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雑誌目次

雑誌文献

精神医学17巻12号

1975年12月発行

雑誌目次

巻頭言

小さい変化の中で—院内教育のことなど

著者: 久山照息

ページ範囲:P.1242 - P.1243

 最近わたしたちの民間精神病院(収容定員311名,職員数130名三類看護)のなかに「現在の精神医療と看護を考える会」という会合がもたれるようになり(院内では通称〈考える会〉と略称している),この会を基盤として,患者に対しては,「生活療法」(あんまりこのことばを安易に使用したくないが),「クラグ活動」が少し軌道にのりかかるようになり,一方全職員に対する「勉強会」(全職員というのは医療・看護の職員だけでなく,事務職員から給食関係の人まで,病院に勤務する文字どおり全部ということですが)が週1回(土曜の午後,40分講義)開かれることになり,現在も進行中で1年が経過しかけている。どのようないきさつでこの「考える会」がこの病院に誕生したのか,少し紹介してみたい。もっとも病院の業績といった吹聴など毛頭考えていないし,そんなことはこの「考える会」で否定されるであろうし,きれいごとはタテマエだけに終わっていつでも永続しないと思う。
 昨年当院の第59回創立記念日(49. 4. 23)の病院側の挨拶を見ると,少しその経緯があきらかにされている。

展望

集団精神療法の最近の動向

著者: 池田由子

ページ範囲:P.1244 - P.1259

Ⅰ.まえがき
 集団精神療法の発展と現況という綜説を書いてから,9年経つ。再び最近の動向という題を頂いたが,このような場合,次々に出現する新しい考え方や,技法のみが誇張されて紹介されやすいので,ある程度長い時間の経過を観察した後でないと,正鵠を得た報告となりにくく心配である。精神療法の領域では,多くの人びとが自分の個性的な臨床的実践から新しい理論を体系づけようとするが,その創始者が衰亡すると,理論や技法のうち,普遍妥当性のあるものは,精神療法の大きな流れの中に取りこまれるが,他は消え去ってゆくことが多い。
 この小文で主に取り上げるのは,1950年代から1970年にかけて,米国で雨後の筍のように次々と現れた一連の集団精神療法関係の新しい波である。前の小文にも記した集団精神療法の主な流れ―精神分析や力動精神医学に基づく―には,対象の拡大のほか大きな変化は見られなかった。最近,S. R. Slavsonが1952年に書いた集団精神療法の最近の傾向,同じくFrank, J. が書いた集団精神療法の研究という2文が1974年に再刻されたのを読む機会があったが,曰付を見なければ,当時の問題や関心と,現在のそれらとあまり変化のないことに驚かされた。もっとも,集団精神療法がこのように系統化され,標準化され,ある意味では画一的になり,また時間と費用のかかる社会で公認された治療法の一つとなったということが,後述するような反権威的な動きを生み出した原因の一つになったのかもしれない。

研究と報告

分裂病の前青年期について—FreudとSullivanのパラノイア論の比較

著者: 阪本健二

ページ範囲:P.1261 - P.1265

 わが国における精神分裂病に対する精神療法的実践の現況をみると,そこにはやはり試行錯誤的状態や,ある程度の混乱が存在するように考えられる。そして私には,その理由の一つとして精神分裂病の力動の治療的理解についての意見の多様性や混乱が,その背景として存在していると思えるのである。
 それにつけても,私の見方からすれば,精神分裂病の力動的理解の一つの柱となったSigmund Freudのパラノイア理論は,その天才的洞察にもかかわらず,彼の同性愛学説,非性欲化・性欲化理論,また,昇華学説のもつ難点,投影の必然性についての難点,および何にもまして精神分裂病に対する彼の治療的ニヒリズムの故に,ひろく精神科医一般に受け入れられるものとはなっていないようである。

異形恐怖Dysmorphophobieについて—青年期に好発する異常な確信的体験(第4報)

著者: 青木勝 ,   大磯英雄 ,   村上靖彦 ,   石川昭雄 ,   高橋俊彦

ページ範囲:P.1267 - P.1275

I.はじめに
 身体の外的欠陥に強迫的にこだわるDysmorphophobie(Morselli,1891)は,わが国では赤面恐怖,視線恐怖などと並んで対人恐怖の一亜型とされ1),それ自体が主題的に論じられることはなかった。これに対して外国文献中には最近もこれを主題的に扱った論文が散見される2〜5)。それらの論文はいずれも多彩な症例を挙げつつ,Dysmorphophobieは臨床単位か症状か,強迫か妄想かを論じている。以下に述べるわれわれの経験の限りでも,そこにみられる確信は単なる神経症性の恐怖や強迫をこえて,妄想と称せざるを得ないほどの強固な確信を例外なく示した。しかし,それにもかかわらず症状の構造や経過から見て,これを分裂病性とすることには躊躇せざるを得なかった。これらの点からみてもDysmorphophobieは症状論的にも疾病論的にも論議に値する主題といえよう。
 Dysmorphophobieの今一つの特徴は,それが青年期を好発時期とする点である。われわれは十余年来青年期に好発する非分裂病性の異常な確信的体験に注目し,すでに思春期妄想症(délire pubère,Pubertätsparanoia)6)の名の下にその中心的病像を記述したが,ここにいうDysmorphophobieもまた思春期妄想症と類縁の今一つの重要な一群を形成するものであった。したがってここで,青年期に好発する異常な確信的体験に関する一連の研究の一つとしてDysmorphophobieを取り上げ,先に述べた思春期妄想症という中核的単位と比較しつつ,その特徴を際立たせてみようと思う。

精神分裂病者の結婚状態について

著者: 田中雄三 ,   松島嘉彦 ,   譜久原朝和 ,   福間悦夫

ページ範囲:P.1277 - P.1286

I.はじめに
 向精神薬療法の普及とともに,家庭生活を営みながら通院治療を受ける精神分裂病(以下分裂病と略す)患者の数が増加し,それらの患者から就職や結婚の相談をもちかけられることも決して少なくはない4)。とくに結婚は青壮年期にある患者とその家族にとって避けることのできない問題であることはいうまでもないが,他方配偶者と営む新しい結婚生活における患者の適応能力,女性であれば結婚後当然予想される妊娠,出産という健康上問題の起こりやすい心身状態への配慮,生まれてくる子どもへの遺伝の問題,さらにはその後の育児上の問題など,精神医学的にも総合的体系的な研究を要する課題である。
 しかし,分裂病者の結婚については未だ文献にも乏しく,日常診療の上でも患者への助言指導に迷うことが多いのが現状である。著者らは分裂病者を対象にその結婚状態を調査し,この問題に関する手がかりを得ようとした。

多彩なヒステリー症状を呈したてんかんの1例—その催眠療法を通じて

著者: 山内洋三

ページ範囲:P.1287 - P.1293

I.はじめに
 ある種のヒステリー発作や行動は,てんかんのそれらと区別するのが困難である。また真性てんかんといわれるものでも,それらの患者達の発作には情動が十分関与しているといわれている1)。またLowry2)によると小発作型てんかんは心因性であろうとさえ極論している。ヒステリー発作とてんかんのけいれん発作の区別には脳波検査が手助けになるが,それだけでは十分でない。
 著者は,以前ヒステリー性の後弓反張を呈した過呼吸症候群をみたさい,彼女のヒステリー発作が,すなわちトランス状態にあるのだろうという観察から,過呼吸を行わせることにより催眠トランスが得られることも知り,催眠誘導に応用している3)。過呼吸を行わせるさい,ヒステリー性けいれんの疑われるものにはけいれん暗示を加えることによりけいれんを誘発し,しかもトランスに導けるものである。そしてそこでの激しい情動の発散を治療に応用している。Lindner4)も,心因性けいれん状態(すなわち,ヒステリー性けいれん発作)は催眠トランス誘導により再現されると述べている。すなわち彼はトランス中にけいれん発作の暗示を加えることによっても,また最初のけいれんが起こった時点へ退行させることによっても,容易に発作がひき起こされると述べている。

Behçet病の中枢神経症候—とくにその精神症状の特徴について

著者: 池田久男 ,   石野博志 ,   岡本繁 ,   難波玲子

ページ範囲:P.1295 - P.1305

I.はじめに
 Behçet病は再発性の口腔および外陰部アフタ性潰瘍,およびブドウ膜炎を主徴候とする,原因不明の全身疾患である。本疾患患者の10〜20%に神経・精神症状の発現があり9,25),この病態をとくにNeuro-Behçet病と呼んでいる。この神経・精神症状の発現は,患者の生命予後や社会適応に大きく影響することから,失明に導びく眼症状とともに,本疾患の臨床上重要な問題である24)。それにもかかわらず,Neuro-Behçet病の中枢神経症状,とくに精神症状に関する従来の記載や研究は少なく16,28),不充分であるといわねばならない。文献的にも,本疾患患者の精神状態を単に「痴呆」,「コルサコフ症候群2)」とのみ表現しているものが大多数である。この点,本疾患と臨床的に,病態生理学的に諸々の共通点をもつエリテマトーデスの患者の示す精神症状に関して,多くの研究や報告がなされているのと対照的である7,8)
 「痴呆」は慢性器質性脳症候群の中核症候として今日理解されているが,この痴呆の臨床概念に歴史的変遷があり12),また諸家の立場によって,この言葉が示す精神症状は必ずしも一致していない。ある学者は知的構造の基本障害に対し痴呆と呼び13),他の学者は精神活動全体の不可逆的崩壊を痴呆と称している4,26,30)。いずれにせよ,痴呆が大脳の広範な障害の結果として出現することは一般の認めるところである。しかし痴呆症候群には脳損傷を導いた基礎疾患や病巣部位とは関係なく(非特異的),共通する症候を示すと同時に,基礎疾患や病巣部位に関連した,特有の臨床像が存在することも経験的に認め得るところである。

Diphenylhydantoin測定法の検討—紫外部吸収法の改良について

著者: 武者盛宏 ,   大平常元 ,   石川達 ,   青木恭規

ページ範囲:P.1307 - P.1311

I.はじめに
 われわれは日常の臨床場面から,てんかん患者の治療にさいし,規定の服薬量を用いておりながらその効果に差があり,また発育,妊娠,疾病など個体側の種々の条件の変化によってもその効果に差を来たすことを経験している。
 最近では,抗てんかん剤の測定法の進歩とともに,薬物の代謝は種々の要因によって規定せられ,したがって投与量と血中濃度との関係も個人によって差のあること,また血中濃度と発作抑制効果および中志症状発現との関係,薬物の相互作用により代謝に影響を及ぼし血中濃度に変化を来たすことなど,臨床薬理学的な知見が得られるようになり治療面への応用も可能な段階となってきた1)。今後は血中濃度を測定することによって,個々の患者の代謝の側面を知り,薬物投与と臨床効果判定の間に血中濃度を指標として入れることによって,患者に見合ったよりきめの細かい治療の方向へすすむものと考えられる。

古典紹介

—A. Pick—Senile Hirnatrophie als Grundlage von Herderscheinungen

著者: 山縣博

ページ範囲:P.1313 - P.1317

 私は1892年,はじめてPrager Medizinische Wochenschriftで,そしてその後また多くのこれを確証する出版物(私の》Beiträge《1898参照)のなかで,ある限局的に強調された老人性脳萎縮を基盤として,特殊な脳局在症状が発展することがありうる事実を確認したが,その後この事実は,ただ病理解剖学的だけでなく,たびたび他の方面からも,たとえば最近Liepmann(Neurologisches Centralblatt 1900)がしたような,すでに生前から死後の剖検によって正当性が立証できる,ある局在診断の出発点ともなりうることをも確認されてきた。
 ここでは,ふたたびこの限局性老人脳萎縮の問題に深入りすることは避けて,1893年Wernickeによって再度うち出された重要な文章(それについては註解で参照してもらうが原注1)),その文章が普遍性という点では否定できると思えることについて説明しよう。それからさらに私がとり上げたいのは,この事実をよく観察していると,たびたび引き合いに出されてきた,対応する脳所見を欠如した病巣罹患の症例数というものは,根本的に減らさなければならないということである;ごく最近の文献からも該当する例を選び出して,上に述べた事実のなかにその解明を求めることは容易なことだと思う。

来日記念講演

—Hubert Tellenbach—非言語的伝達について

著者: ,   上田宣子

ページ範囲:P.1319 - P.1323

 「人間的である」ことが最もすぐれて,且つ,包括的に表現されるのは「言葉」においてであろうか。高度な文化に精通している者は,それに関してまったく異なる判断を下すと思われる。たとえば,アンコールワット(カンボジア)の宇宙創造論的な寺院と,その浮き彫りに神話上の出来事が威圧的に充満,描出されている無限なフリーズの並びを,または美しい溝が作られた砂利の平地に,苗床のように苔に被われた岩が配置されている京都の竜安寺の石庭を一見する時,人は非言語的なものを媒介にして,人間が表現し得る力というものを認めざるを得ないであろう。確かに西洋の言語性(Sprachlichkeit)と東洋の非言語性(Nicht-sprachlichkeit)のすべての深い経験は,我々が現存在において常に単純な現象として出会うもの,すなわち言語的なものに含まれる非言語的なものや,両者の組み合わせ,および補充性を明らかにするであろう。
 さて,非言語的なものはきわめて種々の様式で現れ,我々にその選択を要請する。ここで述べるのは仕草,身振り,表情などに基づく表現現象でもなく,また,感情の伝達領域でもなく,笑ったり泣いたりすることでもない。同様に人を結合させている象徴(Symbol)や,我々がSartreの天才的な現象学的分析に多くを負うている視線に関しても我々は語らないことにする。非言語的なもののうちに,2つの媒体,すなわち音楽(Musik)と雰囲気的なもの(das Atmosphärische)があるが,現代の伝達理論は,我々がここで選択したこの2つを無視し続けてきた。

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精神医学 第17巻 総目次

ページ範囲:P. - P.

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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