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雑誌目次

雑誌文献

精神医学18巻10号

1976年10月発行

雑誌目次

巻頭言

分裂病をめぐって

著者: 猪瀬正

ページ範囲:P.1026 - P.1027

 専門誌の巻頭言なるものは,その雑誌の性格なり,使命なりを示唆する,高度な提言や思想を表言するものであると思う。したがって,"編集同人"に名を連ねるわたくし如き者が,それを引き受けることは烏滸がましい限りといわねばならない。しかし,毎号の巻頭言に眼を通してみると,その内容はさまざまであって,ある場合には,筆者の当座の感想であったり,新しい論文や新刊書の紹介であったり,その人の専門分野の最近の業績の概観であったりするが,読んでみると結構面白いことに気付いた。そこで,わたくしもあえて雑文を書いて読者の眼を汚すことにしたが,その点お許し願いたい。
 わたくしは,いつも"精神科医療"の現実に眼を向けているつもりである。そのなかのかなり重要な部分である,わが国の精神病院の実状は,とくにわたくしの関心事である。このような気持でいるときに,西丸先生の「自分の入れる病院を」という巻頭言は,わたくしに,さまざまな感慨を抱かせた。今日のわが国の病院のあり方からすれば,わが国の精神科医のうち,何人が喜んで入院するのであろうか。西丸先生の言っていられる通り,自分が入ってもよい病院はほとんどないといってもよい。西丸先生は,幸いにして御自身が入院してもよいところを見出されたが,一般の患者さんはどうなるのであろうか。わたくしは,今日の精神病院の病室(いわゆる大部屋)の様相には胸が痛む思いがする。院長も,開設者も,昔からの慣習によって,あのような病院の構造に不関となっているとみるほかない。入院している患者の住み心地を,わが身に移して,も一度建て直すか,改築する意欲は出てこないものであろうか。これは,病院勤務者の問題と同じく,医療の条件として,ゆるがせにすることのできない緊急のことがらであると思う。

展望

民俗学と精神医学

著者: 小田晋 ,   佐藤親次 ,   高江洲義英 ,   昼田源四郎

ページ範囲:P.1028 - P.1044

Ⅰ.序にかえて―民俗精神医学の位置と方法―
 人間の科学としての精神医学の方法論のひとつとして,民俗学,とりわけ日本民俗学との学際領域をいかに開拓しうるかを考察するのが小論の課題である。文化と精神医学のあいだの関係は,つとにKraepelin, E. 50)が比較精神医学Vergleichende Psychiatrieの用語を与えて開拓に着手した領域であり,近年ではトランスカルチユラル精神医学Transcultural Psychiatryの研究が新興の分野として登場し,本邦でも,荻野ら80)および寺島115)による総説が生み出されるほどになっており,土居14),木村45)による日本人論と関連づけての精神医学的考察も登場した。これらの方法は,いずれも他国民(人種)問の文化,精神現象の比較考察を行なうものであり,それと対応する文化科学上の領域は,民族学および文化人類学であるといえる。これに対して,民俗学Volkskunde,folkloreの研究は,同一文化,人種の中で生起する事象の考察を特徴とするものであり,民間伝承,民具,民芸などを素材にして,民俗文化の歴史的由来を明らかにすることにより,自分たちの生きている社会の基層文化の性状を解明する学であるとされる。この種の学問の先鞭をつけたものにGrimm(独)24),Perrault(仏)の童話の蒐集があり,更にFrazer, J. 19)の『金枝篇』(“The Golden Bough”)の中にVoikskundeの西欧的特色を窺うことができる。しかし,日本においては,柳田国男および折口信夫によって確立された日本民俗学の伝統が精彩を放っている。
 日本民俗学は,西欧文化に比較して,かなり古層に属する伝統的文化の生きている時代に,新しい学問的方法による分析が,しかも同一民族・同一文化に属する研究者によってなしうるという状況に恵まれて,特殊の開花をとげたものである。中でも柳田は,その生涯を通して,東北や南島の文化の中に原日本の姿を求め続けた。彼の初期の研究は,各地の民話の採取であり,ついで折口は古代神話や,古代宗教の研究,更に渋沢は民具を中心とした研究,宮本は民俗の生活習慣の研究など多くの分野に発展し,ことに柳田学は,日本人心性の探究にも大きな足跡を残すことになった。その点で柳田民俗学は,日本独特のものであるとともに,その学問的集積は世界の水準を抜くものであるとされ,政治学,社会心理学,文学研究など他の諸領域にも大きな影響を与えている。

研究と報告

慢性精神分裂病における血清クレアチン・フォスフォキナーゼ活性に関する研究

著者: 有岡巌 ,   浅尾之彦 ,   和多田裕 ,   水原哲生 ,   中野志隆 ,   松岡洋一 ,   梅垣健三

ページ範囲:P.1047 - P.1052

Ⅰ.緒論
 近年,精神病患者において,血清クレアチン・フォスフォキナーゼ(SCPK)の活性亢進をみる場合があるという報告がされてきている。そして,更に関心をひくことは,その亢進が,おもに筋型分画の活性亢進にもとついているということである4〜8)
 この活性亢進は,ことに,急性精神病の状態において,その頻度が高く(特に高いとはいえないとは思えるが1)),また,その亢進した値は,慢性状態における場合よりも有意に高いとされている4,6,8)。このようなことから,Meltzer3)は,SCPKの値を測定することが,精神病に関する化学的検査になるとした。

社会的側面からみた心気症の発病状況—うつ病との対比

著者: 東村輝彦 ,   神谷重徳

ページ範囲:P.1053 - P.1057

I.はじめに
 われわれ1)は,先に神経症の比較精神医学的な調査を行ない,心気症を,うつ病とともに現代の社会の動きをなんらかのかたちで反映する病像であると考えた。そして,その社会的背景として「未来に期待を持ち得ない状況」と「攻撃性を抑圧せざるを得ない状況」という2つの要因を指摘し,それにつき若干の見解を述べた。今回は,心気症の発病状況を,社会的側面から,うつ病の発病状況と比較検討するのが目的である。うつ病の発病状況については,いろいろな視点からの検討がなされているが,われわれもまた,笠原ら2)が指摘する職業生活上の変化,家族構成における変化,居住状況の変化などが重要なことを知っている。仮に,このような変化を空間的配列の変化として把えるならば,心気症者の周辺にはそのような変化があまりにも少なく,またあったとしても発病に関与しないことに気付く。それらの点に関して症例をあげて若干の考察をこころみたい。症例は山田赤十字病院在職中の症例である。

「痛み」の心理的側面—特にPain Behaviorについて

著者: 丸田俊彦

ページ範囲:P.1059 - P.1064

I.はじめに
 医学専門分野の細分化に伴い,各分野における専門医が求められるとともに,最終的なところで愚者の全体像を把握,治療する立場の医師が求められている。殊に,病状が心理的要因を含む時,精神科医がその最終的立場に立たされることは少なくない。
 痛み,中でも慢性の疼痛は,その代表的なものの一つであり,Mayo Clinicの場合,精神科への依頼患者の3分の1は,「器質的診断(organic diagnosis)の得られない慢性疼痛」である1)。いまだ純精神科的疾患以外のものに対する精神科的検索が一般化していない日本の場合,疼痛を主訴とする精神科外来患者は約10%である2)から,Mayo Clinicにおける「痛み」患者の占めるこの高い比率は,奇異に感じられるかも知れない。しかしながら,痛み,特に慢性疼痛の心理的側面を考える時,精神科と,内科,神経内科,整形外科,外科などとの協力体制は必然的なものであり,しかも,これらの各科において痛みの頻度が高いことを考えると,精神科において痛みの訴えの多いことも,不思議ではない。

発病状況に性愛の問題のみられた分裂病の2症例

著者: 稲浪正充

ページ範囲:P.1065 - P.1070

Ⅰ.まえがき
 性愛体験が分裂病圏の病態の発症にいわゆる心因的に作用したと思われる場合のあることはよく知られており,日常の臨床においてしばしばみられるところである。そのなかには単に発病に前駆したというだけで,発病後の病像の内容とはならないような性愛体験もあるが,しばしば発症に先立つそれは,病像の内容となるとともにその形式をも規定する。その意味でかかる現象は妄想論上興味深い課題であり,その精神病理学的研究はClérambault2)以来数多い。しかしながら一口に恋愛妄想といっても多様多彩であって,現実には容易に整理しがたい。例えば実現性のうすい恋愛を主題とするErotomanie pure(Clérambault)などに我々はめったに出会わない。多くの場合むしろ身近かな異性を対象とする症例である。最近,Pauleikhoff17)は20代以前,20代,30代というように年齢区分によって考察を加えているが,これも恋愛妄想の多様性のためといえよう。たしかに青年と中年と恋愛妄想は特徴を異にする。しかし同じ青年期であっても男女の場合の差も注目されてよいだろう。Pauleikhoffは恋愛妄想は元来女性のものであり,男性例は例外的にしかないといっている。これは欧米の諸家が一致して認めるところだが,わが国の臨床では男性例は必ずしも少なくない。大学生の精神衛生にかかわっている経験からしても,そのことははっきりいえる。
 要するに,恋愛を起始とし,おおむねそれのみを内容とする妄想状態には一概に論じられぬ多様さがある。その整理のためにはいくつかのアプローチが考えられようが,ここでは青年男女の分裂病例をそれぞれ1例ずつあげ,若干の考察をこころみたい。

分裂病様症状と脳波異常を伴う尋常性魚鱗癬の1例

著者: 根岸達夫 ,   中山宏 ,   日下部康明

ページ範囲:P.1071 - P.1075

I.はじめに
 尋常性魚鱗癬(Ichthyosis vulgaris)は遺伝性皮膚疾患で,時に精神神経症状を伴うことが知られている。尋常性魚鱗癬に精神神経症状を合併した症例としては,1927年Rud1)によってけいれん発作を伴ったものが初めて報告され,その後尋常性魚鱗癬,精神薄弱およびてんかんの3徴候を有するものをRudの症候群と称している。一方1939年Laubenthal2)は尋常性魚鱗癬の21家系458人を調査して,合併症として循環性の精神障害と精神薄弱が特に多く,やせ,肥胖,糖尿病などの内分泌障害もみられたと述べた。本邦でも鳩谷3)(1953),井上ら4)(1958),松本ら5)(1963),村上6)(1966)の報告がある。またSjögrenとLarsson7)は1957年先天性魚鱗癬に精神薄弱と痙性対麻痺を伴った28例を報告した。その後同様な一連の症状を示す症例はSjögren-Larsson症候群として報告されている。
 われわれも強迫症状,不潔恐怖,無為自閉,不関など特異な精神症状と脳波異常を伴った尋常性魚鱗癬の1例を経験したので報告する。

慢性アルコール中毒患者にみられたペラグラ—14例の臨床および病理所見

著者: 石井惟友 ,   西原康雄 ,   堀江昭夫

ページ範囲:P.1077 - P.1086

I.はじめに
 慢性アルコール中毒患者にみられる神経疾患としては数多くのものが知られているが,そのうち病理学的に比較的はっきりした特徴のみられるものには,Wernicke-Korsakoff syndrome,Cortical cerebellar degeneration,Central pontine myelinolysis,Marchiafava-Bignami disease,Pellagra,Peripheral neuropathyなどがある1〜6)。これらは患者の食餌摂取の不十分,慢性胃炎その他の胃腸障害による栄養不足,特に種々のビタミン欠乏を来し,その二次的な脳神経障害と考えられている。また慢性アルコール中毒患者は,頭部外傷を受ける機会も多く,慢性硬膜下血腫を疑うことも忘れてはならない。憂に肝硬変をはじめとする種種の肝疾患も多く合併してみられhepatic encephalopathyも考えねばならない。
 われわれは,福岡県筑豊地区において,過去8年間に,47例の慢性アルコール中毒患者の剖検を行なった。そのうち14例に特異的な臨床経過と脳病理所見を呈するものが見出され,これらはペラグラと思われるので,臨床および病理所見をあわせて報告する。

古典紹介

—J. H. Jackson—Evolution and Dissolution of the Nervous System (Croonian Lectures, 1884)—第2講

著者: 越賀一雄 ,   船津登 ,   清水鴻一郎 ,   角南健

ページ範囲:P.1087 - P.1099

 この講義の中で,附随的に私が述べたいことは,神経中枢に一つの階層制があるということであり,それが進化の理論と一致していると私は信じている。私はいつも神経系の形態学的区分,脊髄,延髄等々に従って神経中枢を配列してきたのである。ここで私はそれらを解剖一生理学的基礎の上に,特にその各々が身体,またはその一部分を表している間接性の程度に従って配列するのである。最も下等な,即ち最下位の運動中枢は,脊髄の前角であり,より高等なものとして頭部の運動神経のそれぞれの核がある。それらは最下位の脊髄の前角から眼筋の核へと拡がっている。それらは最下位の大脳の中枢であるとともに最下位の小脳の中枢でもある。従ってそれらの障害はそれらが表示(represent)している部分を中枢神経系全体から切断するのである。私はここでは小脳系のことにはふれない。最低中枢は最も単純で最も器質化された中枢であり,それぞれは身体のある限定された領域を間接に表示しているが,しかしそれは間接的というよりもほとんど直接的に表示しており,それらは表示するもの(representative)なのである。中間の運動中枢はFerrierの運動領域を形成する回転である。これらはより複雑であり,より器質化されておらず,身体のより広い領域を二重に間接的に表示しており,それらは二重表示的(rerepresentative)である。最高運動中枢はいわゆる運動領域の前方の回転である。ここで"いわゆる"と私がいうのは,長年にわたって脳の前頭部位全体が運動性,または主として運動にかかわっていると信じ,かつ主張してきたからである。
 原注1)「いろいろな事実からみて,脳の前方の部分は心の運動面に役立っており,後方の部分は心の感覚面にかかわっていると考えてよいであろう」―British Medical Journal,1869年。

動き

欧州の児童精神医学事情—Ⅰ.欧州学会の報告と独・仏・英の現況

著者: 作田勉

ページ範囲:P.1101 - P.1108

I.はじめに
 児童精神医学は,小児および思春期の精神障害を取り扱う医学部門である。日本では,未だに一般精神医学内の一部門として研究および診療がなされているが,欧米では既に一つの独立した医学部門として扱われている。歴史的にみると,一般精神医学および小児科学から次第に分離したものであり,完全に独立してから諸外国においても未だ日の浅い新しい学問である。しかし,内容的には,精神医学,心理学,教育学,社会学,などの広い分野を包含している。ところが,諸外国事情の紹介が少ない。そこで,筆者は,昭和50年6月から7月にかけて「第5回欧州児童精神医学会」に参加し,その後,欧州各主要大学の児童精神医学教室を1カ月余にわたって訪問する機会を得たのでここに紹介する。

資料

「ペンシルバニヤ癲狂院長閣下ニ送ル答辯書」に想う—日米交流の事始め

著者: 鈴木芳次

ページ範囲:P.1109 - P.1120

 昨年京都における日本医学会総会の折に開催された「京都の医学史展」の中に〈癲狂院資料〉も展示されるというお便りを守屋正先生からいただいたので,早速京都府立総合資料館に出かけたところ,それは半紙大の左半分は看病人の心得,右半分は新設工事仕様書の表書が見開きになって展示されているだけであったのには全くがっかりしたのである。それも幸いに案内役の奥川富士子夫人がちょうど望遠鏡を持っていたので,それによって陳列ガラス越しにやっとのことで判読できたような次第であった。
 この所蔵者の清水三郎先生の経営する財団法人川越病院(京都市左京区浄土寺馬場町48)には,その前身である私立癲狂院(京都府立癲狂院継承)の開院式(明治15年)における京都府知事北垣国道の祝辞の全文が扁額になって掲げられていることを知っていたので,急拠雨の中を拝見に参上したところ,幸い清水院長はおられて,前記の展示された雑書綴は15年前に偶然に邸内から発見されたものであって,その中には明治時代にアメリカ合衆国のペンシルバニア精神病院から日本の精神病者および精神病院に関しての17ケ条の質問書が来たのに対しての回答書の原稿も入っているとのお話なので,なぜ,このような貴重な文献を説明を付けて表面に出しておかなかったのかと,大変遺憾におもったのである。

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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