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巻頭言
大学精神科
著者: 鳩谷龍1
所属機関: 1三重県立大学医学部精神神経科
ページ範囲:P.686 - P.687
文献購入ページに移動大学精神医学という言葉が病院精神医学との対語の形で,批判や一種の侮蔑を含んだ呼称として用いられ始めたのは,精神病院で慢性分裂病者の社会復帰をめぐる活動が盛んに行なわれはじめた頃からである。すなわち,「大学は慢性分裂病者を多くかかえて悪戦苦闘している精神科医の現実課題から免れており,また,ある種の精神病質者や『厄介』な患者とのつき合いからも身をかわしている」「大学精神医学は安楽椅子精神医学であり,社会的実践から遊離した研究至上主義やディレッタンチズムに陥っている」等の批判をしばしば耳にするし,また,このような批判はその限りにおいて,ある程度正当であろう。いうまでもなく,大学の課題は学問であり,研究と教育が相即的に行なわれている所が大学である。学問は根源的な知的欲求に導びかれて,個々の研究領域にどこまでも分け入る傾向がある。このような研究の分化が単に個別性の中への埋没でなく,絶えず全体性への関係を見失わないことによって,その限界を自覚している限り,たとえその研究が時流をはなれたように見え,また,今日的課題に対して有用性をもたなくても咎められるべきではない。むしろ,大学こそこのような意味での無用者の居ることが許される場所であるはずである。研究者は本来的に単独者であり,自由であるべきである。自由だからこそ彼等は開かれており,互いに問いかけ合い,闘うのである。そのような論争の内におのずから理念がはぐくまれ共有される。一つの理念に貫かれて絶えず問題が立てられ,それをめぐって研究者の意識の緊張が続けられる時,新しい学問上の洞察が得られ,さらに新たな問題が立てられる。このような研究活動の中では,世俗的な権威や特権は無縁である。大学の中に真の意味での研究活動が生きており,権威や衒学により,学問的明識が曇らされない限り,閉鎖的となることはないであろうし,大学は学外での創造的な業績を正しく評価する機能を失わないであろう。
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