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文献詳細

雑誌文献

精神医学17巻13号

1975年12月発行

文献概要

臨時増刊号特集 精神医学における日本的特性 A.精神医療にみられる日本的特性

森田療法に関連して

著者: 近藤喬一1

所属機関: 1町田市民病院神経科

ページ範囲:P.1348 - P.1354

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I.はじめに
 精神療法がある特定の社会の文化的環境や価値体系と,その本質において密接かつ不可分の結びつきがあることは当然である。このことを,筆者1)は以前他の論文で指摘した。すなわち,いかなるタイプの精神療法であっても,その治療法の根底にある個人や人間関係についての概念や規定の仕方,更には精神的に健康であるということをどのような観点から規定するか,疾病観はどのようなものであるか,などの事がらは,その精神療法が生まれた社会の中で歴史的に形成されてきた,その社会や集団に固有な内的および外的生活様式の総体―つまり文化と切っても切れないかかわりがあることを示している。森田療法は,わが国における日本人が創始したほとんど唯一の精神療法であるといっても差支えあるまい。この意味でこの治療法の拠って立つ原理なり技法なりが,この国に固有な土着の文化に深く根ざしたものであることは事新しく言うまでもない。ほとんどそのすべてといってよいほど,わが国の精神医学における主立った思想や治療技術が欧米からのいわば外来種である中で,森田療法は例外的に,現代日本の精神医学を代表する唯一の“国産”の思想といってよいだろう。ここで思い出されるのは,森田がその生前に,みずからが編み出した治療法が海外でも理解されることを期待して,一度ならず二度までもドイツの学界に原稿を送ったが,よくわからないという理由でそれが結局受理されずじまいに終わったという事実である。今日,この同じ治療法が欧米その他の外国の研究者たちの間に関心と興味をひき起こし,わざわざその研究のために来日して単に概念上の知識を摂取するだけにとどまらず,とりわけ欧米人には理解も実施も困難だということが定説になっている,いわゆる臥褥療法を含めた入院治療をみずから体験したり,あるいは実際にこの治療法を行っているひとびとすらいるというような現況に思い及ぶ時,改めて今昔の感にうたれるのはひとり筆者のみではあるまい。ひとの考えは時代や文化とともに生きているのであり,時代が変わり文化が変われば,それに伴って思想も変化するのである。森田の生きていた当時,了解困難ということで拒否され無視されてきた森田療法が,今日海外にもその同調者を見出すことができるようになってきているのは,それだけ時代や文化の変化が背景にあったことによるだろう。日本人は古代から外来文化の摂取に熱心であったが,特に明治以来近代化への道をひたすらに突き進む過程の中で,欧米の文物を貪欲にとり入れ続けてきた。その結果,そのときどきの様々な外国の物や思想が紹介され消化され吸収され,それが長期にわたって日木が比較的高度な水準の文明を保ち続けることを可能にした,いわばエネルギーの源泉になってきたことは疑いない。しかしその反面,あまりにも急速かつせっかちにそれらを受け取ってきたために,そしてまた,外からの文化に対してあまりにも敏感で好奇心を持ちすぎたために,土着の文化の育成がおろそかにされてきたことも事実であろう。戦後になって再び海外の研究者との交流が復活するにつれて,徐々に森田療法が彼らの間に知られるようになった。特に,アメリカの精神療法家によってその価値が認められ,そのことを通じてもともとこの療法の発祥の地であった日本でも,いわば逆輸入という形で再評価されるという皮肉な現象が起こったのである。森田が彼の治療法を創始してからすでに60年に近い歳月が流れているが,その間わが国の専門家,特に講壇精神医学の立場からは,ごく一部を除いてこれが大して深い精神病理学理論の裏づけのない単なる民間療法であるというふうに,比較的最近に至るまで不当に低くしか評価されなかったことはいなめない事実であろう。このような事情はなにも精神医学の中の出来事に限らず,その他の分野でも起こったことであって,日本人の舶載尊重の傾向は今に始まったことではない。またそれとともに,我々が物事の技術的な面にのみ重きをおいて,その成立の根底にある思想なり哲学なりを不当に軽視する傾向のあることも指摘する必要があるだろう。このことは我々日本人が欧米文化の産物としての科学,芸術,宗教などを摂取する場合にも如実に現れていることはよく言われる通りである。このような態度が例えば精神医学の分野においてごく少数の例外を除けば,今日までわが国独自の思想,理論や方法が育ってこなかった一つの理由であろうと思われる。精神療法がこの国で育ちにくかったのもこのように事情と関係があるだろうし,現に今日日本には多種多様のタイプの精神療法が紹介されてはいるが,森田療法以外はすべて海外から導入されたものである。我々が海外に出て日本の精神医学についての説明を求められた場合,いわゆる森田療法家でなくても,どうしてもこの治療法のことを口にせざるを得ないだろう。この意味で森田療法およびその理論的根拠である森田理論が,今日改めて関心の対象になってきていることは十分理由のあることだと思われる。
 本稿に与えられた題名の意図するところは,森田療法における日本的特性を明らかにするということになるだろうが,実はこれは決してたやすい課題ではない。今まで述べてきたように,この治療法は全く森田独自の発想になるものである。したがって,西欧の精神医学の伝統とは本質的に無関係に成立したものであって,この意味では日本独特の治療法である。しかし,この場合にこの「日本独特」ということばの意味内容に思いをいたすことなく,安易に素通りしてしまうことには問題がある。森田はみずからをKraepelinの未見の弟子と称したことがあるといわれているが,彼がその当時の西欧医学の思想や科学的方法論によって教育され訓練されたことを心に留めておく必要があろう。森田療法が今日我々がみるような治療体系をもった治療法として完成されるまでに,約20年にわたるいわば準備期間があった。この間森田は,当時主として西欧から輸入されたいくつかの治療法を熱心に実地に試みた。当時の用語でいういわゆる神経衰弱(neurasthenia)が,中枢神経系の疲労ないしは衰弱に関係しているという,森田が精神科医としての経歴を踏み出した当時の考え方に従って,最初は主として生物学的に指向された方法を採用してみたが,間もなくこれらの方法がほとんど効果を発揮しえないことに気付いた。とかくするうちに,もともと探究心の盛んな彼は次から次へといろいろな治療法を経験する努力を怠らなかった。今この問題を立ち入って論ずるゆとりはないが,それらのうちの主なものをいくつか挙げてみると,S. Weir Mitchell(1830-1914)の安静療法(rest cure),作業療法,Otto L. Binswanger(1852-1929)の生活正規法,Paul-Charles Dubois(1848-1918)の説得法(Persuasionsmethode),催眠療法などである。森田はこれらの治療法を身をもって体験し,そのうちのあるものはみずからの療法の中にとり入れたものもあるが,むしろこれらが,実際の治療の上ではほとんど不毛であったことから否定的媒介の役目を果たしたという意味で,後年の森田療法の成立における発見的原理となったというほうが正確であろう。

掲載誌情報

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN:1882-126X

印刷版ISSN:0488-1281

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