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文献詳細

雑誌文献

精神医学14巻5号

1972年05月発行

文献概要

巻頭言

臨床ということの成り立ち

著者: 堀要1

所属機関: 1前名古屋大学精神神経科

ページ範囲:P.394 - P.395

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 ながく臨床にたずさわっているうちに,いつの間にかものの見方考え方まで,特に意図して構えないかぎり臨床家的になるようである。このことを私が自覚したのは戦後まもなく専門ちがいのいろいろの人々と議論したときであった。終戦後G. H. Q. の指示によったのであろう愛知県推進協議会というのができて私も参加するはめになっていた。この会はcoordinating counsilというので,おもに青少年児童問題について,日本の縦割行政のバラバラを横につらねて調整推進をはかろうとするものであった。この会で私はある時「名古屋駅から浮浪児をなくする」ことを提案した。当時私は愛知県中央児童相談所の嘱託をつとめており,浮浪児対策が当時の重要課題の一つであった。そして京都駅からはすでに浮浪児が姿を消しているのに,名古屋駅へは全国から浮浪児が流れ寄ってくる実態があった。もし住むに家なく食うに食ない子どもを浮浪児と定義するなら,名古屋駅という住みよい家にいて食物に何の不自由もない名古屋駅にいる子どもは浮浪児とはいえなくなるという冗談も出た。それは浮浪児から浮浪児に伝達される情報で九州から東北から上手に汽車を只乗して集まってくる子どもたちであった。私の提案は教育界で尊敬されている教育の大家によって真向から反対された。「名古屋駅から浮浪児を居なくしても,熱田駅なりどこかへちらばるだけで浮浪児対策にはならない。浮浪児を出している敗戦後の社会こそまず立てなおさなければならないことで,これこそ根本対策である」というのがその理由であった。私は「梅毒で苦しんでいる患者が治癒をもとめてきたとき,梅毒の感染は道義の廃退と公衆衛生の低下こそ根本であるから,それの対策をこそ立てるべきであるとの理由で,目の前の患者を放置するわけにはいかない」と反論したとき,私ははっとした。各県が各県内の浮浪児を救済すべきであり,愛知県に他県の浮浪児を多数よび集める必要はないとの正当な反論と提案理由の補足までには時間がかかった。愛知県の浮浪児対策として名古屋駅から浮浪児をなくするというのは,いわば対症療法にすぎないもので,いかにも臨床家的発想であるなとも思ったが,私の提案が最後に採択され,残念ながら東海北陸軍政部のある係員の支持によってではあったが,名古屋駅と名古屋市と愛知県との掛員の協力体制を実現して,毎日毎夜の徹底的な浮浪児の収容および住居県への送致を行なったのでまもなく名古屋駅に浮浪児の姿はみえなくなり,全国から浮浪児が流れ寄るという現象は消滅した。この経験をとおして,私は自分のものの見方考え方について反省し,臨床ということについてあらためて考える機会をもったことになる。
 臨床の基盤や背景や本質については,臨床実践をとおして,および臨床的研究に従事して,直接先輩との接触による薫陶により,研究集会での同僚との交流により,および文献の検討により,いつのまにか直観的把握をもつようになっており,そのようにして何となく臨床家的人間形成がなされてきたのであろう。

掲載誌情報

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN:1882-126X

印刷版ISSN:0488-1281

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