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雑誌目次

雑誌文献

精神医学14巻7号

1972年07月発行

雑誌目次

巻頭言

精神病院をめぐる諸問題

著者: 後藤彰夫

ページ範囲:P.590 - P.591

 精神医療に対する批判は日本精神神経学会や病院精神医学会を中心に活発に論議されている。とくに,精神病院における批判は病院精神医学誌上(第28,29,30集)に集約されており,今後われわれはその批判を生かしたやり方で精神医療を推進することが望まれている。この機会に私なりに日常の業務を通してみた問題点について概観してみたい。
 ただし,私が公立病院勤務医であるため,低医療費政策にからむ病院の経営面の問題には認識が不充分なので,私立病院の立場からの追加補足のご意見をいただきたいと思う。とくに,精神病床の大部分を私立機関に負っている現状では,この問題を抜きにしては核心に迫りえないからである。

展望

精神運動発作重積症について

著者: 浜中淑彦

ページ範囲:P.592 - P.603

I.はじめに
 Status epilepticusといえば通常はてんかん大発作重積症のことで,これは決してまれな状態ではない(Hunterによれば2404例のてんかん中1.3%,Janzによれば3750例の3.7%,Lennoxの小児てんかん例では7.5%)とされ,また小発作重積症の文献例は少なくなく,近年その性質や周辺例をめぐって活発な論議が行なわれており(Niedermeyer,Hess,細川),種々の亜型が記載されている。これに反して精神運動発作や側頭葉発作の重積症については,ごく最近までその有無もはっきりせず,1960年代後半に至って漸く主としてドイツ語圏でこれについての論議が散見されるようになったが,「その臨床像が如何なるものであるのか,また一つないしいくつかの明確に定義される臨床・脳波学的症状群がとり出される日が来るか否か,についてはなお議論が進行中」(Janz)である。われわれは最近精神運動発作重積症と考えてよい症例を観察する機会を得たので報告し,文献展望,位置づけなどを試みたい。

研究と報告

内科外来における抑うつ症—某スラム地域での観察

著者: 宮田祥子

ページ範囲:P.605 - P.613

I.はじめに
 地域での内科,外科,整形外科などを標榜する一般外来診療所においても,精神神経科的治療を必要とする患者が相当数みられることは,近年わが国においても注目されつつあるところである。著者は,専門は精神科であるが,昭和44年より,京都市内の某スラム地域の一般外来診療所において内科診療担当者として患者に接し精神医学的に観察する機会を得た。そしてその経験から,精神医学的診断を要した患者の中ではaffective disorders圏に属するものがきわめて多いという印象を持った。したがってこの点を確認すべく,昭和46年1月から6月までの期間をかぎり,あらためてできるだけ入念な観察を行なってみた。以下はその報告である。

島根県隠岐島都万村での地域精神医療のこころみ

著者: 春木繁一

ページ範囲:P.615 - P.622

I.はじめに
 わたくしは,昭和44年5月から昭和45年10月末まで島根県隠岐郡都万(つま)村において国保診療所の医師としてこの地域の一般医療に従事した。この期間にわたくしは少なからずの在宅の精神疾患者達に接しその診療を担当した。そこで本稿では,わたくしが現地において行なった活動の内容の一端を記そうと思う。とりもなおさずそれはわたくし個人の地域精神医療の試みであった。断っておきたいが,わたくしの滞在は1年半という短期間であり,もっぱら精神科診療のみに従事したわけではない。むしろ一般診療の比重がずっと大きかったことを強調したい。一般診療の中に自然の形でとり入れられた精神科医療では,こうした精神科医療の処女地においてあらかじめ予想される一般の人,あるいは患者,家族の偏見や抵抗はより少なく,むしろ患者,家族もわたくしによる診療を他の疾病の診療と同じように自然に受け入れていった点で,有利に展開したといえる。
 (診療所の待合室では,他科の患者さん達と一諸に精神科の患者さん達も談笑しながら待っていた)。全科的な診療を扱う中でいわゆる"村の先生"としてごく普段着の姿で村の人々に接し,ほとんどの村の人々と知り合いになることができたことは,とくに地域での精神科医療活動のために無形の力となっていることを知った。

義姉ないし義兄を対象とした精神分裂病者の被害体験

著者: 高橋隆夫

ページ範囲:P.623 - P.629

I.序言
 著者は,最近の数年間に,長兄(姉)の配偶者である義姉ないし義兄による被害体験を訴えている数名の精神分裂病者たちがいるのに気づいた。そして,彼らが訴えてくる内容には,いずれも"彼らの肉親のある者たちが,彼ら自身と全く同じように,義姉ないし義兄の行為によって被害を蒙る"ということが折り込まれていた。
 一般に,精神分裂病者たちが抱いている異常体験の主題の中には,彼らの生活史にまつわる種々の体験が刻み込まれているということには異論の余地はないであろう。

失語症の喚語困難とモーラ数の想起

著者: 杉下守弘

ページ範囲:P.631 - P.640

 失語症患者が喚語困難状態にあり,事物の名前を言えもせず,書けもしない場合,その名前のモーラ数なら想起できるかどうかを検討した。対象は20名の失語症患者である。そのうち6名はBroca型失語症,2名はWernicke型失語症,1名は健忘失語症であり,他の11名は分類不能なものであった。
 37枚の線画を患者に示し,その名前を言えず,また書けぬ場合に,そのモーラ数をキー・スイッチを押させて答えさせた。37枚の線画中26枚はモーラ数とsyllable数が一致している語(名称)が描かれており,11枚はモーラ数とsyllable数が一致していない(syllable数がモーラ数より1つ少ない)語が描かれている。
 結果は次のようであった。
 1)5名の患者は喚語困難な語でも,そのモーラ数を正しく想起できた。その5名のうち3名はBroca型失語症,1名が健忘失語症であり,他の1名は分類不能な者であった。これはLichtheim(1885)の結果と一致しない。それに日本語にはかな文字があるためと考えられる。かな文字数とモーラ数は一致しているため,モーラ数の記憶が強められるからであろう。
 2)上記5名において,モーラ数がsyllable数と一致しない語が喚語困難となったときは,一致する語が喚語困難となったときにくらべてモーラ数想起の誤りが多かった。そして,その誤りはモーラ数を1つ少なく答える誤りが多い傾向がわずかに認められた。

向精神薬療法と肝機能検査について

著者: 藤田慎三 ,   平井浩 ,   大崎道代 ,   入野啓子 ,   水谷孝文 ,   佐々木実 ,   小松原和夫

ページ範囲:P.641 - P.650

I.はじめに
 精神科領域における治療法は1952年にchlorpromazine1)がはじめて使用されて以来,今日までに80種類以上の向精神薬2)が現われ,それまでのあらゆる精神科特殊療法に優先して薬物療法が施行されるようになってきた。現在ではそれが一般的に大量投与される傾向にあり,同時に精神疾患の治療においては長期連続投与を余儀なくされる場合が多い。そのため,向精神薬による副作用が当然重大な問題となってくる。これまでに報告されている副作用症状としては,錐体外路系障害,肝障害,造血系障害,循環系障害,などが考えられている。われわれは患者の精神面の治療とまったく同時に身体面の管理を充分に行なわなければならない。したがって向精神薬の使用にあたってはその治療効果だけに目を向けるだけでなく,副作用を充分に考慮に入れるべきであるという趣旨のもとに今回は肝機能検査,とくにGOT,GPT,Al-P,LDHに現われる所見についての調査を行なった。本論文では向精神薬の長期連続投与を受けている患者に現われる所見として,肝機能検査の異常頻度を統計的に求め,検査成績が上昇しているものについては,その後経時的に検査を続けて上昇が持続的なものか,一時的なものかを調べ,できるだけ詳細に変動の経時的変化を記述するよう努めた。また投与期間や投与量が障害の程度にどれほど直接的な影響を及ぼすかということについては,一般的に大量投与のさいには副作用の起きる頻度も上昇しているとの見解が多い3)4)が,われわれは向精神薬の大量連続投与によってもこのような副作用症状を発現しない症例にしばしば遭遇してきたので,その点に関しても統計的に検討を加えることにした。このような長期連続投与にもかかわらず検査成績が常に正常値を維持している場合には,長期連続服用者の正常値と健常者の値に有意の差があるかどうかも興味ある問題点である。さらに以上の長期投与群を対象とした検索では,その間の蓄積現象とか,あるいは逆に薬に対する順応性などの影響も出てくる。このような現象の考慮されない対象としては,少なくとも過去2カ月間向精神薬を服用していない新たな入院患者が選ばれ,その初期応答性が調べられた。そしてこれらの成績をこれまでに得られた長期連続投与群の成績と比較検討することにした。

分裂病者のコミュニケーション行動—面接時のPersonal Spaceを中心として

著者: 仲宗根泰昭

ページ範囲:P.651 - P.660

I.はじめに
 分裂病者との面接では患者が面接者に極度に近づいたり,また遠く離れすぎたり,斜めに向いて坐るなど,応待の仕方に不自然さのあることが日常よく観察され,対人的な空間の使い方に異常があるのではないかということが予測される。人におけるコミュニケーションは言語のみでなく,表情,身振りなどの非言語的行動をも媒介として行なわれるが,対人的な空間の使い方もこの範疇の一つと考えられる。
 ところで,個体が他者との関係で保とうとする距離帯(personal spaceとかproximetric spaceとよばれる)についてはHoward10)が鳥類について"なわばり行動"として記載し,Hediger5)はさらに個体と個体のかかわりあいとしての距離に注目し,最近ではHall3)4)が人のコミュニケーション行動として文化人類学的立場からこの面に注目している。分裂病者で,非言語的コミュニケーションが重要な役割を果たしていることは周知の事実であるが,距離帯についての研究はまだ数少ない。しかしSpiegel12)はすでに,この面の重要性を示唆し,またHorowitz6)7)8)9)は個体をとりまく対人接触の領域をbody-buffer zoneとよんで分裂病者について詳しく研究している。

精神分裂病でみる機能的類型とその予後—方法論的試み(第2部)

著者: 広田伊蘇夫

ページ範囲:P.661 - P.667

I.はじめに
 前回の報告では,配置された乱数の追跡を手法として,発病経過10年以上の分裂病例でみるいくつかの類型を示してみた。この手法は機能的にみるならば注意の持続というよりは,むしろ注意の配分様式に視点をおくものである。そこで今回は注意の持続の様式に焦点をあて,分裂病例でみる類型を調べることとする。

C.P.C. 松沢病院臨床病理検討会記録・9

いわゆる“所見のない精神薄弱”の1症例

著者: 浜田晋 ,   岡田靖雄

ページ範囲:P.669 - P.673

I.まえおき
 5歳から25歳で死ぬまで精神病院で育ち生活した非常に落着きのないいわゆる興奮型の白痴例である。7歳ロボトミーまでうけている。生前器質性の基礎にもとづく重症精神薄弱と考えられていた。ところが剖見により,みるべき病理所見はなく,いわゆる“所見のない精神薄弱”とよばざるをえない。白痴——しかもこのような重症のもの——には,身体的基礎が明確であり解剖すればすぐその病源をたしかめることができるだろうと考えることは誤りである。臨床と病理の溝はまだまだ深く,精神薄弱を医学的に総合的に解明する道はなお遠い。

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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