icon fsr

雑誌目次

論文

精神医学16巻3号

1974年03月発行

雑誌目次

巻頭言

「みる」ということ

著者: 岡本重一

ページ範囲:P.230 - P.231

 ひところPraecoxgefühlということが問題にされていた。いわゆる精神分裂病の概念があまりにも広範囲にわたり,なんらかの精神症状があって外因が見当らなければすべて精神分裂病としてしまい,下手をすると,外因によるものまで精神分裂病の刻印をおして治療を誤まるようなすうせいに対し,Kraepelinの早発性痴呆症あるいは精神分裂病の中核群を識別しようという意図から取り上げられたようである。Kraepelinによる早発性痴呆症の概念にしても,極端にいえば,良性腫瘍に対する悪性腫瘍というような考え方であるが,単にある種の症状が認められて原因不明であるというだけで精神分裂病として済ませるよりは,まだましである。
 ところで,このPraecoxgefühlというのは,美術骨董屋が真物と偽物を鑑定する時に問題にしている「あじ」というか印象にも似ており,それ以上「ことば」として捉えることも,いわゆる科学的な裏付けもできずじまいに終わったようであるが,ただ一方では,これを感じとる,つまり医師の「みる」能力も問題になった。ある期間適当な指導者の下で習熟しないとその能力が身につかないとか,センスのない人は何年かかっても困難であるとか。ことに,昨今の薬物療法による安易な症状改善が,Praecoxgefühlに限らず精神科医の「みる」目を害しているようである。

展望

Rehabilitationの可能性—精神病院の中から

著者: 広田伊蘇夫

ページ範囲:P.232 - P.245

I.はじめに
 1968年,W. H. O. 顧問として3ヵ月にわたり来日したD. H. Clarkは,「日本における地域精神衛生」なる報告書を残している8)。その中につぎのようなくだりの精神病院批判がある。〈日本では非常に多くの精神分裂病者が精神病院に入院し,たまり,長期入院による無欲状態に陥っている。……しかも,これら患者の大多数は25歳から35歳の若い人々だった。普通に寿命を全うすることになると,これらの患者はあと30年も病院に在院する可能性がある。……多くの医師は器質的な問題にのみ目を向け,身体的治療を行ったり,カルテを作成するといった伝統的な医師の役割だけにもっぱら自分たちの責任を限定しているようにみえた。……看護婦たちにしてもまた,自分たちの責任がrehabilitationへ向かう活発な指導や,その促進にあるとみなすよりは,身体的看護を施すことにあるとしているように思えた。……多くの病棟は必要以上に閉鎖され,患者たちはここで長い生涯を送り,希望もなく,病院ボケに陥っている。……入院患者の着実な増加を防ぐために,積極的な治療とrehabilitationを奨励するよう推進すべきである〉と。
 このレポートの全文は,広くゆきわたっていない。それだけにさしたる論議を生むに至らなかったようである。批判を全面的に正しいものと認める寺嶋は,〈精神病院への入院一辺倒の医療体制は終わらせねばならない。……われわれは伝統的病院中心主義を脱し,rehabilitationの理念を病院の内外で具体化していかねばならないまさに歴史的正当性を手中に握っているのである〉と記している44)。がしかし,5年後の現在においても寺嶋のいう歴史的正当性は,なお具体的プログラムとして大きくうねり始めてはいない。厚生統計はなお入院中心主義を示唆し,多くの精神科医の目は,SchofieldのいうYAVIS症候(Young,AttractlveVerbal,Intelligent,Successful)40)を持つ患者に注がれている。薬物でも動かすことのできなかった慢性分裂病者は,精神病院の内外からあきらめられ追放され,精神病院のボタ山と化そうとしている。このような現状からrehabilitationの可能性を志向するとすれば今一度,精神医療の流れを辿り,われわれがどこまで辿りつき,何が欠けているのかを読み取る必要があろう。そこから新しい戦略をたてることも無駄ではあるまい。

研究と報告

無言・無動状態の症状形成と意識障害

著者: 山内俊雄 ,   岡田文彦 ,   小林義康

ページ範囲:P.247 - P.255

I.はじめに
 無言・無動で刺激に対し正常な反応を示さないといった特異な臨床症状を呈する状態は,古くから多くの人々の注意を引き,さまざまな呼びかたのもとに記載されており4,10,11,14,16,17,19),それらをとりまとめて総説的検討を試みた論文もいくつかある15,23,25,27)。しかし,同じ呼び名のもとに記載された臨床像でも,症例によりその症状に多少の相違のみられることが多く,そのために他の呼称で記載されたものとの間の類同性や差異を論じ,各症候群の特徴を見出だそうとする試みは,今のところあまり成功しているようには思われない。
 一方,このような臨床像を呈するさいの病巣の主座も,大脳両半球,間脳,脳幹部,前帯状回,脳梁などに大別されるが7,23,26),各障害部位により,それぞれ特徴的な臨床症状を呈するとは限らず,臨床像から障害部位を推定するまでには至っていないようである。

皮質盲よりの回復過程で種々の視覚失認を呈した1例

著者: 野上芳美 ,   轟俊一 ,   佐藤公典

ページ範囲:P.257 - P.263

 67歳右利き男子で脳血管性障害により皮質盲を生じ,その回復後にいわゆる物体失認,相貌失認,純粋失読,色彩失認などを呈した症例を記載した。この症例の皮質盲からの回復の経過を観察すると,PötzlやGloningらの指摘するごとく,失明に次いでobscurationの時期があり,さらに脳性弱視の時期を経過することが確かめられた。また,Anton症状群,いわゆる物体失認をめぐる問題その他について若干の考察を加えた。

日本における機能性精神障害の診断ステレオタイプ考究—計量精神病理学の立場より

著者: 林峻一郎

ページ範囲:P.265 - P.277

I.はじめに
 近年,精神障害の疾病分類の新しい整理検討が国際的な視野のもとで,活発に行われている。WHOの国際疾病分類の数次にわたる改訂は周知のことだが,かつてStengel, E. が述べたように19)「この分野での精神医学界の状況はchaoticである」という評言が現在でも続いていることは否めない。当然ながら,精神医学上の諸概念や諸用語は,それを生んだ文化的思想的文脈と結びつき,統合的な整理は困難であろう。だが一方では,かつてMeyer, J. E. が集成したように9),各国の分類表を列挙してみると,多かれ少なかれ同一の用語を用い,大体の一致をみている。この事実は,伝統コンテクストのいかんを問わず,現実の臨床場面ではほぼ一定した骨組みのなかで精神現象を把えていることを意味し,異常現象すなわち精神障害の疾病としての位置づけも同じように理解される。
 しかし,このchaoticな状況にもかかわらず,現実的には一致した体系を持つという2つの分類上の現象は,実はまったく矛盾している。つまり,ここでは分類という行為自体のなかに,論理学上の矛盾した混合法を採用していることを意味し(V節参照),また,それぞれが独創的な概念であったはずの諸用語が,現実の要請のもとで,微妙な変容を受けているはずである。

大学病院精神神経科通院患者に対する疫学的試み(その1)—外来統計を中心として

著者: 山田幸彦 ,   中村信 ,   富田邦義 ,   佐藤泰三 ,   井上令一

ページ範囲:P.279 - P.288

I.はじめに
 疾病の重い桎桔に喘ぎつつ,日々,クリニックを訪れる人々は多い。
 これらの多くの人々は,たとえば精神分裂病,躁うつ病などと診断され,分類されるが,疾病と密接に関係した素因,性格,家族的—社会的背景,また,症状,経過などその内包する事情は各人各様である。このような個別的内実について医師は,医者—患者関係を基盤とする精神科医療を通じて深く関与し,治療に役立てることができる。しかし,ひるがえって,これらを全体として把握しようとする時,その対象の多さ,取り上げるべき要素,それらの相互関連の多様さなどのため,漠然とその傾向性を感じとるにすぎないのが一般の実情である。いうまでもなく受診者層は,社会的,経済的,地理的など多元的要素に左右されるところが大きく,同時に流動的であり,またこれらを対象とする調査そのものも多大の労力と時間を要するなど困難は多い。しかし,われわれの診療が,こうした多元的要素を前提とした患者群に対し行われるものであれば,この視点から,その実態を把握していることは診療の実際において重要な意義を持っている。

対人恐怖症における愛と倫理(その3)—「罪」から「善悪の彼岸」へ

著者: 内沼幸雄

ページ範囲:P.289 - P.301

I.はじめに
 これまでの報告において,「恥」から「罪」へと対人恐怖症の病態変化を追跡してきた。ここまでくれば,つぎの段階として「善悪の彼岸」がなくてはならない。この最終的段階にまで到達した症例として,文学者の三島由紀夫が挙げられる。
 私は三島の作品の中に対人恐怖症からパラノイアへと彼の病跡を辿ってみたのであるが,その後平岡梓の『伜・三島由紀夫』3)を読んだけれども,基本的見解の変更を迫られることは何もなかった。父親自身が認めていることでもあるが,父親必ずしも息子を十分に理解しているとはいえないという読後感は否みがたく,「例の大声笑いをするまでは能面のように無表情な男だった」といった貴重な証言がいくつかなされていて大変面白く感じたけれど,これらはすべて三島の作品の中に描き出されている事柄であった。ある意味において身近であればあるほどに相手の気持を理解しがたくなるのではないかということは,患者の家族と接して痛感させられることであり,またそうだからこそ家族とはありがたい存在ともいえるのであるが,その意味では,最も身近なおのれ自身を認識する自己認識こそ,最も困難にしてかつ危険な課題だといわねばなるまい。

古典紹介

Wilhelm Griesinger:Über psychische Reflexactionen: Mit einem Blick auf das Wesen der psychischen Krankheiten〔Archiv für physiologische Heilkunde, Bd. II;76, 1843〕(その2)

著者: 柴田収一

ページ範囲:P.303 - P.314

 これまでは,感覚にまだなっていないか,あるいは朧ろ気にしかなっていない求心印象と筋緊張との関係,それから感覚そのものと運動との関係,最後に朧ろ気で全然またはほとんど意識されない表象と意向との関係を考察してきたが,これからいよいよ意識された表象の領域に踏み込むことになる。われわれは意識について以下の見解に全面的に賛成する。すなわち,意識とは諸表象に付け加わった何ものかであると考えるべきではなくて,意識は個々の表象の激しさ,強さ,明るさにこそ依存するものであり,静止状態の集団の中から意識された表象が際立つ関係になるという見解である。意識されない表象,半ば意識された(朧ろ気な)表象,意識された表象という区別は,この見解によれば本来単に量的な区別でしかないであろう。しかし先にも述べたとおり,ある点でこの量の相違が質の相異に転ずるのである。
 先に筋緊張を考察した時に,求心性(感覚)印象の第一の独特性として,分散過程を挙げておいた。同様の過程は意識された表象の領域でも繰り返される。身体の全部位からの感知感覚と,意識されない求心性印象とが互いに離ればなれではいないのと同様に,表象も互いに離ればなれではいない。動揺しやすい,流動的とでもいえる表象のこの特性は,とりわけJ. Müllerがいかにも見事に解説したところであった。われわれはこの特性を,先に述べた諸現象との類似点に即してみていくとしよう。

紹介

イスラエルの精神医療

著者: 小池清廉

ページ範囲:P.315 - P.323

I.はじめに
 私は1971年の6月中旬から8月中旬まで,イスラエルのキブツ(Kibbutz)で生活し,その間,キブツに関連ある児童相談,集団教育に従事する教師や保母の教育機関,さらには国内各地の若干の精神病院や児童相談機関などを訪問し,何人かの精神科医,臨床心理専門家,ソーシャルワーカーらと接触する機会を持った。イスラエル訪問の主要目的はキブツにあったが,イスラエルには精神医学上興味深い問題が多く,またこれまで,わが国ではイスラエルを訪問した精神科医による紹介がないと思われたので,滞在期間も短く,言葉も不十分で情報は限られているが,見聞し感じたことを,当地で入手もしくは紹介された文献で補足しながら,簡単ではあるがイスラエルの精神医療について紹介してみたい。
 ところで,ある国の精神衛生事情なり,精神医療の問題を,その国の歴史,文化,政治情勢と無関係に論ずることはもとより不可能なことであるが,とくにイスラエル共和国は地理的にも文化的にもわが国から遠く,彼の地の情報が最近豊富になったとはいえ,つねに情報は政治的であるから,現代におけるユダヤ人問題やパレスチナにおけるアラブ・イスラエル問題を詳細かつ冷静に把えることは容易でない。

海外文献

Ein Überblick über Methoden und heutigen Stand der psychiatrischen Genetik

著者: 武正建一

ページ範囲:P.263 - P.263

 精神医学的遺伝学は,遺伝学全般におけるように3つの平面で研究することができよう。それは,分子,染色体,および表現型のレベルである。第1のものは各種酵素欠損による代謝障害としてとらえられるもので,このような生化学的に説明される遺伝病が次第に明らかにされるとともに数が増え,Fuhrmann(1965)は99の遺伝病をあげている。第2の染色体の異常は言うまでもなく染色体の過剰や,その変体によるもので,形成異常を伴う知能障害として知られている。第3は,まだ以上のような障害を明らかにし得ないためにただ症状としての現象面に目が向けられているもので,いわゆる内因性精神病や真性の精神薄弱および神経症,性格異常などをあげることができるであろう。このような観点に立つ場合問題になるのはもちろん精神病理学的諸症状であるが,周知のように素因か環境かの二者択一的な考え方は古く,これらの相互作用が今日人間の遺伝研究の前面に押し出されていることである。また精神医学的遺伝学において難しいのは症状そのものが固定したものでなく動揺性を持っていることでもある。
 ところで,分裂病における双生児研究で一卵性双生児に高い一致率のみられるのは遺伝論の支えになっているものであるが,この一致率に関しても,①調査方法の相違,②診断基準の相違,③実際上の相違などによって異なった数値があげられる。①について古い報告の一致率が概して高いのは対象になったのが精神病院入院例であったことにもよるものであり,②に関しては,アメリカとヨーロッパのみならず各国各学派間の相違があげられる。しかしまた,双生児にみられる精神病がまったく生き写しの如く同じであるというのはむしろ夢物語りに近いことで,分裂病の素因があっても明らかに異なった表現をとり得ることを考えるべきである。といってもすべての神経症が仮面を被った分裂病というわけではないが。③については異種遺伝子性が問題になるが,これも臨床的下位群を想定するのではなく,すべての分裂病を含んでのものであろう。分裂病,躁うつ病などがそれぞれ単一の疾患から成るのではないことはかなり確かなようで,異種遺伝子性同様多遺伝子性も考えられるがこれらによってすべてを説明することはできず,一卵性双生児での不一致所見からしても少なくとも遺伝子以外の何かが1つの役割を演じているのであろう。

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

雑誌購入ページに移動

バックナンバー

icon up
あなたは医療従事者ですか?