座談会
Einheitspsychoseをめぐって—その2
著者:
千谷七郎
,
木村敏
,
飯田真
,
高橋良
,
新福尚武
ページ範囲:P.928 - P.953
SchizophrenieとManie
新福(司会) これからはSchizophrenieとDepressionの問題に移りたいと思います。さて千谷先生のところでは,昭和42年以来,Schizophrenieはなくなったということです。それには診断上の変化をはじめ,いろいろの因子が関係していると考えられますが,まず第1に診断の基準に相違があるかどうかをはっきりさせる必要があると思います。
千谷 これは実はそういうこと,つまり精神分裂病の解消,抹殺をねらって勉強したわけでもないし,むろん学界に謀叛を起こそうなどという気は毛頭ないんでして,これは自分で自分のことを言うんですからあてにならないんですけれども,私自身はできるだけオーソドックスな精神医学に忠実になろうとしてつとめてきたつもりでおります(笑)。ただその過程で,前月号でDepressionの問題につきまして触れましたような日本の事情もありまして,も少しいわゆるオーソドックスに忠実にと思っていたところに多少の議論もあったんですけれども,こと分裂病に及びましては分裂病がないというような考え方は夢想だにしていなかったんです。分裂病がないと言いますと非常に誤解を招きますが,分裂病といわれているものの症状,そんなものはないというんじゃなくて,分裂病という疾病単位は存在しないだろうという考え方になってきたわけなんです。じゃそんなら今までの分裂病はどうするのか,おまえのとこはどうしているのかということなのでしょうが,私どものところではだいたい躁うつ病圏に入ってくることになった,ということです。これは木村先生も最近,そういうものはだいたい躁うつ病圏に吸収される1つの傾向にあることをお書きになっておりますが(『臨床精神医学』2巻1号,p.19〜28),まあそういわれればその傾向の中の1つかもしれませんけれども。それからまた逆に,これは躁うつ病に見えるけれども実は分裂病だ,こういうのもお書きになっていられるのをお見受けしましたけれども,われわれのほうから見ますと分裂病というものと性格というものをなんか1つにしてお考えになってて,それは性格診断であって病気の診断じゃないんだと思いました。