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ドイツ精神医学管見記—ハイデルベルク大学精神科主任教授の交替について
著者: 上田宣子1
所属機関: 1兵庫医科大学精神神経科
ページ範囲:P.87 - P.89
文献購入ページに移動I.はじめに
私が1970年10月〜1972年11月にわたる約2年間DAAD(Deutscher Akademischer Austauschdienst)によりハイデルベルク大学のTellenbach教授のもとで学ぶ機会を得,滞独していた間に経験した幾多の出来事の中で,最も印象的だったのは何といってもPsychiatrische Klinikのv. Baeyer主任教授の停年退職,それに引き続く新主任教授選考をめぐって開かれた公開演説会,さらにその後難行を極めた選考過程であった。数十年に一度生ずる可能性しかない,かくの如き時代推移を目のあたりにすることができる場面に遭遇し,私は異常に興奮を覚え,セミナーなどにおいては言葉の不自由さゆえに隅で小さくうつむいていた姿を豹変,講演の催される講堂の最前列の席を陣取るために早くから出掛ける仕末だった。日本人では私以外にBlankenburg講師のもとで学んでいた金沢の富岡秀文氏がこの講演会を傍聴されたが,途中で帰国の途につかれたので,講演会およびv. Baeyer教授の最終講義にも出席した時の私の印象を振り返って記してみたい。
私が1970年10月〜1972年11月にわたる約2年間DAAD(Deutscher Akademischer Austauschdienst)によりハイデルベルク大学のTellenbach教授のもとで学ぶ機会を得,滞独していた間に経験した幾多の出来事の中で,最も印象的だったのは何といってもPsychiatrische Klinikのv. Baeyer主任教授の停年退職,それに引き続く新主任教授選考をめぐって開かれた公開演説会,さらにその後難行を極めた選考過程であった。数十年に一度生ずる可能性しかない,かくの如き時代推移を目のあたりにすることができる場面に遭遇し,私は異常に興奮を覚え,セミナーなどにおいては言葉の不自由さゆえに隅で小さくうつむいていた姿を豹変,講演の催される講堂の最前列の席を陣取るために早くから出掛ける仕末だった。日本人では私以外にBlankenburg講師のもとで学んでいた金沢の富岡秀文氏がこの講演会を傍聴されたが,途中で帰国の途につかれたので,講演会およびv. Baeyer教授の最終講義にも出席した時の私の印象を振り返って記してみたい。
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