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雑誌目次

論文

精神医学15巻5号

1973年05月発行

雑誌目次

巻頭言

人の交流

著者: 難波益之

ページ範囲:P.478 - P.479

 学問的内容にならないけれども希望をひとつ述べておきたい。先日,MünchenのDeutsche Forschungsanstalt fur PsychiatrieからW. Schlz教授(1889〜1971)の追悼文の別刷と研究所のAnnualReports(1966〜1971)を送ってもらった。前者はArch. Psychiat. Nervenkr. 215(1972)ですでに読まれた方々も多いことと思うが,われわれの研究領域におけるこの巨星を失っていつの間にか2年半が過ぎた。Scholzの経歴を再読して,あらためてTübingen大学を卒業したてのScholzが大成するまでの屈折した路と,残した業績に深い感銘を受けたものである。Scholzが若くしてSpielmeyerのあとをおそってDeutsche Forschungsanstaltの所長に就任して以来,第二次大戦の戦中戦後の研究所の維持と発展に尽した偉大な足跡を,同じような体験を持つわれわれは一種の感慨をもって見ずにはおれない。その後,所長がG. Peters教授に代ってから付設されたInstitute of Clinical Researchを含めた研究所の新しいシステムと方向は,Scholzの将来の広い見通しの上にたてられたものだったろう。この新装なったDeutsche Forschungsanstalt fur Psychiatrie(Max-Planck-Institut fur Psychiatrie)の陣容と規模から,われわれはドイツ神経精神医学研究の新時代への出発に対するすさまじい意気ごみのほどを窺い知ることができる。わが国でいえば白木教授主宰の府中療育センターのようなものである。新しいDeutsche Forschungsanstaltはドイツ人の計画性と合理性を余すところなく表現している。研究に必要なあらゆる細かい配慮がなされているが,それは機械器具のみならず人の面についても同様である。現在の同研究所のシステムと研究者の名前をみると,それらから,新しい研究方向への意欲と準備が十分に読みとれる。実際そこにしばらくの間でも滞在してみると,直接の研究設備は勿論のこと,その機能を支える技術員等の下働きから研究所員のための食堂や宿泊施設にいたるまで,至れり尽せりの機構が作られていることを知る。だからわれわれ外国人が,1〜2週間の勉強のために一寸立ち寄ったときでも,何も持ってゆかなくともすぐその日から自分の研究所に居ると同じ気持で標本を見ることができる。われわれGästeがある標本を見たいと思えば,担当の技術員が即座に必要なものを選び出してくれる。部室と机と紙,鉛筆と顕微鏡を用意してくれる。顕微鏡写真をとりたいと思えば必要部分に印をつけて写真室へ持って行く。ここで写真の専門家が写真をとってくれる。拡大を指定して2〜3日待てば綺麗な望みの引伸ばし写真が出来上がってくることになっている。こういうシステムはVogt研究所ではもっと徹底していた。初め弱拡大でÜbersichtsbildをとり,その中の必要な神経細胞や部位に印をつけ,拡大を指定して写真室へ回しておけば,やはり2〜3日中に出来上がって標本やÜbersichtsbildとともに研究者の机の上に置いてある。200枚位の写真ならわけなくできるのである。わが国では,古い大学なら別だが,写真専門家を雇うことはまずできない。下手くそな写真を,自分で何回も失敗を繰返しながら腹をたてたてやっているのが現状である。したがって他所から短期間来られる人にはとてもサービスなどできないし,前から居る研究者の時間と研究費の莫大な浪費にもなる。しかも一流の品はできない。こういう素人目にはわからない彼我の大差がこの先,益々拡がってゆくであろう気がする。だから,わたしは,こういう条件下でもなおかつ一流の研究をし遂げてこられた日本の先輩達が非常に偉かったと思うが,そういう研究態勢はもう今後は通用しない。家庭をも犠牲にして研究に打ち込む特志家に支えられ,それでも何とかやれていた時代ではもうない。スペインの学者に聞いた話では,政府に研究費の増額を要求したところ,「カハールは硝酸銀であれだけの仕事をしたではないか」と一蹴されたそうである。なるべく安上りに学問をやり,目に見えない基礎研究には金の出し惜しみをする愚を改めるよう国民の側の認識と支持を求めたい。

展望

医薬原精神障害

著者: 融道男

ページ範囲:P.480 - P.496

I.はじめに
 戦後の混乱期にわが国で蔓延したヒロポン(methamphetamine)中毒が精神障害を起こすことから,立津ら73)によって多数の症例が集められ精力的な研究がなされた。昨今は精神科臨床で覚醒剤中毒をみることはほとんどなくなったが,その後の薬物のめざましい開発にともない,市販薬あるいは医師の処方薬によって精神症状を生じた例が時に報告され,一つの問題となっている。
 本稿では今までに主としてわが国で発表された,薬によって精神症状を生じた例を医薬原精神障害として集め,その発現頻度,精神症状の特徴を述べ,また成因を考えてみるために動物で得られた生化学的なデータなどの概観を試みた。

研究と報告

クレペリン精神作業負荷による精神分裂病患者の視覚誘発電位の変化

著者: 門林岩雄 ,   加藤伸勝 ,   能登直 ,   豊島明照

ページ範囲:P.497 - P.501

I.はじめに
 Dawson4)が加算法によりヒトの誘発電位の記録法を開発して以来,それは広く臨床医学において応用されるようになった。とくに最近では精神医学領域でも誘発電位法による研究が注目されつつありShagass9,10),Callaway1,6)らは精神分裂病者を対象としての研究を行なってきている。
 Shagassら9,10)は二発刺激を行なった場合,二発目の刺激による体性知覚誘発電位の振幅が分裂病者では正常者よりも小さいと報告し,また、Callawayら1,6)は分裂病者の聴覚誘発電位は正常者よりもVariabilityに富んでいると述べている。われわれは分裂病者のクレペリン精神作業曲線が正常者のそれと異なり,また分裂病者が作業持続困難を訴えることがしばしばあることに注目し,クレペリン精神作業負荷後の視覚誘発電位は分裂病者では負荷前のそれと異なっているのではないかという予測に立ち,この研究を行なった。

Kleine-Levin症状群の1例

著者: 古屋穎児 ,   菱川泰夫 ,   若松晴彦 ,   木下玲子 ,   土居剛

ページ範囲:P.503 - P.509

 傾眠,多食,不機嫌,性的逸脱行為などの症状が6日から14日間持続する症期を,13歳に発症し,計7回くり返したKleine-Levin症状群の1例(男)について,発症期と間歇期の脳波所見を検討した。
 覚醒時脳波は,間歇期には10c/sであった基礎波が,発症期には8.5ないし9c/sに徐化し,背景脳波に徐波成分が混入しているのが認められた。
 終夜睡眠記録は,発症期に行なった初回記録では,なかなか入眠せず,入眠してからは頻回に睡眠が中断され,深睡眠が少なかった。傾眠性の亢進を主症状とはするが,実際には慣れない条件の下では容易に眠り込まないことを示しているものと解される。
 発症期に行なった第2回終夜睡眠記録と間歇期に行なった第3回終夜唾眠記録の間には,睡眠経過と睡眠深度の構成のいずれにも著しい差異はみられなかった。
 これらの結果と先人の研究報告を考察し,Kleine-Levin症状群の症状発現には,逆説睡眠および徐波睡眠の発現に関わる神経機構には異常はなく,覚醒状態を維持する神経機構の一過性の障害によるものであろうと推論した。

周期性反復性焦点性放電を示した1症例

著者: 児玉久 ,   木村進匡 ,   今田寛睦

ページ範囲:P.511 - P.519

I.はじめに
 周期性反復性焦点性放電Periodically Recurring Focal Discharge(以下P. R. F. D. とする)については,1965年Hughes, J. R. ら1)によって報告されたのが最初であるが,これは頭皮上脳波において焦点性発作波が外部からのどのような刺激にも反応せず,ある一定の期間ほとんど連続して律動的に出現し,しかも他の部位へ波及することのない特有な脳波所見である。これとほぼ同様の所見はChatrian, G. E. ら2,11)によって,pseudo-rhythmic reccurent sharp wavesあるいはperiodic lateralizedepileptiform dischargeとして報告されており,最近では細川4)が特異な焦点性棘波の連続を示す類似の症例を報告している。Hughes, J. R. ら1)によると,このような特有な焦点性放電を示す例は,わずか0.13%にすぎないといい,きわあて稀な興味ある例と思われる。最近著者らはP. R. F. D. と思われる特異な所見を示す1症例を得たので,ここに報告し若干の考察を加えたい。

うつ状態に対する三環抗うつ薬と甲状腺ホルモンTriiodothyronineの併用療法の経験

著者: 小椋力 ,   大熊輝雄 ,   下山尚子 ,   竹下久由 ,   安部喬樹

ページ範囲:P.527 - P.536

I.はじめに
 甲状腺機能低下症の精神症状とうつ病の病像との間に類似性が知られており,うつ病と甲状腺機能低下症とのあいだにはある程度の関係があることが予測されてきた。また,動物実験の結果でも,甲状腺機能の正常なマウスにくらべ甲状腺機能が亢進したマウスでは,三環抗うつ薬imipramineの作用の一部が増強されること(Prangeら8)1962)が知られている。また,Prangeらは,甲状腺機能低下症でうつ状態を示した1症例に甲状腺ホルモンとimipramineとを併用したところ,甲状腺ホルモン単独ではみられなかった発作性房性頻脈が認められたと報告しており,甲状腺機能亢進状態あるいは甲状腺ホルモンがimipramineの作用を増強させる可能性が示唆された。
このような事実にもとづいて,Prangeら10)(1969)は,甲状腺機能が正常なうつ病者に対して,imipramineの常用量と少量の甲状腺ホルモン(triiodothyronine以下T3と略記する)との併用を試みたところ,imipramine単独投与の場合にくらべ,効果発現が早いとの結果が観察された。その後この事実を支持する結果がいくつか発表されている(Wilsonら12),1970;Earle5),1970;Coppenら3),1972)が,三環抗うつ薬単独の場合とくらべて有意差がないとの報告もある(Feighnerら7),1972)。また,imipramineと同様な三環抗うつ薬amitriptylineも少量のT3と併用すると,単独投与にくらべ効果発現が早いとの報告もある(Wheatley13),1972)。

Imipramine-N-oxide(IPNO)によるうつ状態の治療経験

著者: 平山正実 ,   宮本忠雄

ページ範囲:P.537 - P.546

 われわれは,imipramine誘導体であるIPNOを使用し,つぎの結果をえた。
 (1)うつ状態を呈している患者27例にIPNO75mg/日〜150mg/日を4週間投与したところ,改善9例,やや改善6例,あわせて15例(56%)に症状の改善をみた。
 (2)病型別では,退行期うつ病,更年期うつ病を含めた内因性うつ病に対しては,13例中10例(77%),反応性うつ病と神経症性うつ病では,11例中5例(45%)に改善をみた。
 (3)症状別では,抑うつ気分と意志および思考の制止などの症状は,著しく改善されたが,不安や心気的訴えはあまり改善されなかった。
 (4)IPNO 75mg/日〜150mg/日を投与したところ,少なくとも1〜2週間以内に効果があらわれた。2週間から3週間継続して投与しても効果のみられない症例では,それ以上つづけても病像に変化はみられなかった。
 (5)副作用として,胃腸障害(胃部不快感,便泌,嘔気,食欲不振),舌炎,口渇などが比較的多くあらわれた。そのほかに動悸,舌のもつれ,目のかすみ,発疹,睡眠障害,ふらつきなどが認められた。これらの副作用はこの薬物の投与を中止することによっていずれも消失した。そのほか,血圧,尿所見,血液所見,血清肝機能検査,心電図,脳波検査などを投与前と投与終了時にできるだけ測定し,その結果を比較検討したが,とくに異常はみられなかった。

資料

東京女子医大神経精神科における患者の推移統計(昭和25〜45,1950〜1970)—第3部 内因性精神疾患入院患者について

著者: 末田田鶴子 ,   田村敦子 ,   稲川鶴子 ,   浅野欣也 ,   寺坂小夜子 ,   田中朱美 ,   伊藤みさ ,   大木卓朗 ,   下浜紀子 ,   中村泰子 ,   石川陽子

ページ範囲:P.547 - P.564

I.緒言
 私どもはこれまで第1部に外来初診患者の推移統計を1),第2部に入院患者全体についての21年間の統計の概観を発表した2)。今回は入院患者の大多数を占める内因性精神疾患患者についてやや詳細な調査報告,考察を行なう。内因性精神疾患とはいうまでなく現在まで身体的原因の確認されていない,かつ異常体験反応と認められない疾病性格をもつ精神疾患の総称で,内因性うつ病・躁病,精神分裂病(以後分裂病と略す)と診断されているものがこれに含まれている。すなわち一方で身体的基礎をもつ精神疾患(器質的あるいは外因性精神疾患)と,他方異常体験反応あるいは異常人格と対比される概念である。この疾患群を躁うつ病圏と,早発性痴呆あるいは精神分裂病圏とに大きく分けることは,Kraepelin(1899 Aufl. “Psychiatrie”)以来の伝統であるが,この2つが明確な意味での疾患単位であるかどうかは今日なお議論のあるところで,2つの類型にすぎないとするものもある。またこの2つの鑑別は,病像,経過型,予後などからなされているものの,学者によりかなり相違している。さらにこの両者の混合とみる混合精神病,および変質性精神病,あるいは非定型精神病等々いまだ核心がはっきりしていないものの周辺に曖昧なものがつけ加わり,事情はますます混乱している現状である。しかし神経精神科の実際の臨床においては第2部に述べたごとく,大部分の統計でこの内因性精神疾患が新入院患者の50%以上を占めていることだけを取り上げても,精神医学にとって緊急な課題といえる。

追悼

故野口晋二先生を偲ぶ—略歴と主な業績

著者: 西尾忠介

ページ範囲:P.566 - P.566

略歴
昭和10年3月 慶応義塾大学法学部法律科卒業
  16年3月 日本大学専門部医学科卒業

野口晋二君を悼む

著者: 元吉功

ページ範囲:P.567 - P.567

 一私立精神病院に「勤務医師」として30年間をまったく変わることなく終始した野口君のような精神科医は珍しいのではないだろうか。文字通り精神病院で育った精神科医であると言ってよい。前半は故植松七九郎院長の下に副院長として,後半は自ら院長として病院管理に当ったのであるから,私立精神病院の裏も表も,美点も欠点も,勤務医師としての苦悩も喜びも,知りつくし味わいつくしたであろう。彼が病院精神医学の実践を終生の目的とし,その場を桜ケ丘保養院に求めて終生変わることのなかったことは,日頃の彼の言動から疑う余地がないし,彼は他の病院に一度も草鞋をぬいだことがない。といって病院の中に跼蹐していたわけでもない。病院外の精神医療の広い分野で多方面の活動をしたことは略歴の示すとおりである。
 野口君と私は教室(慶大・神経科)ではすれちがいであり,共に大学の研究室には縁が薄い。彼とのつきあいも教室の同窓としてよりも,日本精神病院協会,東京精神病院協会,その他行政関係の委員会等を通じてである。第2次大戦後2つの協会を組織したのは故植松七九郎先生と金子準二先生であるが,その手足となって下働きをしたのは野口君である。私も長い間一緒に常務理事をしていたが,物臭な私にくらべて彼はこまめに煩わしい仕事を処理していた。そして私は途中で方向転換をしてしまったが,彼は昨年桜ケ丘保養院長を辞めるまで執行部に止まり事業の中枢に参画していた。自分の管理する病院の充実と,協会の仕事を通じての私立精神病院の質的向上,これが彼の生涯を貫いた目標であり,使命感を支えていたと思われる。根気と忍耐のいる仕事ではあるが,そのポストに長く止まり,止まり得,そして彼自身は十分に満足はしていなかったかもしれないが,中途挫折することのなかったのは,彼の温厚な人柄と粘り強さによるものであろう。

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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