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雑誌目次

雑誌文献

精神医学18巻11号

1976年11月発行

雑誌目次

巻頭言

精神障害者の社会復帰

著者: 金子仁郎

ページ範囲:P.1134 - P.1135

 精神障害者の社会復帰がとなえられてから,かなりの年月を経過し,最近でも,しばしばそのことが叫ばれながら,実効があがらない。精神病院での平均在院日数は,ますます延長し,軽快して退院も可能な患者が,家庭の受け入れが悪く,あるいは住宅がなく,また職業につきにくいこともあって,在院を余儀なくされる者も多い。
 また,折角退院した患者が,就職口がないために,家庭でぶらぶらし,厄介者扱いにされ,たまに就職しても,職場に十分適応できず,服薬中断なども加わり,再発し再入院することも多い。ことに,最近のような経済不況の際は,まっさきに人員整理の対象にされるのである。

特別講演

てんかん患者の手術適応

著者: ,   大熊輝雄

ページ範囲:P.1136 - P.1146

はじめに——てんかんの有病率
 一般人口のなかでのてんかんの有病率prevalenceは,数年前までの精神医学や神経学の教科書,成書では,だいたい0.5%であると考えられてきました。しかし,1972年にアメリカ合衆国のNational Institute of Health(NIH)の指導のもとに行なわれた一斉調査では,少なめに見積っても2%はあることがわかりました。その翌年ニューヨークで行なわれたEpilepsy Foundation ofAmericaによるさらに詳細な検討によって,この2%という有病率はきわめて事実に近い数字であることが確かめられています。そこで,もしこの2%という数字を私が住んでいるカナダのブリティッシュ・コロンビアに適用しますと,ブリティッシュ・コロンビアは人口が約200万ですがら,その2%,約4万入のいろいろな形のてんかん患者がいるということになります。また数年前に国際抗てんかん協会International League against Epilepsy(ILAE)のsecretary generalであるK. Penry博士と彼の同僚たちが行なった研究によると,アメリカ合衆国では毎年約7万人の新しいてんかん患者が生まれているということです。その数から推論すると,私の住んでいるブリティッシュ・コロンビアでは,毎年少なくとも700入の新しいてんかん患者が生まれてきていることになります。
 いま申しあげた数字が,本当の意味でのてんかんの有病率を示すかどうかについてはいろいろ複雑な問題があるかと思いますが,これが単なる近似値に過ぎないと考えたとしても,2%という数字に,年毎に増えてきている自動車事故による頭部外傷に由来する外傷性てんかんや,出生前,出生時,新生児期におけるいろいろな脳障害に由来するてんかんなどを加えて考えると,非常に大きな数字になると思います。そういう意味では,てんかんの問題はわれわれ医学者として医師としての問題であるだけでなく,社会的な,あるいは国の経済的な問題としても,非常に大きなチャレンジであろうかと思われます。

研究と報告

精神分裂病の再発に関する調査

著者: 増野肇 ,   新福尚武 ,   有安孝義 ,   林信人 ,   矢内伸夫 ,   藍沢鎮雄

ページ範囲:P.1147 - P.1154

I.はじめに
 薬物療法の進歩は,これまでなすすべもなく精神病院内に沈澱していた分裂病患者の社会復帰を促進するとともに沈澱すべき分裂病患者を減少させることに貢献したが,再発に対しては認むべき効果がなく,むしろ再発防止の困難さを印象づけることになった。内外における分裂病の予後に関する研究を見ても,戦前の調査1〜3)は主として退院後何年か経過した時点での実態調査に重点をおき,その時点における状態を捉えているもののそのあいだにおける経過,特に再発の有無についてはふれていない。それに対して,戦後の調査4〜6)はむしろ再発の有無,その発生様式や関係因子の解明に大きな関心を向けているが,そのことにも薬物療法時代における可発問題の重大さが示されていると考えることができる。
 一方,分裂病の発病のメカニズムがいまだはっきりとしない現在,再発のメカニズムの研究を通じてそれに迫る道も示唆される7)
 以上の理由から,著者らは分裂病の再発の調査にとりかかることにしたが,調査期間を退院後6年とした。それは,これまでの蜂谷4),大熊5)らの調査では退院後の経過観察期間が1〜6年および3〜8年で,かなりの幅があるうえ,平均3年となるが,それでは不十分と考えたからである。

破瓜型精神分裂病における自我機能の変化について

著者: 吉永五郎

ページ範囲:P.1155 - P.1163

I.はじめに
 精神分裂病の臨床精神病理学的研究では,幻覚-妄想論が,これまでの中心テーマであった。しかし,実地の臨床経験からは,幻覚や妄想などの異常体験が,分裂病に必ずしも特異的ではないことが意識され,疾患の本性にかかわる知見としてAutisrnus(Bleuler, E.)3),Praecoxgefühl(Rumke, H. C.)16)などが注目されてきた。
 K. Conrad4)は,Gestalt分析により,全体性原理Ganzheitsprinzip11)にもとづく方法を分裂病の精神病理に導入し,妄想問題を中心に臨床的解明を試みた。しかし,体験記述が得にくく,人格変化の著しい破瓜型分裂病に対する接近は十分なものでなかった。

精神分裂病における接触性について—1症例を通して

著者: 豊田雄敬

ページ範囲:P.1165 - P.1170

I.はじめに
 入院,外来を問わず,臨床場面でわれわれには接触性が問題になるけれども,単に接触性なし,悪し,良しという表現を用いるだけだった。患者との出会いの中で接触性がどの程度なのか考えながら,治療を進めねばならない。
 われわれは臨床で,たびたび使用するこの言葉を,具体的に,段階的に把握できないものだろうか。一つの試論として,治療者から患者へ向かう言語表現と,患者からの反応を中心として,接触性について段階的分類を試みた。1症例を通して接触性が如何に変化してきたかを考えてみた。

致死性緊張病の1例について

著者: 岩瀬正次

ページ範囲:P.1171 - P.1180

I.はじめに
 いわゆる致死性緊張病(tödliche Katatonie)とは1934年Stauder1)が初めて記載した疾患名である。彼は,本疾患は若年者に急激に発病し,高熱,緊張病性亢奮,昏迷,時に意識障害を示し,肢端チアノーゼ(Akrozyanose),脈搏微弱,出血性素因を伴い短期間の経過で死亡し,臨床的並びに病理解剖学的検索によるも死因不明であると報告した。このような疾患概念は,歴史的には既に1832年Calmeilによって報告されており2),1929年にはScheidegger3)が43症例報告している。Stauder以後Jahnら4)(1936)も致死性緊張病として報告しているが,別にfebrile zyanotische Episoden(Scheid,19375)),Exhaustion syndrome(Shulack,19466)),Delirium acutum(Lingjaerde,19547)),perniziöse Katatonie(Knoll,19548)),lebensbedrohliche Katatone Psychose(Huber,19549))などの種々な名称の下に諸報告がある。
 このように,疾患名が報告者によってかなり異なるのは,本疾患が未だに疾患単位であるのかあるいは症候群であるのか,統一的な見解がなく,病因あるいは本態が全く不明であるためである。臨床的ならびに病理解剖学的な検索によっても,多彩な臨床症状に対応する身体的基盤が不明で,致死的な経過にもかかわらず,脳および一般臓器に器質的病変を欠くことが致死性緊張病の基本的特徴でもあるといえよう。もっとも,臨床経過が致死的であるかどうかに関しては,報告者により若干の差がある。Stauder1),Jahn4)らは致死的(tödlich)と形容したが,以後の研究老は必ずしもこの言葉を疾患名に使っていない。しかし,perniziös(Knoll)8)とかlebensbedrohlich(Huber)9)とされているのは,本疾患過程が致死的でないとしても極めて重篤であることを示している。

Pick病における失語症について—自験3症例と本邦報告例49症例の検討

著者: 小阪憲司

ページ範囲:P.1181 - P.1189

I.はじめに
 Pick病は,Alzheimer病とともに,初老期痴呆症の代表的疾患であり,ともに特有な臨床症状と神経病理所見を示す疾患として知られている。一般に,Alzheimer病では失語・失行・失認などの大脳巣症状が出現しやすいが,Pick病では出現しにくいといわれ,このことがむしろ両者の鑑別点の一つにさえ数えられている。しかし,実際にはPick病でも側頭葉や前頭葉の巣症状を示すのが普通であり,特有な人格障害・言語機能の障害・痴呆がその三大症状といえよう。
 ここでは,Pick病の言語機能の障害,特に失語症に焦点をあて,自験3症例(2剖検例と1臨床例)を報告するとともに,本邦における剖検報告例49例について検討し,更に失語症と病変部位との関連についても検討を加え,若干の見解を示すことにする。

アルコール離脱症状としての振戦せん妄を発症した慢性アルコール中毒の1症例

著者: 小片寛 ,   小宮山徳太郎 ,   庄田秀志 ,   中沢信之

ページ範囲:P.1191 - P.1197

Ⅰ.序論
 われわれはアルコール禁断症状の発現を長期のアルコール乱用の結果として経験的に理解してきた。しかも,禁断症状としては身体症状および神経学的症状に重点がおかれ,精神症状は禁断症状と推測されながらもなおacute alcoholic psychosesとして把握される傾向があった。更に,アルコール中毒の臨床診断基準の1つとして飲酒による家庭・社会生活における対人関係の破綻と逸脱行為が安易に使われてきた。
 第1の問題については,近年わが国でもいわゆるalcoholic psychosesのいくつかがアルコール離脱による一過性の禁断現象であることが紹介されてきた10,15,19)。しかしなお,その認識が充分であるとはいえない。

嗜癖者の病跡学的研究—その2 葛西善蔵について

著者: 米倉育男

ページ範囲:P.1199 - P.1205

 私は,嗜癖状態を呈した作家を病跡学的に検討することによって,嗜癖者の精神病理学的解明,およびその臨床的寄与を企図し,さきに田中英光について報告した1)。今回は,その第2報として葛西善蔵をとりあげる。

古典紹介

—J. H. Jackson—Evolution and Dissolution of the Nervous System (Croonian Lectures, 1884)—第3講

著者: 越賀一雄 ,   船津登 ,   清水鴻一郎 ,   角南健

ページ範囲:P.1207 - P.1220

 私はいままでは大体において,精神と神経の状態の間にある区別を無視してきた。いまこれについて特に考えてみよう。Spencerがいっているように,「進化の理論はその純粋に学問的形態としては,その反対者がしつこくそうだと考えているようであるが,決して唯物論を含むものではない」ということをここで注意しておくのがよい。Spencerは唯物論的仮説など「全くとるに足らぬ」ものという。Spencer,Huxley,Tindallを唯物論者とよぶのはSir Joseph Listerを滅菌外科の反対者であるというのと同様に不条理なことである。Spencerはしばしば意識の状態と神経の状態との問の絶対約な区別を主張している。ここにその最も明瞭な言明がある。Spencerは精神と神経の状態の組み合わせがますます複雑になっていることを考慮したのちに,次のように記載している(Psychology,vol. i,p. 403):「もちろん私は物質の働きがそのように精神作用になるとは思わない」。その本のSektion 41-51,62,63でいわれているように,"我々はどんなに努力しても心と運動とを同化させることはできない"。私は単にある物質的な進化と,それに相関する心的進化の間に1つのparallelism(平行論)があることを示しているにすぎない。たとえ誰かが物質的なもの,即ち神経系統について完全に唯物論的であろうとしても,全く物質的でない心について唯物論的になれはしないのである。人間には心と体とがある。あるときには,ある1つのことをするという原理にたって,この講義では私はまず身体だけについて述べようと思う。人間はこれを物的にみれば,1つの感覚—運動のメカニズムである。特に私の主張したいことは最高中枢——心または意識の身体的基礎——はこの種の構造をもっており,その中枢は体のあらゆる部分の無数の異なった印象や運動を表示しているということである。しかしそれは極めて間接的に表示しており,ちょうど腰椎の拡大部(lumbar enlargement)が比較的に少数の限局された分野のみしかほとんど直接的に表示していないのと同じく確かなことである。最高の中枢は"心のために"(for mind)あるとは答えられるであろう。これを認めるといっても,それは,それらの中枢が心の物質的基礎を形成しているという意味においてであり,私は,それらの中枢が"体のため"(for body)にあるともいえるのである。もし進化の理論が真理であるならば,あらゆる神経中枢はすべて感覚—運動性の構造をもっておらねばならない。もし最高中枢が,より下級の中枢と同様に細胞や繊維からなっているようにこれと同じ構成をなしているとすれば,その最高中枢もまた同じ構造をもつと考えるのがアプリオリに正しいと思われる。あるレベルにおいて,我々がそれを進化の1つと呼ぼうと呼ぶまいと,ある突然の変化がいろいろの種類の構造の中心に入りこむのであればそれは驚異であろう。1つの神経系の最高中枢がより低い中枢より極めて複雑であることが,そんなに非常な相違であろうか?数年前に,私は次のような問題について尋ねたことがあった。即ち,いろいろいろな運動と印象とを表す過程からでないとすれば,心の器官はどのような"実体"(substance)からなっているというのか?と。そして印象と運動との時間と空間のうちで,より以上に相互に複雑に協調していることを表す部分としてより以外に,どのようにして,けいれんが低い中枢からくるのと異なっているといえるのであろうか?我々は,大脳半球が運動〔および感覚性〕の経路と根本的に異なった面において形成されていると信ずることができようか?(St. Andrews Medical Graduates' Reports,1870. 1巻 p. 26参照)。HitzigやFerrierの研究以来,けいれんは脳の中心領域(私はそれを中位運動中枢と呼んでいる)にその運動を表示していると認められてきた。特別な理由もなく,次のように問われることもあろう。即ち,何故に脳より前方の部分,前頭葉(私はこれを最高運動中枢と呼んでいる)がその運動を表示してはいけないのかと。事実,最近FerrierとGerald Yeo(Proceedings Royal Society, Junuary 24,1884)とがサルについての実験から,前頭葉がある運動を表示しており,特にそれらが眼球や頭の側方運動であり,あらゆる運動の中で最も代表的なものである(representという言葉の別の意味で)という結論を示したのである。これは最も有意義なことである。というのは多くのてんかんの発作(paroxysms)(その放電は最高中枢のある部分に始まるものであるが)が眼球と頭とを一方に向けることから始まるからである。そしてより意義のあることは,我々がBeevorの観察をよりよく憶えておくことであって,その観察というのは,てんかん発作後の昏睡の多くの症例において,眼球が,初期の発作のとき向いていた一側から,眼球が極めて一時的に横にそれることがあるという事実である。しかし一方でFerrierは,脳の前方部全体が運動性であるという点で私の考えに同意しているのであって,彼の言葉でいうと「精神的操作(mental operation)は最後まで分析していけば,結局は単なる感覚と運動の実体(substrata)になってしまうのであり」(大脳の機能),それは私が長い間真剣に主張してきたことであるが,また他方彼は運動中枢を中位の大脳運動中枢と最高の運動中枢と分かつ二とには同意していない。そしてFerrierは私が最高運動中枢と呼ぶものは,ただ眼球と頭の運動のみを表示しており,私のいうように身体のあらゆる部分の運動を表示しているとは考えていない。
 更にくわしく説明するとなると,私は大部分,運動についてのみ述べなければならない。何とならばけいれんが印象(あるいは,不明確に感覚とか,感覚の結合した観念といってもよいが)を表示することは誰も否定した人はなかったと私は信じている。もし最高の中枢が運動を表示していないとすれば,普通のてんかん発作症状(epileptic fit)の現象は私には分からないものにみえる。更に私は,最高中枢は身体のあらゆる部分の印象や運動を表示していると考える。印象を無視してかかれば,このような立場は非常に色々と異なった証拠によって支持されるように私には思われる。

紹介

リチウムの副作用と中毒—機序,治療,予防

著者: ,   清水宗夫

ページ範囲:P.1221 - P.1228

I.はじめに
 リチウム(Li)の薬理学,毒物学,臨床的使用などにおける関心は最近おどろくほど高まっている。この5年間をとっても,Liに関する生物学的,医学的文献は約2,000から4,000へとふえてきた。Liの治療と研究に関するいくつかの展望と分担執筆による2つの本が現在発行されている(Chazotら1972;Denikerら1972;Dufourら1972;Laboucariéら1972;Darcourt 1973;Dreyfussら1974;Pitonら1974;Schou 1974;Shopsin, Grshon 1974;Denikerら1975;Johnson 1975;Schou 1975;Sutterら1975;Tissot 1975)。この展望は次の諸点に問題をしぼった。即ち生体からのLiの排泄,中毒を予防することの重要性,即ちLiの副作用と作用機序,その治療と予防および他の薬物との相互作用などである。
 Liの治療への応用はこれらの評論の範囲外であるが,薬物の薬理学や毒物学はその臨床的使用に照らして研究されなければならない。現在Liの臨床的使用に関しては,躁病の治療的使用と双極性,単極性を問わず再発を繰り返す躁うつ病の予防的使用との2つが十分に確立されている。その他反復する情動分裂病,一部のうつ病,病的情緒不安定,周期性の病的攻撃性,甲状腺中毒症,甲状腺癌(放射性ヨードとの併用で)などに対してもかなりよい結果が得られている。その他の精神科領域や精神科以外の使用についてはまだ十分に確立されていない。

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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