文献詳細
古典紹介
—Victor von Weizsäcker—Über medizinische Anthropologie
著者: 浜中淑彦1
所属機関: 1京都大学医学部精神神経科
ページ範囲:P.1209 - P.1220
文献概要
医学は病的なものの広大な領域に向けられたその鋒尖を一段深く突き進め始めたのですが,その向かう所は要するに,人間が共同体に属する存在として,つまり家族,社会,国家の生物学的一員として罹る疾病に他ならぬのであります。孤立,他の人間との葛藤,価値の喪失,そしていわゆる不治の病--これこそ新しい精神力をふるい起こして解決すべき新しい大問題なのであります。他でもなく神経症に,こういった医学発展途上の闘いが湧き上がってくる一つの源があるということは決して偶然ではありませんが,しかしそれは一徴候にすぎません。といいますのは,神経症とは患者が自分の置かれている水準より低い生的水準において解決しなければならぬ個人的実存葛藤であるからです。かくして価値概念が医学に入ってくることになります。とはいっても孤立,葛藤,価値喪失,不治といったこれらの受苦は遍在するものでありまして,心的には健康といわれる,いわゆる器質疾患の患者にも存在しない訳ではありません。どのような器質疾患例も,必ず神経症と同じ課題を提起してきます。このようにして今日我々は,一旦患者の苦痛,不安,様々な弱さ,体感,苦悶といったものがすべて実存の危機の表現形態であることを理解してしまった以上,そういった患者の受苦Leidenを器質的に説明することだけではもはや満足できない状態におかれています。しかし同じ症状は自分の身体の危機と同時に人と人の間にある人間としての実存の危機をも指し示しています。胃潰瘍,脳腫瘍,心疾患などと,心気症,ヒステリー,葛藤によるといった様様な神経症との間には,症状の表現では大幅に共通する点があります。このように症状が奇妙にも部分的に合致するということは,少なからぬ意味を内包する問題であります。それは,疾病概論allgemeine Krankheitslehreと呼んでよさそうなもの,つまり病んでいることKrankseinのすべてに同時に妥当するようなことが存在するのかもしれない,否,必ずや存在するのではないかということを示唆しています。ここで白日のもとにもたらされたかに見える構造はおそらく病んでいること自体によってのみ,さもなくば普通の人間なら狂気Wahnsinnとひき較べるであろう愛,恍惚,絶望,死といった状態によってのみ,露わにされるようなものであります。もっとも精神科医であれば他でもない妄想Wahnの概念をつくり出し,それによって問題を困難共々患者に向かって投げ返し,かくしてこういった状態から我身を守るでもありましょうが。
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