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雑誌目次

論文

精神医学18巻3号

1976年03月発行

雑誌目次

巻頭言

精神保健教育

著者: 堀要

ページ範囲:P.230 - P.231

はじめに
 精神医学者が協力を求め,または求められる専門職は多種に及んでいる。精神医療の実践においては,精神科医は他専門職者と臨床チームを組まなければならないことがほぼ当然化してきている。その上に,医学領域内でも,臨床実践と臨床的研究で,精神科領域と他専門臨床領域との接触交流の緊密さがますます増大の傾向にあると思われる。かくて医学教育における精神医学教育の在り方についての改めての検討の必要性のみならず,精神医学者が,精神医学者として他専門職者の教育に,どう参加することが最ものぞましいかということも,現代の重要な課題であると考える。

展望

神経症および心因反応の概念—疾患分類学的考察

著者: 諏訪望

ページ範囲:P.232 - P.243

I.はじめに
 神経症と心因反応はしばしば混同して用いられる概念であるが,この両者の関係を整理することは必ずしも容易ではない。心因反応という概念が比較的新しいものであるのにたいして,神経症という概念は比較的古く,しかも現在に至るまでの変遷の経過はきわめて複雑である。
 神経症や心因反応の概念を問題にする場合には,まず"精神疾患とはなにか"という基本的な設問から始めなければならないかもしれない。しかし精神疾患と呼ばれている実態が現存している限り,その事実から出発して,それぞれの実態を概念的に整理するという方法も成立するはずである。

研究と報告

昼間病室における精神分裂病治療の経験—生活臨床の立場から

著者: 伊勢田堯 ,   石川辰夫 ,   中沢正夫

ページ範囲:P.245 - P.253

I.はじめに
 この研究は“デイ・ケア論”についてではない。したがって,デイ・ケアの歴史,制度,建物,治療スケジュールなどいわゆる,デイ・ケアの枠組について多く触れるつもりはない。主たる目的はデイ・ユニットにおける分裂病治療そのものについての我々の経験と教訓を述べることにある。
 はじめに,このようにことわる理由は従来のデイ・ケアの実践報告1,2,4,8,9)の多くが,その経済的要因や施設・設備,治療スケジュールなど主にその制度上のいわば医療の枠組の報告に重点がおかれている印象を受けるからである。例えば,加藤,石原らのまとめた「デイ・ケアの実際」6)は諸外国の現状および特にわが国での到達点を多面的に検討した労作であるが,それを通覧しても,デイ・ケアの意義,規模,患者の適応,治療プログラムなどに論述の力点がおかれ,デイ・ケアの実際,治療場面の論述になると,やや精彩を欠く憾みがないわけでもない。

児童生徒に流行した「こっくりさん遊び」について—第1部 集団ヒステリーを招来した事例

著者: 日下部康明 ,   中沢正夫

ページ範囲:P.255 - P.259

 以前から行なわれ,最近特に流行傾向を示した占いの一種である「こっくりさん遊び」により集団ヒステリーを招来した事例について報告した。このヒステリー症状は催眠,並びに膝関節痛であったが,その症状発現に,その占いの目的,グループ形成の有無などグループ・ダイナミクスが関与していることを,症状発現した同学校同学年の2組間を対比させることにより明らかにした。

隠岐島の精神障害に関する比較文化精神医学的研究(第1報)

著者: 福間悦夫 ,   井上寛 ,   梅沢要一 ,   挾間秀文

ページ範囲:P.261 - P.268

I.はじめに
 Kraepelin, E. 8)は1899年内因性精神病を早発性痴呆と躁うつ病に分かつと同時に,文化的因子が精神病の発生頻度,症候学に影響を及ぼすのではないかと考え,1904年みずから,東南アジアにおける調査を行なったことは広く知られている。彼はその新しい分野を"Vergleichende Psychiatrie"と呼んで,現在における比較文化精神医学の基礎をつくった。
 そしてその後,同じ発想に基づく研究が各地域で数多く行なわれてきた。
 Pfeiffer15)(1971)は東アフリカ,東南アジアなどに妄想型分裂病は存在するが,妄想内容は超自然的なものが多く,文化が高度に発達した社会では妄想型分裂病に不安,抑うつなどの感情障害を主体にするものが多いと述べている。また,Katzら7)は,それぞれの文化的背景によって,症状に変化をもたらすことを述べ,またLambo, T. A. 9)は精神分裂病と境界線例の症状の比較文化的差異について,社会文化的因子が強力な場合,症候学上二次的加工をもたらし,精神病理学において決定的な地位を占めるある種の"症候群"を決定すること,この二次的加工は精神分裂病において特に著明になることを報告している。

青春期危機について(その2)—青春期において尖鋭化された情動病理の2型について

著者: 頼藤和寛 ,   清水将之

ページ範囲:P.269 - P.275

I.はじめに
 前帳では,危機を一般的に論じ,人間存在の様相を危機という断面で捉えた構造を仮説的に提示し,それが青春期に強調される事情を述べた。
 いかなる症例においても,経歴状況分析を詳細にすればするほど,危機構造は明瞭に浮き彫りにされてくるが,一方当然のことながら,どうしても了解しきれぬ残滓が遺される。これを,「内因性」とするか,個有の宿命や偶然に帰するか,あるいは人間性の神秘という不可触の型域として手をつけぬかは,観る者の世界観の問題になる。我我が為すべきことは,対象の人生をどこまで読み込めるか,どこまで人間性の地平内で了解の射程を伸ばしうるかという課題に取り組むことである。

子供の精神病を疑う親の事例

著者: 大原富美夫

ページ範囲:P.277 - P.283

I.はじめに
 本論文は,自分の子供が精神病であることを心配する親の事例研究である。なおそのことを通して,精神病診断に対する一般人の反応,またそのことの精神医療上の意義についても考察を進めようと思う。
 筆者は神奈川県立精神衛生センター(以下センターと略称)において,約3年間精神衛生相談に携わってきたが,自分の子供が精神病ではないかと心配して相談に来所する親が非常に多いことに興味を覚えた。ちなみにセンターに相談に来所したケースのうち,精神病を疑って来所したケースの占める割合を見ると次表のようになる1)

自己臭体験における身体像境界の障害—ロールシャッハ法による検討

著者: 木場清子 ,   榎戸秀昭 ,   越野好文

ページ範囲:P.285 - P.292

I.はじめに
 「自分の身体から不快な臭いが出ているため,他人に迷惑をかける」と訴える患者が,わが国であらためて注目されるようになったのは,足立1),鹿野ら2)および高良ら3)の報告が相次いだ1960年以降である。足立は人間学的立場から患者の現存在を問い,鹿野らは臨床的研究にもとづいて慢性幻嗅症と名づけた。それまで神経症に含まれるか,分裂病の多彩な症状の中に埋れていた本病態を,彼らはそれぞれの観点の中で,一つの疾患単位としてとらえようと試みている。その後,中沢4),宮本5),植元ら6,7)およびその他8〜12)によって様々な方向から検討されてきたが,笠原ら13)は1972年に『正視恐怖・体臭恐怖』を著わし,これまでの文献的考察や〈自我漏洩性分裂病〉試論などを公にした。彼らは本病態を「自己臭体験」と呼んでいるので,我々も以下の理由からそれに準拠している。すなわち,冒頭に記した訴えをもつ患者達は神経症レベルにある者,より妄想的色合いの濃い者,さらに経過中に分裂病へ移行していった例など,臨床的に種々の段階にあると考えられるので,いくらか広い意味を持ち,訴えの特殊性を内包している「自己臭体験」という表現が適していると思われる。
 ところで,1971年夏に「自己臭」を主訴とする患者4名が相次いで入院して以来,我々はこの種の症例について検討してきた14)が,「自分の身体の一部から,自己の統制を離れて恥ずべき臭いが出て行き,他人を不快にさせる」という訴えは,自己の身体像に関する否定的な認知であると同時に,自己と外界とを区別すべき身体像境界が曖昧になっているからではないかと考えるに至った。すでに藤縄ら15)もこの体験様式に注目して,「自我と外界との境界の障害である」と指摘している。

アルコール中毒者の心理テストによる要求水準と性格特性ならびに予後評定との関連について

著者: 葉賀弘 ,   谷直介 ,   加藤伸勝

ページ範囲:P.293 - P.301

I.はじめに
 過度の問題飲酒による結果アルコール中毒と診断され,通院あるいは入院治療を受けるという事実は,その個人にとっては人生の一時期における失敗体験として認知されるが,同時に治療を求めることは失敗体験からの脱出試行とも考えられる。
 多くの治療中のアルコール中毒者は,全く病識を欠く者は別として,健康時の生活状態を再獲得するために,また再び失敗をくり返さないためにも断酒という目標に向かって勢力しようとする傾向と,なおも酒との繋りを求めるが,アルコール中毒には陥らないように適度に飲酒し,断酒は避けたいと望む傾向とがあり,この相反する両傾向が拮抗し合う迷いEntschlusslossigheitの状態にある。Lewin, K. 10)は成功を求める力,失敗を避けようとする力は,個人の過去の成功,失敗体験,願望と不安,集団の標準,文化および性格などによって規定されると述べている。

一過性全健忘(Transient Global Amnesia)の2例

著者: 山鳥重 ,   白滝邦雄 ,   白方誠弥

ページ範囲:P.303 - P.308

I.はじめに
 1956年および1960年,Benderは"健忘を残す—回性錯乱症候群"(Syndrome of isolated episode of confusion with amnesia)を報告した。同じ頃FisherとAdamsは,全く同じ症候群を"一過性全健忘"(Transient global amnesia)と呼んでBenderと独立に報告した(Fisher and Adams,1964)。
 前者は症候群の本質を,一回限りの発作であること,主として記銘力の障害であること,本人が異常に漠然とでも気付くこと,にあるとし,この異常状態注)から回復しても,その時期の健忘が残ることを指摘した。後者は症状の分析をさらに進め,この一回限りの発作中には,記銘障害と発作時を一定期間過去へ逆のぼる追想障害とが同時に存在すること,および発作後は発作中の出来事に対する健忘と,発作前一定期間の逆行性健忘を残すことを指摘し,本症候群が記憶にかかわる神経機構の選択的かつ一過性の機能障害であると推定した。

古典紹介

—Hermann Simon—Aktivere Krankenbehandlung in der Irrenanstalt

著者: 木村敏夫 ,   坂口正道 ,   広沢道孝 ,   矢野和之

ページ範囲:P.309 - P.321

第Ⅰ部 作業療法について
 この論文は,著者が種々の報告で述べてきた考えをくり返したものである(1923年イエナにおけるドイツ精神病院長会議,1924年インスブルックにおけるドイツ精神医学会,1926年ハノーヴァーにおけるニーダーザッヘンとウェストファレンの精神科連合会,1927年アムステルグムにおけるオランダ精神神経科学会)。これらの報告に引き続いて行なわれた種々の討論についても,順次ふれるつもりであるが,そこで生ずる全ての問題を余すところなく論ずることは,この種の論文の枠内では到底不可能である。また近年精神科看護が発展してきているので,読者には既に陳腐なことと思われることが多いかもしれない。しかしなお私は,基本的には最初の報告における当初の考えを未だ変えていない。というのは,これらの報告は今まで出版されたことはないのに,実践面においては多くの変革に刺激を与えてきたからである。
 本論文の表題が理解されれば,本論文が精神疾患の治療に何か全く新しい道を示そうと企図しているのでないことが分かろう。「積極的」治療ならば,確かに全ての医師が多少なりとも行なっている。何故なら実際の治療というものは全て,手当することであるから積極的なのである。ただ観察しているだけでは,全然治療にならない。私は「より積極的」という比較級を強調する。そして病院での実践経験から誰もが知っており,部分的にはむしろ古臭い治療方法でも,目的をはっきり定めて適用すれば,以前一般に考えられていたよりも,ずっと多くのことを達成できることを示したいのである。

解説

—ヘルマン・シモン著—精神病院におけるより積極的患者治療

著者: 矢野和之

ページ範囲:P.321 - P.326

 本書はHermann Simon(1867-1947)が,作業療法に関する自らの業績を公にした唯一の論文である。彼は本論文を書くのが苦痛であったらしく,「私はもともと3つのもの,すなわち観察,熟考,そして何よりも行動をモットーとして毎日の忙がしい業務に当ってきたので,毎日の課題を単に量的に測って処理してきたわけではない。書いたり話したりすることは,習慣によって固定し,軌道の出来上がっている私の反応様式外のことである。印刷術が文明人に対して現実に有している作用を考えてみると,親愛なるGutenbergが悪いわけではないが,印刷術は悪魔が人類に贈った禍いの贈物の一つであると思い始めている」と述懐している。彼は理論を展開してものを書いたり喋ったりすることを好まぬ実践の人であった。その彼が4回にわたる学会報告を経て,本論文を発表するに至った経過は,要するに,当時習慣的に行なわれ,本来の意義を失ないつつあった精神病院における臥床療法に真向から反対し,作業療法をすすめるようにと失言(と彼は言う)したことから,答弁を求められるはめになったものである。彼は「袋を出た猫は永遠に追いかけられる」立場に駆り出されたのであった。
 このような経緯で,彼が病院長として勤めるGüterslohで実施された作業療法についての紹介が1927年にAllgemeine Zeitschrift für Psychiatrieに掲載された。しかし各方面でこのGüterslohの経験に取り組むようになり,その理論的裏づけを求められるようになったところから,これを受けて1929年に続編が2回にわけて同誌に発表された。そしてこの際に,以前発表の分をI.Teil:Zur Arbeitstherapie後の分をII.Teil:Erhahrungenund Gedanken eines praktischen Psychiaters zur Psychotherapie der Geisteskrankheitenとしてまとめ,1冊の本として出版された(これは絶版になっていたが,1969年にGütersloh病院の50周年を記念してW. Winkler院長により再版された)。その本の意図するものは,その序文によれば,「精神医学や精神病治療の教科書を意図したものではなく,また新しい道を提示しようとしたり,その中で扱った思想の起源とか文献的根拠を報告しようとする科学書でもなく,実践から生まれたもの」であり,読者の対象は,「まず専門家に対してであるが,その他にも,病院の牧師や事務職員も対象とし」「看護職員の手引きとしても役立つ」ようにというものである。また第2部では,むしろ実践の理念と言いかえたほうが適切と思われるのだが,彼としては生物学的,心理学的な裏づけを意図し,それが「最近のものよりも,さらに古い精神医学や心理学に符合する」が,「それが欠陥ともいえまい」とし,「多少とも科学的に考える人ならば,このようなことは周知,自明のことだが,その簡単なことがそのまま精神医学全体の基礎になっていることに気付かない」と述べているところに,彼と彼の論文の本質がうかがわれる。それは彼が,目的をもって前進しようとする時,新しい治療方法に拠り所を求めるのではなくて,過去の経験を吟味して,それを深めていこうとする志向をもつ人だったからである。

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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