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雑誌目次

論文

精神医学15巻4号

1973年04月発行

雑誌目次

特集 痴呆の臨床と鑑別

分裂性痴呆

著者: 西丸四方

ページ範囲:P.326 - P.331

I.分裂性痴呆を題目とした理由
 いまどき分裂性痴呆あるいは早発性痴呆などというと,こういう言葉を持ち出すのは時代錯誤であるように感じられる。この痴呆の特集の計画にも,もともと入っていなかったもので,私は痴呆の総論を割り当てられたのであるが,とくに願い出て変更していただき,あえて分裂性痴呆という題にした。早発性痴呆という概念が精神分裂病に変わってから,この疾病から「痴呆」は消え去ったかの観を呈し,器質的痴呆においては知的なものの低下であり,分裂病では情意的なものの鈍化であるとされ,痴呆においては必ずしも知的なもののみが侵されるのではなく,人格全体の低下であり,情意的な鈍さや単純化,下級化もあるのであり,分裂病においては情意的鈍さによって残っている知的能力の発揮ができないにしても,よく見れば,両者の区別は直ちにできるものとされる。
 30年以前に,私が初心者の頃,精神病院で古い欠陥患者を多数受け持たされて,両者の区別は十分できるものと思っていたときに,戦争中の空襲で焼失した精神病院の患者を多数受け入れたことがある。病床日誌は焼失して既往歴はまったく不明であるが,一人一人調べていけば簡単に診断できるものと思って見てゆくと,器質性痴呆か,精神薄弱か,分裂病かの区別ができない症例が多いので驚いた。接触の障害や分裂病くささというような主観的な感じも当てにならない。大体当るように思うのは分裂病の症例が非常に多いせいもある。今までの経過や,残っている少しの分裂性体験,過去に持っていた分裂性体験の供述によってはじめて分裂病ということが分かると,そこではじめて,やはり接触が不良である,分裂病くささがあると思い当るようなわけで,これら観察者の主観的な感じは,あとから付け加わったものであると分かることがよくあった。しかしこの頃は,まだ自分の診断能力が未熟なためであると思っていた。

痴呆と大脳病理学

著者: 大橋博司

ページ範囲:P.332 - P.338

I.はじめに
 「自我がその行動の論理的統合を行なうことの不可能,すなわち人間の知的構造の基本障害,これが痴呆の定義である。痴呆とは判断の機能を失った自我の病的形態である」(H. Ey13))。このような高度の人格の解体は一般には大脳全体の広範囲にわたる病変によって出現するものである。しかし脳の局所的病変がある程度にまで広がれば,臨床的に痴呆と呼んでいいような状態が現われうるであろう。そのさい,その部位によって症状にも多少の差はあろうし,それゆえに元来局所症状としての言語・行為・認知障害や精神障害をあつかうべき大脳病理学――最近の名称では神経心理学Neuropsychology――も痴呆への接近を試みる意義があろう。
 また痴呆といえば,厳密には知的操作の予備条件ともいうべき記憶や言語,高次の感覚・運動機能などの障害とは区別すべきであろうが,現実にはこのような道具障害を合併した症例も少なくないし,また純粋の知性障害と道具障害とがきっぱりと弁別できぬばあいも決して少なくない。したがって本稿ではまずコルサコフないし健忘症状群とそれに関連した痴呆について述べ,次に失語症と痴呆との関わり合いや前頭葉症状と痴呆との関係などについて考えてみたい。

意識障害,コルサコフ症状群と痴呆

著者: 浜中淑彦

ページ範囲:P.339 - P.350

 意識障害,Korsakow症状群,痴呆は定義の仕方によっては器質および症状精神病,または身体的に基礎づけうる精神病körperlich begründbare Psychose(K. Schneider)のほとんど全部をカバーする3大病像であるが,ここでは3者の横断像における構造,縦断像における推移を,外因精神病論における位置づけ,意識と記憶の側から見た問題,3者の中間にある多彩な諸病像などの観点より論じた近年の研究を展望しておきたい。

痴呆とその時間構造の障害

著者: 越賀一雄

ページ範囲:P.351 - P.355

 本論文においてはすでに発表した語義失語患者の1例について報告し,とくにその対話形式の特有な症状を述べ,その所見から筆者は真の現在,W. Sternのいうerlebte Gegenwart,AhrensのPräsenszeitには過去から未来への絶えざる進行の面と,過去を保存し,止まって未来を待機する停止の面があり,そこに現在のもつ矛盾的(paradoxical)な性格,いわばZeitparadoxがあることを指摘し,時が直線的であるとともに,ある空間的な拡がりをもっていることを論じ,かかる矛盾した構造をもつ現在が,その拡がり,延長という場所的性格を失い,passivem,receptiveな面を失い,単にaktive,expressiveな面のみとなり,単なる一点の絶えざる進行にすぎなくなるとき,先に述べたStörringのいう一軌道性(Eingleisigkeit)を呈し,その談話はまったく一方的な止まることなきRededrangの様相をおび,その対話の形式が失われ,あたかもMonologにも似た形式とならざるをえないのである。

内科の立場から—前頭葉連合野の血管障害と痴呆

著者: 亀山正邦

ページ範囲:P.357 - P.366

I.はじめに
 痴呆の定義は正確には,まだきまっているとはいえない。各種の内科的疾患,神経疾患において,痴呆はしばしばその主症状をなすが,判定者によっては,これを意識障害ととり,あるいは痴呆とみなす。痴呆症候群の内容が,このように区区であるため,痴呆患者の頻度,その臨床上の意義づけ,治療などに対しては,多くの混乱が生じている。たとえば,脳動脈硬化性痴呆と老年痴呆との問題においても,これを取り扱う内科,あるいは精神科の医師の間に,必ずしも意見の統一があるとはいえない。この意味では,たとい暫定的なものにせよ,痴呆の診断基準の設定が望ましい。痴呆は,老年者のみに限った問題ではないが,老年人口の増加は,この問題の重要性を,ますます高めてゆくことはいうまでもない。
 この論文では,痴呆の定義について,アメリカ精神医学協会のcriteriaにしたがうことにする1)

痴呆の量的測定への提言

著者: 石井毅

ページ範囲:P.367 - P.373

I.まえがき
 有吉佐和子の“恍惚の人”がベストセラーとなり,話題を呼んでいる。これはこれからの社会にとって老人の問題がいかに重要であるかの一つの象徴的出来事ともいえよう。老人の“恍惚”は今や社会問題となったのである。
 老人問題とは別に,科学技術の進歩と急速な経済成長は人の健康に重大な影響を及ぼしている。それはかつてない規模で,健康を蝕む物質を排出し,それにより新しい病気を生み出しているのである。注目すべきは,このような疾患には中枢神経を侵されるものが比較的多いことであり,水俣病,CO中毒などに典型的に表現されている。中枢神経障害は必然的に精神障害,なかんずく痴呆患者の増加を招来せずにはおかない。

テストからみた痴呆

著者: 小野和雄

ページ範囲:P.375 - P.387

I.緒言
 最近,老人問題が社会福祉の一環としてとみにクローズアップされるにつれ,老年医学の面においてもようやく,痴呆が問題視されるようになった。われわれが精神医学の臨床面で痴呆という言葉を用いるさいにも,厳密なデータによることなく臨床経験にもとづいて判断を下していることが多かった。著者が本誌(1964年)に痴呆に関する所見を発表したさいにも,年少者の精神薄弱や巣症状を示した器質精神障害に比し,痴呆そのものに関する研究や文献は非常に少なかった。
 年少者の場合には,たとえ精神薄弱であっても早期幼児自閉症や,難聴による知恵おくれとの鑑別,さらに心因性か器質性かの診断上の問題,その後の治療および教育上の問題,これからの長い生涯における経済的問題もさることながら,社会問題そのものとして政府みずから最少限度(?)の対策を講ぜざるをえなかったことなども関連して,その方面の研究も痴呆に比して多かったのであろう。

痴呆と発達期の知能障害

著者: 岡田幸夫

ページ範囲:P.389 - P.392

I.成人における知能障害の概念
 知能とは何か? この問いかけは,古くて新しい課題であるとともに,これほど,諸家の立場にしたがって意見の分かれる問題も少ないであろう。けれども,精神病理学的見地に立てば,知能を能力心理学的に理解するだけでは不充分である。というのは,知能の障害について,単なる記憶力の障害とか,見当識の障害とかいった能力の障害を列挙するだけでは,その本質を把握することができないからである。いうならば,そうした個々の能力をこえて,人格障害の様相を示しているのが痴呆だからである。
 この点に注目して,Zutt4)は人間学的立場から痴呆の本質を,Selbstreflexionの障害,すなわち,自己の立場への批判力,反省力の障害とみなしている。彼によれば,知識の多寡が問題なのではなくて,知識の量がいかに少なくとも,それを自覚している場合は,痴呆とはいえないことになる。

初老期痴呆(Alzheimer病とPick病)—わが国の症例報告を中心として

著者: 中島克己 ,   猪瀬正

ページ範囲:P.393 - P.397

I.はしがき
 Alzheimer病とPick病は初老期痴呆の代表的疾患であり,Alzheimer1)とPick2)とによる最初の報告以来今日まで多数の報告がある。病因については不明であるが臨床的3〜6)にも病理的5〜8)にもすでに詳細な研究がある。10数年前までは本邦では報告例が少なく稀な疾患に数えられていたが,猪瀬9),原ら10)の業績が出てから症例数も急速に増加してきた。この小論はわが国における症例とわれわれの経験例についてまとめたものである。

老年痴呆と動脈硬化性痴呆

著者: 松下正明 ,   石井毅

ページ範囲:P.398 - P.402

I.はじめに
 歴史を一べつしてみると,近代医学の発生までは,老年痴呆や脳動脈硬化症などの老年期の痴呆は,老年痴呆として一括されていたようである。動脈硬化症という言葉は19世紀になってからのことであり,老年痴呆senile dementiaという言葉はすでに紀元後2世紀より使われ出しているという1)。19世紀初頭,Bayleが進行麻痺を一疾患単位として認めて以来,50歳前の痴呆は進行麻痺として,60歳以降は老年痴呆として各々診断されるようになり2),ここではじめて,痴呆を分類する試みが現われてきたようである。しかしほぼ19世紀という時代は,痴呆患者をみれば進行麻痺か老年痴呆と考える時代であった。この時期を画したのは,1891年のフランスのKlippelが進行麻痺を3型に分け,その一つを“pseudo-paralysiegénérale arthritique”としたことである。この型が,今でいう動脈硬化性痴呆に相当しており,本症の初めての記載となった。これとは独立に,Binswanger(1894)が同じく進行麻痺より,脳動脈硬化性痴呆を分離独立させ,Alzheimer(1902)によって詳細に記載されることになった。またそれとともに,漠然としていた老年痴呆の分類もなされ,Kraepelin(1912)によって各々一つの疾患単位として,老年痴呆と動脈硬化性痴呆が区別されて記述されることになった。爾来60年にわたる間,老人精神医学の一つの課題はこの両疾患の臨床上の鑑別にあったといって過言でない。そして,たとえばどの精神医学の教科書にも両疾患の臨床症状の差異はあざやかに描き分けられているが,実際にはその鑑別はむずかしく,近年その鑑別への努力を放棄して,両者を一括したり,神経症状があれば脳動脈硬化症,なければ老年痴呆といった誤った考えがみられるようになってきた。
 小文では,このような傾向への批判をこめて,剖検で確かめた症例をもとに両疾患の精神症状の特徴と鑑別およびそのむずかしさについて述べてみたい。

てんかん性痴呆

著者: 岡本重一

ページ範囲:P.403 - P.407

I.はじめに
 昨今,てんかんに関して,ややもすれば単なる神経疾患のごとく,発作だけに注目されがちである。しかし,てんかん患者にとって,発作よりもむしろ精神障害の方が,その社会生活に妨げとなる場合の多いことを顧みる必要がある。ただ,てんかんには原因的にも現象的にもあまりにも多種多様のものがあること,H. Gastaut1)がてんかんの国際分類を提案した意図にもみられるようにその分類や名称が不統一でそれに伴う精神障害の考察を妨げていること,脳疾患にもとづく場合,てんかん性障害と脳疾患自体による非特異的な障害との区別が必ずしも容易でないことなどが,てんかん性精神障害の実態を捉えにくいものとしている面もある。
 かつて,H. W. Gruhle2,3)はてんかんを痴呆型(demente Form)と非痴呆型(nicht demente Form)に区別しているので,まず,彼のいうDemenzに触れてみたい。Gruhleはてんかんにおける痴呆の主徴候として,統覚能力の脆弱性apperzeptive Schwächeをあげ,さらに,その具体像として次のごとく記載している。患者は,万事に領解も習得も容易ではなく,反応もきわめて緩慢遅鈍になる。これらは一見して顕著ではあるが辛抱強く検査してみるとそれほどでもない。記憶,心像は長年にわたり保存されているが,ただ追想に手間取り,徐々に真の記憶障害も現われる。執念深く,ささいなことを長年にわたって根にもつ。領識の障害とならんで表現も困難となり,著しく迂遠になる。杓子定規で,小心翼々とし,極端なほど瑣事に拘泥する。敬虔で信心に凝る反面,偽善的で自己満足的でもある。末期には,人格的に荒廃し,自発性がなく,あらゆる動作が緩慢遅鈍で,関心の範囲がなんらかの日常的習慣に限られ,しかもそれを軽視すると激しい亢奮状態を招く。また,初期には,刺激性が亢進し,気むずかしく,怒りっぽく,突発的に粗暴な反応が起こりやすくなる。

中毒性脳障害における痴呆—一酸化炭素中毒・有機水銀中毒・二硫化炭素中毒・サイクロセリン中毒について

著者: 原田正純

ページ範囲:P.408 - P.412

I.はじめに
 熊本大学精神神経科では10年来,さまざまな中毒性脳障害患者の診療を行なう機会に恵まれた。これらの症例はいずれもきわめて貴重であって,その度ごとにすでに報告されてきた1〜16)。今回,これらの中毒性脳障害患者の痴呆について検討してみたい。対象となった中毒性脳障害は先天性水俣病を除いた水俣病(有機水銀中毒)45例5,9),一酸化炭素中毒(CO中毒)5年目の102例12),慢性二硫化炭素中毒(CS2中毒)15例14),サイクロセリン中毒(Cs中毒)76例中慢性経過をとった26例15)である。

Parkinsonismusと痴呆

著者: 飯塚礼二 ,   森洋二

ページ範囲:P.413 - P.418

I.はじめに
 J.Parkinson(1817)がはじめて“Shaking Palsy”について記載したとき,この疾患が痴呆化を伴うものではない――the senses and intellectsbeing uninjured――ことを記している。爾来Paralysis agitans,あるいは広くParkinsonismusについて,神経学的知見と各種の治療法が錐体外路系機能の解明にともなって長足の進歩を遂げたのに対して,精神症状についての業績は少なく,またその記述内容もまちまちである。たとえばSiegfried(1968)14),Selby13)(1968)などの記述のうちでも,ごくわずかの頁を精神症状の項目に割いているにすぎない。この小論ではParkinsonismusと痴呆の問題について私なりに最近感じていることを中心に述べてみることとした。

分裂病と誤られやすい痴呆

著者: 横井晋

ページ範囲:P.419 - P.423

I.はじめに
 精神分裂病と痴呆を鑑別することは一見きわめて容易なことのように思われる。事実定型的な症状と経過を示す症例では,両者の診断が間違うことはほとんどないといってよい。器質性の痴呆と診断されたものが分裂病に移行することはきわめて稀であるのに反し,現象学的に分裂病様の症状で始まる器質性疾患が,当初分裂病として取り扱われていた苦い経験は,多くの読者が一度や二度は味わっているに違いない。もう1つの問題は,クレペリンによって早発性痴呆といわれたように,分裂病の末期状態のいわゆる精神荒廃状態と器質性痴呆との相違の問題であろう。
 上述のいずれを論ずるとしても,まず痴呆をどのように定義づけるかが最初の出発点となる。わたくしは2〜3年来,痴呆とは一体何かと,失語症,アルツハイマー病,ゲルストマン症状群などの患者をみるごとに考えつづけて彷徨っていた。脳機能の局在についての器具論に対する全体論,Scheller, H. の人間学的立場からみた痴呆の概念,Ey, H. の器質力動学からみた意識にもとづく痴呆の解釈など,それぞれに苦心のほどは感じられるものの,終局的にわたくしを満足させてくれるものはなかった。このような迷いをもって呻吟していたときに,たまたま千谷教授の自然哲学的生命観-意識と生命-1)が送られてきた。一読するうちにわたくしは迷いの雲が晴れる思いがしてきたのである。

偽痴呆

著者: 塩入円裕

ページ範囲:P.424 - P.428

I.はじめに
 偽痴呆5)(仮性痴呆Pseudodemenz)ほど,あいまいな概念は少ないであろう。Wernickeにより提唱されたといわれるが,この語はほとんどガンゼル症候群(状態)(Ganser's Syndrorne,G.'s state)と同義(ことに日本の教科書では)に用いられている。Kraepelin, E. 9)にはガンゼルは記載されているが,偽痴呆はなく,かなり明瞭に区別しているのはJaspers, K. 6)であるが,そこではガンゼルを幼児症的態度とし,これを抑うつ,軽躁,錯乱などによる情緒鈍麻を知能障害と誤ったものであるとしている。また不知(Nichtwissen)を主徴としてガンゼルと区別しようとするBleuler, E. 3)などがあるが,本来明確に区別しえないものではなかろうか。
 というのはこれと鑑別しなければならないものに,全生活史にわたる心因健忘(全般健忘7)allgemeine Amnesie,なおこれは完全健忘totale A. ではない),遁走(Fugue),ヒステリー昏迷,ヒステリー小児症(Prerilismus,なおこれはKraepelinは老人痴呆,器質障害における退行現象とみている),夢中遊行(Somnumbulismus)などがあって,これらがまたいずれ劣らずあいまいであり,よく見ると何か共通の防衛機制があるが,いずれにしても,身体的(中枢神経系の老廃や損傷)な基礎をもつ真正な痴呆とは著しく異なる。だから非科学的ではあるが,それ故にこそ最も人間臭い問題でもあるといえよう。

"Demenz"(痴呆)はいかに使われたか

著者: 伊東昇太

ページ範囲:P.429 - P.435

I.序論
 Demenz(痴呆)は,周知のごとくラテン語のdemensにもとづき,しかもdemensと結びついたのであって,分裂,解離した心の意味であり,さらに「戸惑い」,「当惑」,「錯乱」さらに「痴呆」とおきかえられている。そしてわれわれが今日外来で,また病棟でこの言葉を使用するとき,該当患者はまったく可能性のない非生産的な人間となって,治療は無益であり,人柄は枯渇,廃屋を思わせ,発展性は完全に否定され,すなわち可能性全体が極度に限定されているといった約束用語になって利用されている。しかし医史学的に検討してみると,術語の使用に変化がみられ,以下数少ないDemenzの臨床的研究を展望してみることとする。

Charles E. Wells編著“Dementia”の紹介

著者: 池田久男

ページ範囲:P.436 - P.440

I.はじめに
 本誌に「痴呆」が特集されたのは,老人精神医療が社会的に,医学的に重要な課題となりつつある今日,各方面からの強い要請に応えたものであろう。本特集を担当されている諸氏は,それぞれの分野に豊かな経験を持ち,かつ現在実際に研究に従事している方々である。したがってその内容は個々の経験的知識と,各分野における最新の知見が紹介されるであろう。このような特集に接し「痴呆」という現象が複雑かつ大きな臨床上,研究上の課題であることが認識されるほど,「痴呆」について臨床医学および基礎医学の立場からの,従来ならびに現在の知識が系統的に整理,総括されることの必要性が生じるものである。
 Wells編著“Dementia”は意図的に「痴呆」の症候学,臨床神経学,臨床心理学,臨床検査(電気生理学的および放射線学的),病理学,神経化学,診断学および治療学の項目を作り,各分野の専門家が分担して「痴呆」に関する従来ならびに最近の知識が総説されているのが特徴であり,このような企画のもとに編集された「痴呆」に関する単行書はわが国はもとより外国においても見当らずユニークなものである。Wells自身が序文で述べているように,「痴呆」は神経科医,精神科医,心理学者および基礎医学者の関心が合流する分野であり,これらの専門分野の知見の総力を挙げてその病態生理が解明されるべきであり,この本にはその総合的研究の可能性が示唆されている。

資料

東京女子医大神経精神科における患者の推移統計(昭和25〜45,1950〜1970)—第2部 入院患者全体についての概観

著者: 末田田鶴子 ,   田村敦子 ,   稲川鶴子 ,   浅野欣也 ,   寺坂小夜子 ,   田中朱美 ,   伊藤みさ ,   大木卓朗 ,   下浜紀子 ,   中村泰子 ,   石川陽子

ページ範囲:P.443 - P.458

I.緒言
 私どもは先に第1部として外来初診患者について21年間の推移統計を発表したが1),今回はそれに続いて同期間の入院患者についての統計調査を試みた。一口に21年といつても第2次世界大戦の敗戦の混乱からようやく立ち直りかけた昭和25年から始まり,覚醒剤中毒の多発,精神衛生法の制定,全国的な精神科病床の増加,向精神薬の導入,さらに最近の精神障害者の保安処分の問題に至るまで,ちょっと想起しただけでも精神医学界,精神医療における変化は著しいものがある。この間都内の一隅のバラック建の病棟から出発した当神経精神科教室の1/5世紀にわたる研究,診療の足跡をふりかえってみることも意義あることと考える。入院患者の統計は外来患者のそれより細部にわたることになるので,今回は入院患者全体についての概観をみるにとどめた。そして入院患者の大多数を占め,かつ精神医学的に最も問題が多く,かつ意義も深い内因性精神疾患についての詳細な調査,考察は特別に取り上げて第3部にまとめることにした。

紹介

ウイリアム・コーデル博士を憶う

著者: 林宗義 ,   林貞李美

ページ範囲:P.459 - P.464

 ウィリアム・コーデル博士は1972年3月24日ベセスダで美枝子夫人およびひとり娘シャシに見守られて享年51歳で癌で亡くなられた。世界の学界は,一人の最も有名な創造力に富んだ学者,とくに文化と精神医学研究の権威である人を失ったのである。
 コーデル氏は,1920年9月28日,オハイオ州のシンシナティ市に生まれ,シカゴ大学卒業後,同大学で人類学を専攻し,1948年に学士,1950年に博士号を獲得された。その直後,人類学講師としてエール大学の精神科教室に勤務され,それからハーバード大学社会関係研究所の講師,ついで助教授として,さらに同大学医学部精神科教室の社会人類学研究員として1960年まで勤務された。その間1年間マクレン病院の社会科学研究部長を兼任された。その後1960年からベセスダの国立精神医学研究所社会環境研究部の「人格と環境」研究科の主任として逝去に至るまで活躍をされた。

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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