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雑誌目次

論文

精神医学17巻6号

1975年06月発行

雑誌目次

巻頭言

めいめいの精神科の共通の話題

著者: 冨永一

ページ範囲:P.546 - P.547

 精神科のない病院は,総合病院とはいえないと,私共はいいつづけてきた。近年,わが国で,精神科をもつ総合病院がふえてきているのは,うれしいことである。
 それでもまだ,総合病院の医療家族の中の精神科は,わが国の精神科臨床の一部にすぎない。現在30カ所ある国立病院精神科となると,そのまたほんの一部にすぎないのである。

来日記念講演

—Arthur L. Benton—臨床神経心理学の諸側面

著者: ,   笹沼澄子

ページ範囲:P.548 - P.554

 本日,臨床神経心理学の現状について皆様とお話しする機会を与えられたことをたいへん幸いに思う。
 臨床神経心理学は,実際には臨床神経学の一領域であるので,神経科医は無論この領域の発達の現状をよくご存じのことと思う。しかしそれ以外の専門医,たとえば内科医や精神科医などにはあまりよく知られていない分野であって,これらの専門医にもこの分野の現状をもう少しよく把握しておいていただきたところである。何故なら,たとえば脳血管性障害患者をみる機会は神経科医にくらべて,内科医のほうがはるかに多いはずであるし,また初期の大脳変性疾患例では,その主訴が精力減退とか,生きていくことに対する興味の喪失とか,抑うつ状態とかであるために,まず最初に内科医または精神科医の診療を受ける確率が高い。事実,初期の大脳疾患は,明らかな神経学的徴候,たとえば,マヒ,反射異常,視野の障害などが現れる前に,まず軽度の知的・情緒的変化という形で現れる場合が多い。したがって,医師は大脳疾患と関連していろいろな形で現れ得る行動上の変化というものに対して,常に注意深い目を向けていることが重要である。

研究と報告

農村地域における最近の神経症について—長野県佐久地方から,第2報

著者: 神岡芳雄 ,   堀口佳男 ,   高橋滋

ページ範囲:P.555 - P.561

I.はじめに
 さきに,われわれは,昭和38年4月から48年3月にわたる10年間に,佐久総合病院精神神経科を訪れた神経症患者1,055例について臨床統計的概括を行って,主として症状類型に関する考察を報告した1)
 今回は,同じ資料の調査から,神経症発症の直接的契機となった心因,すなわち結実因子である葛藤に関する概括を試みた。
 ここに述べる葛藤は,井村2),中川3)らと同様なものとし,葛藤内容の分類も同じものを用いた。したがって,日常の診療における問診によって聴取または分析できるていどの,比較的表層のものであっていわゆる深層心理学的なものではない。

診療所における精神科外来診療—1無床診療所における2年間の診療活動の報告

著者: 安斉三郎 ,   安斉道枝 ,   烏田淑子

ページ範囲:P.563 - P.573

I.はじめに
 この小論は一般科(内科小児科)を併設したごくありふれた診療所における精神科の診療活動の報告である。われわれが診療所を開設するにさいして一般科を併設した理由は,現在のわが国の医療環境においては精神科専門の診療所が経営的に成り立ちにくいという事情からばかりではない。われわれははじめから精神科専門の診療所を目ざさず,一般の身体疾患と精神疾患を差別しないで一緒に診療するという試みに積極的意義と利点を認めたのである。
 このわれわれの考えは「精神疾患を他の身体疾患と同じillnessとして同一基盤で扱う5)」という英国の精神衛生法(The Mental Health Act)20)の基本精神を参考としたものであるが,この基本精神に沿って,英国において精神科の治療が精神疾患だけを集めて治療する精神病院から,一般病院の中の精神科へと移っていった動きとその成果5,25)を敷衍して考えるとき,われわれのごとく一般科を併設した精神科診療所の正当性と役割がわが国においてあらためて再認識されるべきであると考えた。また地域医療的役割を担う診療所は地域住民の医療に対するニードに答えることが要求されるという現実のなかで,彼らのニードが必ずしもわれわれ医療従事者側の専門職種にあてはまるものではなく,彼らが当面する体と心の病,およびその病に対する彼らの不安に対応することが要求されてくるという事情がある。したがって一般科を併設し彼らのニードに答えることは専門科の診療を地域において円滑に行うためにもむしろ必要であり,有利な方法であると判断された。
 われわれは以上の基本的立場に立ち精神科の外来診療についてわれわれなりの工夫を試みて実行してきた。そしてわれわれはこのような診療活動を通じて精神科外来診療の手段と方法を探りたいと考えた。われわれの目的はまだとても達成されたとはいえないが,今回は昭和46年6月開設後約2年間の診療活動の報告を通して診療所の立場から精神科の外来診療を論じたい。

Phobic Anxiety-Depersonalization Syndrome(Roth)の1例

著者: 渡辺吉彦 ,   丸子一夫 ,   熊代永 ,   松田岱三 ,   尾野成治

ページ範囲:P.575 - P.581

Ⅰ.緒言
 1959年,Martin Rothは,恐怖症(phobic anxiety)と離人症(depersonalization)の2つの症状を組み合わせ,従来の神経症類型に該当しない新しい1類型を提唱し,これを,恐怖・離人症候群(phobic anxiety-depersonalization syndrome)と名づけた5〜8)。この症候群は,特徴的性格をもつ主に20代後半の女性に見られ,急激な不幸・驚愕を契機に発症し,恐怖症と離人症の中心症状を示して慢性に経過する症候群である。
 本邦において,高橋9)が1967年に紹介しているが,今回,われわれは単に恐怖神経症(phobic anxiety neurosis)とも,離人神経症(depersonalization neurosis)とも名づけ難い症例を経験し,これがRothのいう症候群に相当するものと考え報告する。なお,Rothのいう恐怖症とは,広場恐怖(agoraphobia)を意味するが,本例では日本的特性を考慮にいれて,いわゆる対人恐怖をも含めて広く解釈した。

Münchhausen症状群について—その2症例と,“Special Patient”との関連について

著者: 保崎秀夫 ,   浅井昌弘 ,   白倉克之 ,   渡辺明子

ページ範囲:P.583 - P.588

I.はじめに
 Müchhausen(Munchausen)症状群は1951年Asher, R. 3)がLancet誌上に記載したのに始まる。これに属する患者は広く臨床一般において医師,看護者,病院を悩ますものとして知られており,入院から退院まで患者に周囲が振り廻され,治療にも困難な点が多い。精神医学の領域でpseudologia phantasticaとか,polysurgeryとしてまとめられる患者の一部もこれに含まれる。
 以下われわれの経験した2症例をあげ,Münchhausen症状群についての今日までの考え方や,いわゆる“special patient”(Main)との関係について考察してみたいと思う。

多食・下剤大量使用・高度るいそうを主症状としたEating Disorderの1例

著者: 高木洲一郎 ,   小宮英靖 ,   吉田直子 ,   本多虔夫 ,   今村清子 ,   男全正三

ページ範囲:P.589 - P.595

I.はじめに
 われわれは,10年以上にわたり多食・下剤大量使用・るいそうを主症状としたきわめて特異な症例を経験したので報告する。
 摂食異常を主症状とするanorexia nervosaはMorton, R. 以来広く知られているが,多食もまた同じ心理機制に基づくものと考えられ,Bruch, H. はこれらをeating disordersとして包括を試みている。これらの観点から本症例の心理機制と診断的な検討をとおしてanorexia nervosaを中核とする摂食異常について,精神医学的に考察を加えたい。

粘液水腫に伴う精神病—症例と文献的展望

著者: 岡本重一 ,   大谷峯久 ,   朝井栄 ,   青木太

ページ範囲:P.597 - P.603

I.はじめに
 粘液水腫に伴う精神障害は,欧米では古くから注目されており,それに関する文献も少なくない。これに反し,本邦では従来あまり報告がないようである。しかし近年本邦でも阿部ら1),鳥飼ら21)は甲状腺機能低下症はそれほど稀な疾患ではないが,見のがされたり他の疾患と誤診されていることが少なくないと述べている。とくに阿部らは本症の精神神経症状が誤診の種になりやすいと警告し,クローニンの小説「城塞」の中で若い医師マンスンが急性錯乱状態で精神病院に送られかけた患者を甲状腺機能低下症であると看破して救った一節を紹介しているが,鳥飼らも本症が神経衰弱,更年期障害,うつ病,精神分裂病などとされていることがあると述べている。
 われわれは長年にわたり精神分裂病の病名で精神病院を転々とし,われわれも最初は肝脳疾患群に属するものと疑っていたが,大谷がTriosorb Testによって甲状腺機能低下を知ると同時に粘液水腫の諸徴候を見落としたり誤解していたことに気づき,甲状腺治療によって救い得た症例を経験した。この症例では,粘液水腫に気づいた時点での状態から推測して,発見が数カ月遅れていたら死の転帰をとったことも考えられる。もっと早期に発見しておれば,精神的欠陥もより軽度ですんだことも当然で,精神病の診断にdiagnose per exclusionemの要素が大きいだけに臨床諸検査の必要性を痛感させられた。また,本例での印象から,R. Asher2)が忠告したごとく,粘液水腫が正しい診療を受けずに漫然と精神病院に収容される可能性も推測された。その意味で,1例ではあるが症例を記載報告するとともに文献的展望を行った。

てんかん性の泣き発作,笑い発作について

著者: 北川達也 ,   下田又季雄 ,   谷尾匡史 ,   西川清方 ,   石崎文子

ページ範囲:P.605 - P.611

I.はじめに
 病的な泣き,笑いが脳血管障害,進行麻痺,多発性硬化症など広範な脳器質障害において出現し,また分裂病の1症状として,あるいはヒステリーなどの心因性の反応としてみられることは周知のことである。てんかん性の病態生理をもつ情動発作としての泣き発作,笑い発作については,乳幼児の小発作,点頭てんかんに笑い発作を伴いやすいという報告2,9),早発思春期症を合併した間脳障害に由来したと思われる症例の報告などがみられるが7),一般には側頭葉ないし精神運動発作てんかんの一症状とみなされている4,9,17)
 筆者らは過去10年間に経験した正常の感情体験を伴わない病的な泣き,笑いのうち,てんかん性と考えられた12症例について臨床的,脳波学的検討を行った。

疾走発作(Epilepsia Cursiva)の1症例

著者: 小林清史 ,   庄盛敏廉 ,   高坂睦年

ページ範囲:P.613 - P.616

I.はじめに
 疾走発作(Epilepsia cursiva,running fit)は,種々の程度の意識障害を伴って発作性に走行するものであり13),その臨床・脳波的検索から精神運動発作の一型と考えられている。最近われわれは,疾走発作を含む多彩な発作型を示した症例を経験したので報告し,若干の考察を加える。

Carbamazepine(Tegretol)の躁うつ病に対する治療効果ならびに予防効果について

著者: 大熊輝雄 ,   岸本朗 ,   井上絹夫 ,   小椋力 ,   本池光雄 ,   松島嘉彦 ,   中村一貫 ,   田中潔 ,   馬嶋一暁 ,   松下棟治 ,   松本久 ,   小倉淳

ページ範囲:P.617 - P.630

I.はじめに
 近年精神疾患に対する薬物療法は長足の進歩をとげ,とくにうつ病の治療においては三環系抗うつ薬のほかに生体アミン前駆物質なども試用され,多くの興味ある結果が報告されている。しかし躁病あるいは循環性躁うつ病(以下MDIと略記する)の治療にあたっては,従来はphenothiazine系薬物,butyrophenone系薬物などによってある程度強制的に鎮静させながら自然寛解を待つほかはなく,躁状態の治療は精神科治療のうちで最も困難なもののひとつとされてきた。
 このような意味で,最近出現した炭酸リチウムは,かなり顕著な抗躁作用とある程度の抗うつ作用を有するとともに,躁病相あるいは躁・うつ病相の周期的発現に対して予防効果を有することが明らかにされており(Baastrupら2),1967;Angstら1),1969),躁うつ病に対する新しい治療薬として多くの期待がかけられている。しかしリチウム療法にもいくつかの短所がある。そのひとつはリチウムに反応しない症例が少なくないことであり,中毒量と治療適量との間隔が狭く,過量投与の場合にはかなり重篤な副作用が出現するので,たえず血中濃度を測定しながら治療を行うことが望ましいこと,身体細胞の塩類の平衡に持続的な強い変化を与えるのでその長期使用には問題があると考えられることなどである。

向精神薬服用時の洞性頻脈に対するβ遮断剤Pindolol(Carvisken)の臨床治験—二重盲検法による検討

著者: 和泉貞次

ページ範囲:P.631 - P.642

I.はじめに
 精神科の分野にphenothiazine系薬物が登場して,治療面で画期的な貢献をなしたことは,万人の認めるところである。その後butyrophenone系薬物をはじめ,新しい系統の向精神薬が開発され,それぞれ独特な持味ゆえに重宝がられている。しかしながら,これら多種多様の向精神薬も,精神分裂病を主とする精神病の真の治療に対しては,きわめて微力であるがゆえに,多量かつ長期にわたって——場合によっては終生——投与されているのが実状である。
 ところで,これら向精神薬の服用にさいして洞性頻脈の出現することは,従来から知られてはいたが,ほとんど看過されてきた。しかしながら,近年向精神薬の心臓,血管系への影響についての関心が高まり,前記の洞性頻脈のみならずT波の平低化,S-T降下,これらを伴った洞性頻脈や突然死などが報告されるようになり,心筋自体に何らかの不可逆的な器質性変化さえも生ずるといわれている。これら洞性頻脈と心筋障害は,心不全を生ずる素地ともなるものであり,これらを回避する努力がなされなければならない。しかしながら,すでに述べたごとく向精神薬の長期投与を避けて通れない精神医療の現状にあっては,薬物による洞性頻脈の治療はきわめて大切なことといえよう。

古典紹介

—G. de Clérambault—Coexistence de deux délires—Persécution et érotomanie

著者: 高橋徹 ,   中谷陽二

ページ範囲:P.643 - P.653

症例提示 1920年
 この患者について興味ある点は.ふたつの妄想つまり被害妄想と恋愛妄想とが共存していることであり,それぞれの妄想はそれ自体完結した妄想と見なし得るほど完全で一方だけでも存在し得たかもしれない。長年患者は被害妄想病者であり,少しまえから彼女は恋愛妄想病者である。そしてあるときは被害妄想の型の,あるときは恋愛妄想の様式の反応を起こしてきた。

追悼 島崎敏樹先生を偲ぶ

略歴と主な業績

著者: 宮本忠雄

ページ範囲:P.655 - P.656

 故島崎敏樹先生は大正元年11月8日,東京市赤坂区青山南町に生まれた。昭和46年に逝去された母堂西丸いさ子殿は島崎藤村の姪にあたる。麻布中学校,第一高等学校を経て,昭和12年3月東京帝国大学医学部を卒業,ただちに同医学部精神病学教室に副手として入局,その後4年間の東京府立松沢病院勤務をはさんで,昭和17年東京帝大助手,18年附属病院外来医長となられたが,翌19年には弱冠31歳の若さで東京医学歯学専門学校教授に就任,同25年東京医科歯科大学教授に昇任された。
 その間,戦前・戦中に従事してこられた脳組織病理学の研究から戦後は精神病理学へ転向,「精神分裂病における人格の自律性の意識の障碍」(昭24〜25年)で学位を受け,以後もこの方面で別記のようなすぐれた業績をあげ,同時にヤスパースの『精神病理学総論』の紹介などをとおして,日本における精神病理学の基礎づけに努力された。昭和39年に日本精神病理・精神療法学会の創設に参加,42年に同学会の第4回大会会長をつとめられたのもそういうご努力の一環である。なお,名訳のほまれ高いヤスパースの訳業に対しては,昭和31年に財団法人神経研究所より第1回内村賞を授けられた。他方,日本精神神経学会においては長期にわたって理事・評議員・編集委員(長)・用語統一委員長などとして活動されたほか,昭和37年には実兄西丸四方教授を援けて第58回日本精神神経学会副会長,38年には日米合同精神医学会議の組織委員の任務を果たされた。そのほか,公私各種にわたる審議会の委員などを列挙すれば限りがない。

島崎敏樹君の思い出

著者: 臺弘

ページ範囲:P.656 - P.657

 親しい友人の追悼の文章をまた書くことになった。島崎流のせりふを借りれば,遠く前方を見ながら肩を組んで歩くのが友人というものだから,ふと振り向くと隣にいるはずの仲間がいなくなっているというのは,肩が落ちるほどに淋しい。3年前,江副勉君が去り,今度また島崎君が去った。こんなにも個性的ですぐれた仲間達と,それぞれに付き合うことのできた幸せを思うべきなのだろうか。
 島崎君は私と小学校が同じで,彼のほうが1年上だった。大学に入ってから,同級生の中に彼独特の親しみのある笑いかけに出会って,とたんに記憶がよみがえった。しかし本当の友達付き合いが始まったのは,卒業して一緒に内村先生の教室に入れていただいてからである。当時,医局長の井村恒郎さんの下に集まっていた仲間は,今考えても得難い人達だったように思う。もっとも新米の医者は誰でも医局の仲間をそのように見るのかも知れない。しかし,その中でも島崎君は冴えていた。それはうらやましいほどだった。

喪われた居がい—島崎敏樹先生の思い出に

著者: 宮本忠雄

ページ範囲:P.657 - P.658

 春もまだ浅い3月17日の夕刻,周囲の人たちの祈りも空しく,先生はついに永眠された。「春は人が淋しく秋は自然が淋しい」とはいうものの,華やいだ陽光をふたたび眼にすることもなく逝かれた先生は,私どもの心に人の世のもっとも深い淋しさを遺されたことになる。元来,先生はそうお弱いほうではなく,むしろ壮健な日々を送っておられたし,だから,昨年9月にお体の不調を訴えられ,お顔の色が冴えなくなってからも,それはたまたま発見された高血圧のせいで,まさか当時すでに死の病がひそかに進行しはじめていたなどとは,夢にも思われなかった。
 およそ死というものは,不条理なかたちでやってくることが多いものだが,島崎先生の場合にもそれは例外ではなかった。よく知られているように,先生は昭和42年,50代のちょうど半ばで,多忙な大学教授の職を辞め,同時にあらゆる世間的な役職からも身をひいて,それ以後は「もう一回の人生」を志ざし,ご自身のことばによれば「一兵卒」として出なおされた。たしかに,その後,数年間のうちに『孤独の世界』や『生きるとは何か』といった力篇を発表され,これらは「第二の人生」の豊饒な実りを私どもに告げるかのようだった。還暦の祝賀(昭和47年11月25日)の折にも,ご夫妻で来られたうえ,当時検討をすすめておられた造型心理学の一端を門下に講義されるなど,意欲に満ちたそのお姿には世の常の衰退のきざしや前兆は微塵も感じられなかった。けれども,お仕事の内容からみると,それら晩年の思索は,ほのかな春のかおりを漂わせていたあの『感情の世界』からはあまりに遠く,いわば冬の思想とでもいってよいものだった。事実,先生はなぜか,孤独や老年や不治の病や死など人間の逃れられぬ宿命の問題に,まるで魅入られでもしたかのように,ひたすら専念され,それを講演でもエッセイでも執拗に追求された。生前最後のご本となった『生きるとは何か』はとりわけ人間の臨終の場面を鬼気せまるタッチで描き,また,これも生前最後のご講演と思われる第12回日本病院管理学会総会での特別講演「患者の心理」(昭和49年10月17日)も癌患者の心理を迫真的に説いて,参加者につよい感銘をあたえられたと聞く。そのうえ,最後のご本は,先生によれば「遺書がわりに書いた」といわれ,しかも,いつになくそれを,親しい方々はもちろん,門下の全員に署名入りで贈られた。

海外文献

Tricyclic Antidepressant Poisoning—Reversal of Coma, Choreoathetosis, and Myoclonus by Physostigmine,他

著者: 上島国利

ページ範囲:P.554 - P.554

 三環系抗うつ剤の使用が増加するにつれ,その過量服薬(自殺,事故など)による中毒が増え適切な治療が望まれる。三環系抗うつ剤は通常のアトロピン様毒性,すなわち頻脈,低血圧,瞳孔異常,尿閉に加えて,多量では,焦燥,幻覚,高熱さらにcoma,choreoathetosis,myoclonusなどの中枢神経症状を現す。この中枢神経症状は初期にはseizureと間違えられそのために,diazepam,paraldehyde,barbiturateなどを投与され,その結果呼吸抑制,意識の低下がみられる。したがってこれらの症状の正確な診断と迅速な治療が必要である。
 Physostigmine salicylate(Antilirium)は,中枢性抗コリンエステラーゼ剤であり,それゆえ中枢性アセチールコリンの濃度を上昇させさらに不整脈治療にも効果がある。

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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