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研究と報告
関根正二と幻視
著者: 加藤稔1
所属機関: 1須田病院
ページ範囲:P.737 - P.745
文献購入ページに移動Ⅰ.まえおき
明治の洋画壇を支配していたのは,一言でいえば,自然主義であった。大正に入るか入らぬかの頃に,この芸術観に対しての懐疑や反撥が急速に高まっていった。この動向を集束して,フユーザン会,二科会など反官展の団体が相次いで生まれることになる。
創立まもないこの二科会で彗星のようにあらわれ,自身短い生命を燃焼して果てた画家が関根正二である。絵画的表現が多様化し,奇抜な作品も多い今日でさえ,関根の表現は突出し,実になまなましい感動を与えている。それはこの世ならぬ世界,超自然の相貌が巧まずして表現されていることによるのであろう。結論をいえば,それは幻視という病的体験を窓にしてたちあらわれた世界であった。そのため関根は,「幻視の画家」ともよばれ,その狂気は以前から注目されてきた。しかしこの幻視はこれまで,梅毒の結果だろうとか,インスピレーションだとか,ひたむきな思念の産物のようにもいわれている。だが定説はないし,幻視と創造の内的連関についても,とかくあいまいな考察が多い。それで,ここで幻視を中心課題として論じるのも有意義と考える。
明治の洋画壇を支配していたのは,一言でいえば,自然主義であった。大正に入るか入らぬかの頃に,この芸術観に対しての懐疑や反撥が急速に高まっていった。この動向を集束して,フユーザン会,二科会など反官展の団体が相次いで生まれることになる。
創立まもないこの二科会で彗星のようにあらわれ,自身短い生命を燃焼して果てた画家が関根正二である。絵画的表現が多様化し,奇抜な作品も多い今日でさえ,関根の表現は突出し,実になまなましい感動を与えている。それはこの世ならぬ世界,超自然の相貌が巧まずして表現されていることによるのであろう。結論をいえば,それは幻視という病的体験を窓にしてたちあらわれた世界であった。そのため関根は,「幻視の画家」ともよばれ,その狂気は以前から注目されてきた。しかしこの幻視はこれまで,梅毒の結果だろうとか,インスピレーションだとか,ひたむきな思念の産物のようにもいわれている。だが定説はないし,幻視と創造の内的連関についても,とかくあいまいな考察が多い。それで,ここで幻視を中心課題として論じるのも有意義と考える。
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