業の手続き,経過その他の問題点については,小林著:病院精神医学研究3)に,豊富な体験にもとづいた綿密な記載がなされているので,著者は側面的な視点から二,三の経験的示唆を補遺するとともに,院外作業の社会経済的含みについて私見を述べることにとどめたい。

リハビリテーションの立場から見た作業療法

著者: 稲地聖一

ページ範囲:P.153 - P.159

I.緒言
 リハビリテーションという言葉は一般語としては“回復”“復権”と訳されているが,精神医学ではその言葉は人によっていろいろに解釈されている。例えばF. B. Porterは“患者の機能回復をもたらすのに必要な活動,技術または働きかけの機構である”といい,加藤伸勝は“病院内治療活動に引き続き,社会への移行を容易にするために行なわれる治療的活動を包括してリハビリテーションと定義しておく”といっている。また厚生省の大臣官房企画室が示した見解では“リハビリテーションとは身体障害者(精神障害者を含む)を身体的,精神的,経済的にできるだけ十分に,できるだけ早く回復させる措置のすべてを含むものであり,身体的,精神的機能を十分に回復させる医学的リハビリテーションと職業適性検査,職業訓練,再雇用を内容とする職業的リハビリテーションに区別される”としている。
 ところで,リハビリテーション医学が最も進んでいるといわれる英米におけるその発達の経緯をみると,増大した戦傷病者の機能を回復させ,軍事力の低下を最少限にしようとした政治的意図があったことは周知のことである。また一方では,労働力保全のために心身障害者に対するリハビリテーション活動が広まってきていることも事実である。そのような状況のなかで,戦力または労働力とならないと見なされた障害者は見捨てられ,病院内に沈澱したり,コロニーに収容されたりする結果を生んだ。

特別論文 精神医学の基本問題—精神病と神経症の構造論の展望(最終回)

第18章 精神病の人間学的把握の試み(2)—ツットの了解人間学と全篇の総括

著者: 内村祐之

ページ範囲:P.162 - P.173

人間学的精神医学の1つとしての「了解人間学」
 前章で取り扱ったビンスワンガーの現存在分析は,現存在の様態,またはその構造の分析的研究方法を用いて,もろもろの精神障害の裡に隠されている現存在構造の変容を探ろうとするものであった。ここで目標としたのは,従来の精神病理学を補うことではなく,病者自身の全人間性の実態に近づいて,この立場から精神障害を把握しようとすることであった。前章で見たように,ここでは,2,3の精神病理学的症状の名称が時に現われることはあっても,それは副次的の意味をもつにすぎず,全体として従来の精神医学とは全く把握の仕方を異にした学説であった。そしてこの印象は,従来の精神医学の遺産がここではほとんど評価採用されていないことによって,一層強められたのである。
 しかし,その一方,この現存在分析のもつ根本理念,すなわち精神医学は人間存在のもつ本性を考慮に入れるべきだという主張は,広い範囲の共感を呼び,いわゆる人問学的方向への努力が各方面で行なわれる機運を生んだ。以下に紹介するツットの了解人間学(verstehende Anthropologie)も,こうした方向への努力の代表的なものの1つであって,しかもここでは,従来の精神病理学その他の領域で得られた知見をも併せて考慮しながら研究を進めている。その意味で,少なくとも私にとっては,現存在分析よりも身近に感じられるものである。

研究と報告

新しい向精神薬Y-4153の臨床評価—二重盲検法によるChlorpromazineとの効果比較

著者: 小野寺勇夫 ,   岡本康夫 ,   伊藤耕三 ,   石金昌晴

ページ範囲:P.175 - P.183

I.はじめに
 これまで数多くの向精神薬が開発されてきたが日常診療の中でしばしば困難さを感じる欠陥分裂病や陳旧性分裂病の症状のうち,とくに感情鈍麻や自発性減退に対する強力な治療薬を有していないのが現状である。
 今回われわれは新しい向精神薬Y-4153について治験する機会を得た。Y-4153は吉富製薬研究所でcarpipramine(以下CPPと省略)に引き続き合成研究された向精神薬で,図1に示したごとき構造式を有する。薬理学的にはアポモルヒネ拮抗作用などのいわゆるneuroleptic potencyはCPPよりも約2〜3倍強力な化合物である1)2)

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

雑誌購入ページに移動

バックナンバー

icon up
あなたは医療従事者ですか?