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雑誌目次

雑誌文献

精神医学14巻8号

1972年08月発行

雑誌目次

巻頭言

大学精神科

著者: 鳩谷龍

ページ範囲:P.686 - P.687

 私共の大学の付属病院が新築されることになり,精神科病棟の設計について教室の中で色々と構想を練り,そのプランを提出したが,例によって予算と基準面積の関係で,最初のプランを半分以下に縮小せざるを得なくなった。経済大国といわれるこの国で新しく大学を整備しようという時,何とも納得出来ない話だが,何しろ全体の枠が動かし難いということになれば,いきおい他の科との釣り合いということで我慢せざるを得なくなった。それではせめて将来拡張の可能性を残して,精神科だけ独立病棟として建築することを辛じて認めて貰ったが,当初のプランが何時実現されるか心もとない話である。予算規模や立地条件にもよるが,概ね我国の大学精神科の病棟は二三の例外を除いて,ベッド数も少なく,病室以外の生活空間や設備が充分でなく,また,屋外の施設も貧弱な為に長期入院者の治療に不適当なものが多い。このことが大学精神科の性格をある程度規定してきたことは否定し難いであろう。すなわち,病棟の設備や構造の上から,それに見合った患者しか収容出来ず,また,ベッド数の関係からもいきおい,そのよしあしは別として,主治医の関心や興味に合った患者のみが選択的に入院させられる結果になる。また,個人的精神療法や薬物療法によっても病状の改善が見られない慢性分裂病者は,作業療法や生活療法に対する設備や人手の不足の理由で,他の病院に転院委託される場合が多い。したがって,大学精神科の患者の入院期間は比較的短く,主治医は特定の患者やある限られた時期の患者については,かなり深く治療的接近をし得ても,慢性患者の運命をつぶさに身をもって看る機会は少ない。このことが主治医の分裂病観にも影響することは否めないであろう。
 大学精神医学という言葉が病院精神医学との対語の形で,批判や一種の侮蔑を含んだ呼称として用いられ始めたのは,精神病院で慢性分裂病者の社会復帰をめぐる活動が盛んに行なわれはじめた頃からである。すなわち,「大学は慢性分裂病者を多くかかえて悪戦苦闘している精神科医の現実課題から免れており,また,ある種の精神病質者や『厄介』な患者とのつき合いからも身をかわしている」「大学精神医学は安楽椅子精神医学であり,社会的実践から遊離した研究至上主義やディレッタンチズムに陥っている」等の批判をしばしば耳にするし,また,このような批判はその限りにおいて,ある程度正当であろう。いうまでもなく,大学の課題は学問であり,研究と教育が相即的に行なわれている所が大学である。学問は根源的な知的欲求に導びかれて,個々の研究領域にどこまでも分け入る傾向がある。このような研究の分化が単に個別性の中への埋没でなく,絶えず全体性への関係を見失わないことによって,その限界を自覚している限り,たとえその研究が時流をはなれたように見え,また,今日的課題に対して有用性をもたなくても咎められるべきではない。むしろ,大学こそこのような意味での無用者の居ることが許される場所であるはずである。研究者は本来的に単独者であり,自由であるべきである。自由だからこそ彼等は開かれており,互いに問いかけ合い,闘うのである。そのような論争の内におのずから理念がはぐくまれ共有される。一つの理念に貫かれて絶えず問題が立てられ,それをめぐって研究者の意識の緊張が続けられる時,新しい学問上の洞察が得られ,さらに新たな問題が立てられる。このような研究活動の中では,世俗的な権威や特権は無縁である。大学の中に真の意味での研究活動が生きており,権威や衒学により,学問的明識が曇らされない限り,閉鎖的となることはないであろうし,大学は学外での創造的な業績を正しく評価する機能を失わないであろう。

座談会

戦中・戦後の精神病院の歩み—第1部

著者: 西尾友三郎 ,   菅修 ,   元吉功 ,   加藤伸勝 ,   後藤彰夫 ,   皇弘 ,   立津政順 ,   長坂五朗

ページ範囲:P.688 - P.703

 西尾(司会) 本日はご多忙のところお集まり下さいましてたいへん有難く存じます。このテーマで座談会を開くについては,その主旨があるいは充分に諸先生に通じていないかとも思われますので,念のためこうなりました経緯をあらためて申し上げます。
 実はこれには昨年急逝された江副先生が亡くなる少し前に「今度精神病院のあり方というような特集をしたら」という発言をされたことがあったそうなのです。私たまたまその席におりませんでしたが,亡くなられてから追悼文掲載などの話があったときに前述の江副発言が編集委員会で話題にのぼったのです。たまたま,なにしろ急逝でしたので追悼文についても,もっと何人かの人にお願いしたらというような緊急提案もあったのですが,あまり何人もの追悼文を入れてもかえって変則になるし,時機を見て江副言行録などを含めたなんらかの座談会などをやった方が有益ではないかということになり,そこで江副先生の生前の前述の提案が再び浮かび上がってまいりました。さて,そのような段階で,江副案をストレートに企画するかどうかという論議になり,結局現在の時点で「精神病院のあり方」の座談会の企画をする前に,すでにいくつかの断片的には出ています,現在までの精神病院のたどってきた経過を戦争を中心にしてまとめてみる方が先ではないかということになり,そこで表題のような変わった座談会をすることになった次第なのです。すでに昭和33年に江副・臺両氏が,昭和20年前後の松沢病院の情況報告を精神経誌に発表しておりますが,今回は松沢病院のみならず,もっと広く,そしてもっと多角的に話題を出していただくことを期待しているわけです。前に述べた江副先生の追悼文掲載などについて私も発言したりした関係上,今回の座談会の司会を私がさせられることになってしまいました。なにぶんよろしくお願い申し上げます。ご出席願った先生方は,イ)昭和20年より大分前から太平洋戦争を通して戦後混乱期あるいはその後まで精神病院で活躍されていた先生,ロ)戦争頃からおられた先生,ハ)戦後精神病院に行かれた先生方というえらび方を一つの建前といたしました。

研究と報告

長年,社会から遮断されて育った3きょうだい

著者: 西田博文 ,   伊藤禎子 ,   高木和子 ,   山上敏子 ,   村田豊久

ページ範囲:P.705 - P.714

I.はじめに
 わたくしたちは,約10年間,親から外出を禁止され,両親以外との対人接触をまったくもたなかったという,きわめて特異な環境のもとに生育した3人のきょうだい(14歳,女;12歳,男;10歳,女)について,調査,研究する機会を得たので,彼らのパーソナリティの特性,ならびにその後の変化について報告したい。(以下,長子より順に,第Ⅰ子,第Ⅱ子,第Ⅲ子と略記する)。
 パーソナリティがいかに形成されてゆくかという問題は,数多くの性格理論のなかで,最も重要な課題であろう。古来,素質論と環境論とが対立してきたことは,周知のとおりである。この複雑な課題に対して,“アマラとカマラ(Gesell, A.)”1)や,“アヴェロンの野生児(Itard, J.)”2)などの症例報告が多大の寄与をなした。ここに報告する症例は,これら2症例ほど環境が異例というわけではない。ただ,長期間にわたって両親以外の人々との接触をもたずに育ったという点で特異である。パーソナリティ形成過程において,対人関係が非常に重要な因子のひとつであることには,異論はないであろう。パーソナリティは,母親や家族,すなわちいわゆる第1次集団との狭い人間関係から,さらに家族外の第2次集団との接触,相互作用の過程のなかで発展し,展開してゆくと考えられているが,もし家族外との接触を体験しなかった場合,パーソナリティにいかなる影響があらわれるかという疑問は,精神医学的にも教育学的にも,はなはだ興味深い問題である。

人口流出と精神障害による帰郷(いわゆるUターン現象)について—第1報 山陰地方における実態調査

著者: 大熊輝雄 ,   福間悦夫 ,   井上寛 ,   藤井洌 ,   梅沢要一 ,   今井司郎

ページ範囲:P.715 - P.723

I.緒言
 大都市への人口集中による人口の過密化と,工業的立地条件にめぐまれない周辺地域における人口流出と過疎化とは,わが国だけではなく世界各国にみられる現象である4)8)。山陰地方は,このような意味での代表的な過疎地帯であり,とくに最近のいわゆる高度経済成長にともなって毎年中学校卒業者,高等学校卒業者など青少年層のかなりの部分が卒業と同時に京阪神地方その他の地域にむけ出郷している現状である。
 著者らは日常の診療の経験から,精神疾患とくに精神分裂病の外来・入院患者のうちに,いったん山陰地方から出て大・中の都市で就職あるいは就学し,出郷先で発病して結局帰郷せざるをえなくなり,郷里の山陰地方で診療を受けている症例がかなり多いことに注目した。地方の小都市や農山漁村などから大都市に向かって流出した人たちがなんらかの理由でふたたび帰郷する現象は,一般に「Uターン現象」と呼ばれているが,著者らの経験は,このUターンの原因として精神障害がひとつの役割を果たしていることを示唆している。このような現象は,社会学的な問題であるだけではなく,健康な青少年層が都会にむけて流出し不健康者が過疎地帯に残るという地域の医療あるいは精神衛生の問題としても重要である。また他方では,このような症例において地方から大都会に出るという環境の急変とそれにともなう各種の精神的,身体的負担加重が実際に精神病の発病の原因あるいは誘因としてどの程度働いているのか,またそのような場合に精神病像や予後に他の症例とは異なった特徴があるかどうかなどの検討は,近年内外でさかんに行なわれている内因精神病に関する社会精神医学的研究1)2)3)7)12)や社会変動と精神障害との関係についての研究5)9)15)とも関連して興味深いものと思われる。

催眠暗示による“夢”と逆説睡眠期の夢に関する精神生理学的研究

著者: 木村聰

ページ範囲:P.725 - P.736

I.はじめに
 夢と眼球の動きが関係あるらしいことは,すでに19世紀の後半に,眠っている人を直接観察することによって認められていた。しかし,急速眼球運動(REM)が確かめられ(Aserinsky and Kleitman1),1953),いわゆる逆説睡眠と夢の関係,をポリグラフを用いて観察したのはDement and Kleitman5)(1957)であり,それ以後多くの人たちが逆説睡眠の研究を行なってきている。そして1958年には動物でも逆説睡眠が起こることが確かめられたのである(Dement6))。
 一方,催眠トランス中にも睡眠中の夢と似たような体験のあることが以前から知られていた。また催眠中に,「夜間睡眠中にこれこれの夢をみる」という夢の内容を具体的に指示した暗示を与えると,その夜の睡眠中にその暗示の内容と似たような夢が出現することも報告されており,それを利用した研究も行なわれてきている11)12)

盤珪禅と森田療法の精神指導の態度についての考察

著者: 鈴木知準

ページ範囲:P.737 - P.745

I.はじめに
 盤珪(ばんけい)の不生禅(ふしようぜん)は坐禅という行(ぎよう)を行なわないで,盤珪の説法を聞きにくる聴衆に法話を聞かせ,また疑問を持つ僧との間の問答の形式をとって現在の心的態度の批判を行ない,彼等を開眼させ,現在の中に彼等を安定せしめようとしている。これが盤珪禅の眼目とするところであった。
 しかして,その盤珪の法話,または僧や聴衆との間の問答質疑は,森田の神経質人を指示する方向と極めて近いのは,誠に興味深い。しかし前述のように盤珪は坐禅などの行をおこなわなかった。森田療法といわれる森田の特殊療法においては,臥褥や作業へ没入する行動すなわち行が必要とされている。この点大きく異なってはいるが,森田のその行動を通して達せしめようとする心的態度を,盤珪は日常の問答の中に極めてやさしい言葉で表現しているのは,一つの驚きをわれわれにあたえる。

偽性副甲状腺機能低下症の1例—とくにその発作と心因性要因との関連性について

著者: 宮本宣博 ,   浮田義一郎 ,   門林岩雄 ,   田中穂積

ページ範囲:P.747 - P.753

I.はじめに
 副甲状腺機能低下にみられる精神異常については,1907年のFrankl-Hochwartの報告以来,主として術後副甲状腺機能低下症(postoperativehypoparathyroidism)および特発性副甲状腺機能低下症(idiopathic hypoparathyroidism)に関しての諸家の報告が記載されているが,今回末梢神経系の被刺激性亢進と解されているところのテタニー発作が,心因性に強く影響されて頻発した偽性副甲状腺機能低下症(pseudohypoparathyroidism)の症例を経験したので報告する。

Pimozideによる慢性精神病の治療について

著者: 木村敏

ページ範囲:P.755 - P.760

I.緒言
 Pimozide(R-6238,以下PZと略記)はJanssen社が開発し,同社と藤沢薬品中央研究所が基礎実験を行なった新しい向精神薬である。その化学構造は1-{〔4,4-bis(p-fluorophenyl) butyl〕-4-piperidyl}-2-benzimidazoloneで,下のごとき構造式を有する。
 A. J. Janssenら1)により実施されたPZとHaloperidolおよびChlorpromazinとの比較薬理研究によると,PZの薬理作用はChlorpromazinよりHoloperidolに類似し,作用持続の著しく長いことと毒性の低いことを特徴とする。藤沢薬品中央研究所2)の実験によると,PZは多くの点でこの両薬剤と似ているが,麻酔遷延作用が非常に弱く,大量でも電撃痙攣を抑制しない点で他のmajortranquilizerと異なり,Haloperidolより中枢作用,毒性ともにかなり弱い。

C.P.C. 松沢病院臨床病理検討会記録・10

罹患後22年の日本脳炎後遺症—日脳後遺症の臨床的,脳波的,ならびに病理学的特徴について

著者: 石井毅 ,   吉田哲雄 ,   松下正明 ,   竹中星郎 ,   広田伊蘇夫

ページ範囲:P.761 - P.766

I.まえがき
 慢性の日本脳炎後遺症に関する知見は,臨床的ならびに病理学的研究により近年次第に明らかになってきている。しかし,臨床症状と病理所見の相関については,臨床予後追跡の困難,剖検の稀なため,限られた情報しか得られていない。
 報告する症例は日脳罹患後22年を経過した例で,長期間松沢病院で臨床的に観察されたのち死亡し,病理学的に検索された。種々検討の結果,臨床症状,脳波所見,病理学所見のいずれにも,ある程度日脳独得と思われる所見が浮かび上がってきた。しかも,これら所見は全体として視床の病変に関連するごとく思われる。その意味でこの症例は日脳後遺症の研究に新しい展望を与えるであろう。

映画評

特集・精神医学の世界〈全12集〉

著者: 臺弘

ページ範囲:P.768 - P.769

 本誌では,今後,精神医学や医療に関して紹介と批評に値するような映画がつくられた場合は,書評と同じように映画評を取り上げることにした。これまでもそのような映画は少なくなかったのに,その存在や利用の手続きが一般に知られないために,十分に活用されなかったことは誠に惜しい話である。将来,読者の間で映画がつくられた場合にも,その情報を編集部宛にお知らせいただければ有難い。
 映画評の第一陣として,本年1月8日から3月25日にかけて,12回にわたってテレビ医学研究講座として放映された標題の特集を紹介する。

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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