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雑誌目次

論文

精神医学16巻11号

1974年11月発行

雑誌目次

巻頭言

地方と土俗性

著者: 佐藤時治郎

ページ範囲:P.934 - P.935

 最近は一寸した津軽ブームである。いわゆる“津軽もの”がもてはやされている。高橋竹山や木田林松栄の津軽三味線がとくに若い人に共感されているようであるが,竹山のレコードを聞くと,きわめて土俗的な,元来はホイド(乞食)の芸であったものが「本物である」ことを証しとして受け入れられているようである。しかし,本当に判っていてくれるのであろうか。
 津軽三味線の不世山の名人であった“嘉瀬の桃”(黒川桃太郎)を主人公とする小説「津軽世去れ節」を書いた長部日出雄は弘前出身の作家であるが,「津軽空想旅行」の中でこうした芸談や津軽人気質について生き生きとした語り口で“土着と放浪”という観点から意見を述べている。ところで,その中の1章に「貉憑き殺人事件」というのがある。話はこうである。「昨年(昭和44年)12月7日から8日にかけての深夜,陸奥湾に面した青森県東津軽郡蟹田町で“カミサマ”(津軽地方ではゴミソと呼ばれている)のお告げから,息子にムジナがとりついたと信じた母親が,高校3年生の息子を殺すという事件が起きた。科学の力で人間が月まで到達するようになった今日,どうしてこのように奇怪な事件が起こったのだろうか」という書き出しで始まる比較的短い文章である。事件の推移とからませ,イタコとゴミソについても述べてあるが,事件の本質を文学者特有の鋭い嗅覚でものの見事に捉えているように思われる。そのような批評めいた意見が出せるのも,実はこの事件の精神鑑定を筆者が担当したからにほかならない。

シンポジウム 現代における精神医学研究の課題—東京都精神医学総合研究所開設記念シンポジウムから

組織病理学の立場から

著者: 猪瀬正

ページ範囲:P.936 - P.940

 本日のシンポジウムは,わが国で最初に設けられた都立総合精神医学研究所の開所記念ということで,そのシンポジストの1人に選ばれたことは,大変光栄に思うしだいである。想えばわれわれは,精神医学研究所の設立を望みながら,実に長い年月を空しく過ごしてきたことは,非常に残念なことであった。
 ドイツのMunchenの精神医学研究所はKraepelinがその基礎をつくってから,すでに50年をはるかに越えた。その伝統ある活躍によって,世界の精神医学界に多くの輝かしい貢献をしてきたことは周知のことである。わが都立精神医学研究所も,今後,ドイツのそれに劣らざる発展を遂げられることを,心から祈るものである。大学の精神医学教室や総合病院の精神科の現状をみるならば,組織上や経済上の事情から,いろいろな分野のエキスパートを揃えての総合研究は,ほとんど期待することができない。そのような情況を考慮に入れるならば,当研究所開設の意義は,きわめて大きく,その使命の重かつ大なることを痛感する次第である。精神医学の研究分野が多岐にわたって分化しつつあることはまことに驚異的であって,いわゆる門外漢には理解しかねることが余りにも多く,それらの知識の統合ははなはだむずかしい。このような,精神医学の臨床と基礎の研究成果は,しかるべき時期にintegrateして発表せらるべきであって,研究所にはまた,そのような任務が課せられていると思う。

ライフ・サイエンスをめぐって

著者: 塚田裕三

ページ範囲:P.940 - P.943

 きょうは,都立精神医学研究所の開所記念ということでご招待をうけ何かお話しをせよということですが,わたくしは,大脳生理学,あるいは神経化学といった領域の専攻であり精神医学の実践的な面では知識もありませんし,経験も持たないのであります。ただ精神医学というものも,"脳"にかかわりあいのある学問で,わたくしも大脳生理学,あるいは大脳生化学の領域で脳にかかわりあいをもつ研究をしているものとして,自分なりの立場で基礎的な問題を中心にして一言申し上げてみようと思います。今臨床にたずさわっておられる先生方から非常に深刻なお話がございましたけれども,わたくしどもと致しましてもそれが医学研究であるからにはそれなりの問題をかかえております。
 最近よく"ライフ・サイエンス"という言葉が聞かれるようになってきましたが,いったいライフ・サイエンスというのはなにか,ということになりますと人によって定義は必ずしも一致しているわけではありません。たとえばいまさらライフ・サイエンス(生命科学)という言葉をもちださなくても,いままででも生物学とか医学とか,あるいは生物科学などの言葉があって,いったいそれとどこが違うのかというような議論もあります。

臨床心理学の立場から

著者: 河合隼雄

ページ範囲:P.943 - P.947

I.はじめに
 精神医学の領域は非常に多方面からの研究を必要とするものである。
 古くからもある,精神と物質という二元的対立の問題も,この領域における研究を通じて,その秘密を露呈してくるのではないかとさえ考えられる。いろいろな精神障害の現象を研究することによって,ある人は人間の精神現象の物質的基礎を明らかにしたと思うかもしれず,また逆にある人は,人間の身体的な現象を心理的な基礎から説明し得ることを明らかにしたと思うかもしれない。おそらく,物質と精神の問題はこのような単純な因果連関を超えたものとして把握されることになろうと筆者は考えているが,ともかく,精神と身体の問題を共にはらむ領域として,始めに述べたごとく多面的な接近を必要とすることは事実である。物理学,化学,生物学,心理学,人類学などの研究結果が,思いがけない関連を見出す領域として,われわれは今後ますますinterdisciplinaryな研究を続けていく必要があろう。

精神医学における現象学的方法

著者: 荻野恒一

ページ範囲:P.947 - P.953

Ⅰ.現象学的精神医学の立場
 現象学という術語は,哲学の領域では最初Lambert, J. H. によって称えられ,ついでKant, E. によって,形而上学の予備学としての現象学が皆えられた。しかしながらここで現象学という場合,Brentano, F. によって記述的現象学と称えられ,Husserl, E. によって確立されたPhänomenologieをいう。しかもわたしたちにとって,現象学はHusserlの晩年の著作の中に初めて明確に現れ,むしろ今日になってフッサリアーナーの刊行とともに全貌を現しつつあるHusserl後期の現象学,さらにはHeidegger, M. やSartre, J. P. やMerleau-Ponty, M. へと受け継がれてきた現象学であり,一言にして「ヨーロッパ諸学の危機」の自覚の上に立って,Descartes以来の諸科学の根拠を改めて疑い,その科学的方法と取り扱われている事象との間の不適合を露わにし,さらに進んでは,取り扱われている現象にふさわしい新しい方法論に基づく新しい経験科学の樹立を志そうとする運動を意味するのである1)
 それにしてもなにゆえこの現象学が,今日の精神医学の中で問題になるのであろうか。また現象学は今日まで,精神医学にいかなる貢献をしてきたのであろうか。そしてその結果,精神医学の内部でどのような学派ないし潮流を形成してきたのか。以下,まずこの点について簡単に述べたい。

シンポジウムを顧みて

著者: 石井毅

ページ範囲:P.953 - P.955

Ⅰ.精神医学研究をめぐる今日的情況
 精神医学研究をめぐる今日の情況はまことにきびしい。精神医学が今日直面しているものは何か?それは過去の体制に対するきびしい批判と反省であろう。明治の西欧文明輸入から百年を迎えて,今日までの精神医療を支えてきた大学中心の講座制精神医療体制は,大学紛争を契機として重大な危機に直面している。そのきざしはすでに昭和30年代からあった。向精神薬の導入により,精神病院における精神障害者の処遇と治療に大きな変化がもたらされ,その姿は一変したといわれた。開放主義,作業,レク,社会復帰活動を中心とするいわゆる病院精神医学,さらに地域,あるい社会精神医学が叫ばれるようになったのもこのころからであった。これらは精神医療にとり明るい材料のように思われたのである。人々は,精神医療がいまや市民権を獲得したかのごとく喜び,昭和39年の精神衛生法改正反対運動のさいには高らかに叫びをあげたのであった。
 このように希望にみちた楽観論も,その根本的体制に変革がないかぎり,やがて致命的な挫折を体験しなければならなかったのである。大学紛争が医学部の紛争に始まったことは象徴的である。日本の医療の体制が大学の講座制を幹として成り立っていたことは疑いない。講座制は医療よりも大学の教育と研究を中心として組み立てられており,その頂点に坐るものが教授である。医師は第一線の医療よりも大学に繋がり,研究業績を上げ,ついにその権力の頂点に上ることを目標としてはげむのである。このような患者不在の体制が批判を受けたことはまことに当然といわねばならない。

研究と報告

強迫神経症についての一考察—「自己完結型」と「巻き込み型」について

著者: 成田善弘 ,   中村勇二郎 ,   水野信義 ,   石川昭雄 ,   河田晃 ,   河田美智子

ページ範囲:P.957 - P.964

I.はじめに
 強迫体験は精神病理学的にきわめて興味ある病態の1つであり,研究の歴史も古い。その概念規定も研究者により繰り返し試みられ,またその理解も,Janet的立場13),精神分折的立場6,7),森田学派11),現象学的人間学の立場8,16),など,さまざまな方向から行われている。また近年obsessive personality15)が注目されつつある。ただ,われわれの見るかぎり対人関係理論からの論述20)は比較的少ないように思われるので,この立場から若干の考察を試みたいと思う。強迫体験の定義は諸家により多少の違いがあるが,ここではすでに早く記述的現象学の立場にたって行われた富岡17)の定義に従うことにする。彼によれば,「強迫現象とは自我によって遂行せらるるものと承認せらるるが,しかも自我の現下の傾向に一致せず,従って自我は抗争的拒否的態度をもってこれを抑制せんと努むるが,尚抑制し得ざる作用Akt」であり,「情緒的体験に関するものであろうと,思考表象作用に関するものであろうと,作用の性質により区別する必要はなく」すべて強迫現象と呼ぶ。われわれは一応この見解に基づき,このような強迫現象を持った神経症者に対して,彼らの具体的対人関係にとくに注目しつつ考察を試みた。そしてこの観点から見るとき,大きく分けて2つの類型をたてることが可能なのではないかと考えた。

老人の痴呆診査スケールの一検討

著者: 長谷川和夫 ,   井上勝也 ,   守屋国光

ページ範囲:P.965 - P.969

Ⅰ.まえがき
 老人の知的機能を論ずるさいに,必ず問題となるのが,生理的老化に並行したいわば"正常な"精神老化と,なんらかの病的促進因子によると考えられる"病的"痴呆との区別の問題である6,8,10,11)。もし両者の異同を区別しないと,「老年期には,知的機能は急速に衰退する」といった性急な結論に導かれることになる。
 しかし,実際には老人にも「若い者に負けない」ほどの知的能力を示す者も数多く,また知的老化の気配さえみせぬ老人にもよく出遇うものである。さらに,最近の新福らの研究結果によれば9),必ずしも加齢とともに知的衰退がみられるわけではなく,少なくとも65歳から80歳までの老人には,なんらの有意差も認められず,知的機能は,むしろ「平板化(plateau)する」という。

思春期の感応現象について—3症例を中心に

著者: 西田博文

ページ範囲:P.971 - P.977

I.はじめに
 2人での精神病(folie à deux)と呼ばれる臨床形態や,感応(Induktion)という概念が発表されて以来,感応性精神病,集団ヒステリーなどという名称のもとに,いわゆる感応現象が折にふれ論議されている。
 ここでは,感応によって生じた思春期の病態3例を提示することにより,思春期心性と感応現象とのかかわりあいについて論じたい。思春期の特質を基礎にして生じた感応を知ることが,感応現象一般の研究に寄与するところが少なくないであろうし,逆に,感応という現象によって思春期を透視することが,思春期の心性に関するわたくしたちの知識を,より豊かにしてくれるであろう。

分裂病様症状を呈したPheochromocytomaの1例

著者: 中村清史

ページ範囲:P.979 - P.983

 分裂病様状態を示したpheochromocytomaの1例を報告した。本例は幻覚・妄想,情意障害などの分裂病様精神症状を認め分裂病として加療されたが,間歇性に高血圧,著明な振戦および発汗,その他の身体症状を認め,同時に不安・焦燥状態,緘黙・寡動,昏迷状態を示し精査の結果pheochromocytomaが確認された。詳細に検討した結果,入院経過中pheochromocytomaに相応する愁訴,身体症状を頻繁に認め,しかもそれと平行して精神病像も動くこと,病像自体にも精神分裂病とは異なった特徴がみられたこと,さらに症候性精神病の特徴がみられていることなどから本例はpheochromocytomaによる分裂病様状態であることが確認された。pheochromocytomaは稀有な疾患であり,それに由来する分裂病様状態は現在まで報告がみられていないことを追加した。

CO中毒の既往の確証はなく,しかも同症に酷似した臨床経過,病理組織所見を呈した2症例

著者: 小林宏 ,   小阪憲司 ,   星野干城 ,   柴山漠人 ,   岩瀬正次

ページ範囲:P.985 - P.992

I.はじめに
 一酸化炭素(以下COと記す)中毒の報告は今日までに内外多数あり,とくにわが国では従来煉炭,炭火などのほかに何回もの炭坑爆発などの災害により多数の犠牲者を出し,そのたびに厖大な資料の報告がなされている。
 最近われわれは病理解剖学的にはCO中毒の典型例と考えられる所見を示し,かつ臨床的にも完全および不完全間歇型としてのCO中毒例ときわめて類似した経過を示しながら,詳細な既往歴聴取にもかかわらず,CO中毒の可能性を否定せざるを得ない2症例を経験したので報告する。

短報

Trihexyphenidyl(THP)による治療経過中,せん妄状態を呈したParkinsonismの1例—その多次元的要因

著者: 山田幸彦

ページ範囲:P.993 - P.995

I.はじめに
 Parkinsonismの治療は脳定位手術や各種の抗パ剤,L-DOPAによる薬物療法が中心となっている。しかし,これらの薬剤による種々の副作用がしばしば問題とされている。trihexyphenidyl(以下THPと略)についても身体的副作用および精神症状が報告されている。とくに精神症状の発現には,老年期に近づくにつれ現れる心理的変化や徐々に進行する脳器質性の変化をあわせ考慮せねばならない。このように,精神的・身体的活動性の制限,抗パ剤による影響,年齢的条件などParkinsonismの持つ一連の問題を考えると,その病態に対しては多次元的アプローチが必要である。

古典紹介

—Ludwig Klages—Traumbewußtsein —II. Das Wachbewußtsein im Traume—その1

著者: 千谷七郎

ページ範囲:P.997 - P.1012

A.知覚能作と感覚細目
 「自我」の現れ方は一義的に決められないから,私どもとしては,どんな種類のものにせよ,意識の出現があれば,それは体験されたものの根差す領域が関与している(präsent)証拠であることをあらかじめ確実に知っていなければならない。ところで,自分を自我と感じるのは人類的のものであって個人的のものでないこと,どんな交りもこの共通な自我性の上に築かれたものであって,そこにこの交りの舞台を,たとえば動物との交りとは特色的に異なるものとする決定因子があることをとくに考えて見るなら,吾々は自我の中に精神的諸能作の超個人的担い手を見るだろうし,他人に,もし自我の性質の通じるときには,諸能作を惹起するように働く意識内の自我活動は何かという問いを連れ出すであろう。私どもは夢現象の第一章で,夢現象は因果の法則外にあるので,そこには対象性がないことを述べた。今度は夢見る状態では精神的能作の所産がないことを証明することで同じ目標に向かっている。しかし万一,そう言うことは,夢におけるほかならぬ覚醒状態を追跡しようと思っている本章の課題に矛盾するように見えるとしたら,以下のことを想起していただきたいと思う。すなわち,この課題を果たすためには何をおいても,夢見が専ら覚醒に従属するとする伝統的所信が建てた一切の方程式を批判的に吟味する必要があること,そして私どもは,前以て両者の相違を両者に共通する地盤にまで追跡してみて初めて,両者に一致するものを安んじて取り出しうるだろう,ということをである。したがって,この研究のためには,能作の本質に対して,今日までの示唆で与えられた以上の精密な洞察が必要となる。

海外文献

Steps in the Return to School of Children with School Phobia

著者: 川合陽子

ページ範囲:P.1013 - P.1013

 学校恐怖に関する精神力動や治療に対するさまざまな方法・見解が多くの文献で提案されてきた(Esther Marine, Kahn & Nursten etc.)。種々の意見にもかかわらず,ほとんどの文献が子供を早期に復学させることが重要である点については共通していると,この著者らは強調している。そして,家族が子供を学校に行かせつづけるのに成功するための段階として8段階を提唱し4例の症例報告を検討しながら述べている。
 8段階とは,Step I:Physical Examination(器質的疾患の否定),Step II:Psychiatric Evaluation(精神病の除去と力動的解釈),Step III:Finding a Therapeutic Ally(家族に密接な援助を与え得る治療的協力者をみつける),Step IV:Interpretive Interview(家族に問題点を討論し母親を力づける),Step V:planning(治療者・家族・学校の協力で計画作成),Step VI:Support(復学初期の困難を支持的に解決する),Step VII:Follow up(復学継続を定期的にみる),Step VIII:Psychotherapy.

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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